けんつくケンカの/道ナイシュ
(兼通・兼家)(道長・伊周)
[句意]兄弟、叔父甥が剣突ケンカをする道は(北家にとって)ナイスだった、という句。「剣突(けんつく)」とは邪険にあつかうこと。「兼通(かねみち)」「兼家(かねいえ)」「伊周(これちか)」はそれぞれ音読みして「兼通(けんつう)」「兼家(けんか)」「伊周(いしゆう)」と読ませているので注意してください。
[point]
1.藤原北家内部では、摂政・関白の地位をめぐって兼通・兼家の兄弟が、道長・伊周の叔父・甥が争った。
[解説]
1.摂政とは「政治を摂(と)り行う」の意味。古くは推古朝の厩戸皇子(聖徳太子?)のように、摂政は天皇が女性、幼少などの時、その天皇に代わって政務をとったとされる例はあるが、皇族に限られていた。
2 関白とは「政治に関り白(もう)す」の意味。天皇をたすけて政治を行う職務で、奏上文のすべてを天皇が見る前に内覧する。その点政治を専(もっぱ)ら行う摂政とはちがう令外官であった。しかし両者は仕事の内容にそれほど違いはなく、11世紀の道長が就いた「内覧(ないらん)」も実質的には同じ。
3 藤原兼通(兄)は、972年、権中納言から一挙に、大納言兼家を越えて関白となる。
4 藤原兼家(弟)は、兄兼通より出世が早かったが、関白となった兼通に憎まれ出世を妨げられた。しかし兄兼通の死後の986年、一条天皇が即位した結果、外祖父の兼家は摂政ついで関白に就任。以後、兼家の系統が摂関を独占した。
5 995年、内大臣伊周(甥)と権大納言道長(叔父)が争い、道長が内覧に就任し覇権を握った。
6 伊周は翌996年、大宰権師に左遷される。その弟隆家は出雲権守に左遷されたが、のち大宰権師となり、任中の1019年に起こった刀伊の入寇を撃退することになる。皮肉なことに道長政府の無策を救うことになった。
〈2013早大・文:「
藤原兼通と[ E ]は実の兄弟でありながら、権力争いを繰り広げ、道長が甥の[ F ]との権力争いに勝利したのち、摂関時代の黄金期を築きあげたことはよく知られている。」
問 空欄Eと空欄Fの組み合わせとして正しいものはどれか。
アE道隆―F道兼
イE道兼―F道隆
ウE伊周―F道隆
エE道隆―F兼家
オE兼家―F伊周
(答:オ)〉