組み殺したい ひでぇ伯父。
935年 新皇平将門の乱 藤原秀郷 押領使
[ポイント]
1.平将門の乱は935年におこり、将門は940年、平貞盛・藤原秀郷に討たれた。
[解説]
1.平将門(?~940)は平高望(たいらのたかもち)の孫。所領争いから伯父(おじ)の平国香(たいらのくにか)を殺す。
2.939年に反乱を起して常陸(ひたち)・下野(しもつけ)・上野(こうずけ)の国府を攻略し国司を追放し、関東一帯を占拠。
3.平将門は新皇(しんのう)と称し、下総(しもふさ)の猿島(さしま)を中心に独立国家を作ろうとした
4.平将門の乱を記した軍記物語は『将門記(しょうもんき)』
5.同時期に起こった藤原純友の乱とをあわせて承平・天慶の乱(939~941)ともいう。
〈2013愛知教育大・前期
「問8 下線部(6)10世紀前半の東国の兵乱の名称を答えよ。」
(答:平将門の乱あるいは承平天慶の乱)〉
〈2012明大・文学部
下線部(オ)坂東(関東地方)と瀬戸内海を舞台におこった承平・天慶の乱とよばれた二つの乱に関連して、坂東でおこった戦乱を描いた書物として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1『将門記』 2『純友追討記』
3『陸奥話記』4『保元物語』」
(答:1)〉
※ 将門の乱を始まりは清水書院『日本史B』の935年(私闘の開始)から、山川『詳説日本史B』の939年(国司つまり国家権力の末端との闘争開始)と2説ある。