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蘭学

2017-01-22 | 『新世界史頻出年代暗記』



人、名成します 解体し。


(桂いた川甫周(かつらがわほしゅう)・前野良沢(りょうたく))(中川淳庵(じゅんあん)・杉田玄白(げんぱく))(『解体新書』)



[ポイント]

1.『解体新書』の訳出に参加したのは、前野良沢杉田玄白中川淳庵桂川甫周の4人である。

[解説]
1.洋学をいちはやくとり入れたのは、実用の学問としての医学である。1774(安永3)年、前野良沢(1723~1803)や杉田玄白(1733~1817)らが西洋医学の解剖書を訳述した『解体新書』はその画期的な成果であった。

2.前野良沢は、豊前国中津藩の藩医で蘭学者。43歳で晩年の青木昆陽に師事してオランダ語を学ぶ。長崎へ留学中に西洋の解剖書『ターヘル・アナトミア』を入手、杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周ら盟友と刑場の江戸小塚原で腑分け(解剖)を実見。翌日から良沢中心に同書の翻訳に着手し、3年5ヶ月で『解体新書』が成った(1774年)。弟子に司馬江漢、大槻玄沢などがいる。主著は『蘭学階梯(かいてい)』(1788年)。


3.杉田玄白は、若狭国小浜(おばま)藩医。前野良沢らと『ターヘル・アナトミア』の翻訳を行い訳書『解体新書』を出す。その苦心談を晩年に、『蘭学事始』(1815年)として出版。


4.中川淳庵(1739~86)は、小浜藩医。解剖書『ターヘル・アナトミア』を入手、すでに同書を得ていた前野良沢らと腑分けを実見し、翌日からの翻訳に加わる。平賀源内とともに火浣布(かかんぷ)(不燃布)の制作もおこなっている。


5.桂川甫周(1826~1881)は、将軍家侍医。21歳で『ターヘル・アナトミア』の翻訳に参加。また大黒屋光太夫のロシア漂流記『北槎聞略(ほくさぶんりやく)』(1794年)を著した。


〈2016関西学院大学・全学部

問8 a・bの正誤を判断せよ。

 a.朱子学者の木下順庵は、加賀の前田綱紀に招かれた。新井白石や室鳩巣らは順庵の門人である。

 b.前野良沢や杉田玄白は、オランダ語訳の解剖書を訳述して『解体新書』を刊行した。その苦心談は杉田玄白の『蘭学事始』に記されている。」

(答:a〇、b〇)〉


〈2015関西学院大・神社済教など

問7  a・bの正誤を判定せよ。

 a.藤原惺窩の門人林羅山は、徳川家康に重用されて大学頭となり、幕府の文教政策を推進した。羅山以降、代々の林家当主は大学頭に任じられた。

 b. 蘭学はまず医学の分野で発達した。杉田玄白や大槻玄沢は、西洋医学の解剖書を翻訳した『解体新書』を刊行し、宇田川玄随も『蘭学階梯』を著して西洋医学を紹介した。」

(答:a×大学頭は3代信篤(鳳岡)から、b×大槻玄沢は翻訳に参加していない。また『蘭学階梯』は玄沢著)〉


 〈2014明大・農(食料環境政策)

問8 下線部オ大黒屋光太夫からの聞き取りをもとに、桂川甫周が著した書物として最も適切なものを下記から一つ選べ。

 A環海異聞 B海防臆測

 C辺要分界図考
 D北槎聞略 E慎機論)」

(答:D ※「甫周」の〈ホ〉)


〈2014明大・法(法律)

「問9 下線部e杉田玄白に関連して、杉田玄白は『[ キ ]』のなかで『ターヘル=アナトミア』の訳述の苦労について「誠に艪・舵なき船の大海に乗出せしが如く」と述べている。空欄[ キ ]に該当する著書名を記しなさい。」

(答:蘭学事始)〉


〈2012立命館大・文系A方式

 さて、つねづね[ F ]などに出会ひし時に語り合ひしは、追々見聞するところ、6和蘭実測窮理のことどもは驚き入りしことばかりなり。もし直にかの図書を和解し見るならば、格別の利益を得ることは必せり。……然るにこの節不思議にかの国解剖の書手に入りしことなれば、先づその図を実物に照し見たきと思ひしに、実にこの学開くべきの時至りけるにや、この春その書の手に入りしは、不思議とも妙ともいはんか。……翌朝とく支度整ひ、彼所に至りしに、7(前野)良沢参り合ひ、その余の朋友も皆々参会し、出迎へたり。時に良沢一つの蘭書を懐中より出だし、披き示して日く、これはこれ8『ターヘル・アナトミア』といふ和蘭解剖の書なり。先年長崎へ行きたりし時求め得て帰り、家蔵せしものなりといふ。……そのとき翁申せしは、何とぞこの『ターヘル・アナトミア』の一部、新たに翻訳せば、身体内外のこと分明を得、今日療治の上の大益あるべし、いかにもして通詞等の手をからず、読み分けたきものなり。(『9蘭学事始』)」

問k 空欄[ F ]に入る人物は、エレキテルの実験をするなど物理学の研究に足跡を残したほか、戯曲や滑稽本も書いた。この博学多才な人物の氏名を答えよ。


問l 下線部6に関連して、江戸時代の「和蘭実測窮理」の学について説明した文章として、もっとも適当なものを下から一つ選び、記号で答えよ。


 あ 徳川家光が漢訳洋書の輸入制度を緩和したことは、蘭学興隆の契機となった。

 い 徳川吉宗の命で蘭学を学んだ野呂元丈は、オランダ薬物の研究成果を『阿蘭陀本草和解』にまとめた。
 う 大槻玄沢は、大坂に適塾を開き、種痘の普及に尽力した。
 え 1823年に来日したケンペルは、洋学所を江戸に開き、数多くの蘭医を育成した。

 問m 下線部7に関連して、前野良沢がオランダ語を学んだ人物は、『甘藷記』を著したことでも知られている。その人物として、もっとも適当な人名を下から一つ選び、記号で答えよ。

 あ西川如見 い青木昆陽
 う稲村三伯 え三浦梅園


問n 下線部8に関連して、この書物の翻訳書を何というか。


問o 下線部9に関連して、『蘭学事始』は蘭学草創期の回想録である。著者の氏名を答えよ。」


(答k.平賀源内、lい ※「和蘭実測窮理」とはオランダの実理ということ。「窮理」とは自然法則性の解明に重きをおく思考態度で「実測窮理」とは科学を指す。mい、n解体新書、o杉田玄白)〉


〈2011文教大・全学部:「

問7 下線部g蘭学研究について述べたA~Cの文について、古いものから年代順に正しく配列せよ。

 A 徳川吉宗が野呂元丈と青木昆陽にオランダ語を学ばせた。
 B 前野良沢、杉田玄白らがオランダ語の解剖学書を翻訳し、『解体新書』を刊行した。
 C ドイツ人医師シーボルトが長崎に嗚滝塾を開き、西洋医学を教えた。」

(答:ABC)〉

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