年金暮し団塊世代のブログ

男寡になった団塊世代の年金の現実と暮らし向きをブログで。 今や仕事になった鳥撮り(野鳥撮影)の成果もアップします。

曾祖母のこと

2014年10月14日 | 日々雑感

2年前の2012年10月に大阪府内に住む私めの義理の叔父が亡くなりました。(→ こちら と こちら) その3回忌法要が去る10月5日に大阪であり、行ってきました。

毎年ヴァレンタイン・デーには私めにチョコレートを送ってきてくれる叔母も 今年で80歳だそうで、他の叔父叔母達が亡くなったり痴呆症になったりしているので、私めの祖先、とりわけ親戚達があまり触れたがらない私めの曾祖母 のことを聞き取るのが主目的でした。

曾祖母について叔母の話を至極簡単にまとめると以下のようになります。

私めの曾祖母は旅館兼料理屋の一人娘として生まれ、婿養子を迎え娘を産んだ。 しかし、旅館に何度も長滞在していた大阪商人と、双方が既婚者でありながら不倫をし娘が産れた。 大阪商人は生まれた娘を認知したので、娘(=私めの祖母)は大阪商人の姓を名乗った。 曾祖母は変えるべき姓がないので戸籍上の自分の姓のままで一生を終えた。 婿養子の手前 曾祖母と娘は家を追い出されたが、大阪商人からの送金で生活には困らなかったらしい。

曾祖母は曽孫の私めが産れた時には生きていて、私めの誕生祝いの赤飯を作ったが、砂糖と塩を間違えたらしく、塩っぱい味付けになった。 既に 耄碌(もうろく)が始まっていたということ。
曾祖母は曽孫の私めの顔が見れるまで長生きできたと喜んだ。 晩御飯を美味しかったと食べ終わって、そのまま卓袱台で眠り込んだ。 周りが気付いた時には、眠り込んだままの姿勢で死んでいた。 皆が あやかりたい と言う。


上で「不倫」と書きましたが、現在の感覚とは少し違うようです。 男女双方の側からの「夜這い」が普通で、「妾を持つのは 男の甲斐性」と言われていた時代(明治中期)ですから…。

曾祖母の(旅館側の)家系や大阪商人の家系のことも聞き取り、且つ叔母が持参したアルバムで曾祖母や祖先達の姿も写真で確認でき、私め的には十分満足のいく結果でした。 次に実家に帰省した際に、裏付けに関係者の戸籍(除籍簿)謄本を取るつもりでおります。


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