句を御覧じた 古今集。
905年 醍醐天皇 『古今和歌集』 紀貫之
905年、醍醐天皇の命により、紀貫之は紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑とともに、わが、国最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を編纂。
優れた歌論でもある仮名序を記した。歌風は五・七調。優美・繊細で技巧が目立つ。いわゆる古今調として、以後の勅撰集の理想となった。
暗記のポイント 905年、紀貫之らは醍醐天皇の命により、勅撰和歌集である『古今和歌集』を編纂した。
□紀貫之 905年、醍醐天皇の命により『古今和歌集』を編纂。930年、土佐守として赴任。その帰途を綴ったのが『土佐日記』で、日記文学のみならず、仮名文学全般の発展に多大の影響を与えた。
〈八大集〉 『古今和歌集』以後、『後撰』『拾遺』に至る三大集。さらに『後拾遺』『金葉』『詩花』『千載』『新古今』と続く八勅撰和歌集が八代集と呼ばれる。「この五千円、拾遺の後、貯金しません、新子ちゃん」と覚えよう。尚、最後の『新古今和歌集』の成立は1205年。即ち、『古今和歌集』成立のちょうど300年後であることを意識すれば、覚え易い。
〈2015明治大・国語・全学部(法文など)
次の中から藤原定家と最も関わりの深いものを一つ選べ。
A十六夜日記 B明月記
C太平記 D海道記
(答:B※明月記は定家の日記)〉
〈2013明大・文:「
A 鎌倉幕府が成立した後に院政を開始した[ a ]は、幕府の勢力拡大という状況の中で朝廷政治の立て直しに積極的にとりくんだ。また彼は歌人としても優れ、朝廷に和歌所という組織を再興し、『新古今和歌集』の編纂を命じた。この和歌集は、それまでの作歌の伝統を継承しつつも、新たな技巧を駆使した和歌を収め、その編纂は、政治面での彼の意欲的な姿勢が文芸の面で反映したものと評価することができるだろう。
[ b ]は、(ア)『新古今和歌集』の撰者の一人である藤原定家を和歌の師とした人物である。彼は『万葉集』を学び、私家集『金槐和歌集』に自らの作歌を収めている。また彼は和歌を通じて[ a ]との交流を深めており、鎌倉時代前期の公武関係という政治的問題に和歌文芸が一定の役割をはたしていたことがうかがえる。」
1 空欄aにあてはまる人物として正しいものを、次の1~5のうちから一つ選べ。
1白河上皇 2鳥羽上皇 3後白河上皇
4後鳥羽上皇 5後嵯峨上皇
(答:a4、)
2 下線部(ア)『新古今和歌集』の撰者の一人に該当する人物として正しいものを、次の1~5のうちから一つ選べ。
1鴨長明 2栄西 3藤原家隆
4慈円 5ト部兼好
(答:ア4)