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『古今和歌集』の撰集

2016-05-29 | 『新日本史頻出年代暗記』

 句を御覧じた 古今集。 
 905年  醍醐天皇 『古今和歌集』 紀貫之 

 905年、醍醐天皇の命により、紀貫之は紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑とともに、わが、国最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を編纂。

優れた歌論でもある仮名序を記した。歌風は五・七調。優美・繊細で技巧が目立つ。いわゆる古今調として、以後の勅撰集の理想となった。

暗記のポイント 905年、紀貫之らは醍醐天皇の命により、勅撰和歌集である『古今和歌集』を編纂した。   

□紀貫之 905年、醍醐天皇の命により『古今和歌集』を編纂。930年、土佐守として赴任。その帰途を綴ったのが『土佐日記』で、日記文学のみならず、仮名文学全般の発展に多大の影響を与えた。
          
   
〈八大集〉 『古今和歌集』以後、『後撰』『拾遺』に至る三大集。さらに『後拾遺』『金葉』『詩花』『千載』『新古今』と続く八勅撰和歌集が八代集と呼ばれる。「この五千円、拾遺の後、貯金しません、新子ちゃん」と覚えよう。尚、最後の『新古今和歌集』の成立は1205年。即ち、『古今和歌集』成立のちょうど300年後であることを意識すれば、覚え易い。

 

〈2015明治大・国語・全学部(法文など)

 次の中から藤原定家と最も関わりの深いものを一つ選べ。

 A十六夜日記 B明月記
 C太平記 D海道記


(答:B※明月記は定家の日記)〉

 

〈2013明大・文:「
A 鎌倉幕府が成立した後に院政を開始した[ a ]は、幕府の勢力拡大という状況の中で朝廷政治の立て直しに積極的にとりくんだ。また彼は歌人としても優れ、朝廷に和歌所という組織を再興し、『新古今和歌集』の編纂を命じた。この和歌集は、それまでの作歌の伝統を継承しつつも、新たな技巧を駆使した和歌を収め、その編纂は、政治面での彼の意欲的な姿勢が文芸の面で反映したものと評価することができるだろう。

 [ b ]は、(ア)『新古今和歌集』の撰者の一人である藤原定家を和歌の師とした人物である。彼は『万葉集』を学び、私家集『金槐和歌集』に自らの作歌を収めている。また彼は和歌を通じて[ a ]との交流を深めており、鎌倉時代前期の公武関係という政治的問題に和歌文芸が一定の役割をはたしていたことがうかがえる。」

1 空欄aにあてはまる人物として正しいものを、次の1~5のうちから一つ選べ。


 1白河上皇  2鳥羽上皇 3後白河上皇

 4後鳥羽上皇 5後嵯峨上皇

(答:a4、)

2 下線部(ア)『新古今和歌集』の撰者の一人に該当する人物として正しいものを、次の1~5のうちから一つ選べ。

 1鴨長明  2栄西 3藤原家隆

 4慈円 5ト部兼好

(答:ア4)

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千載集 

2016-05-29 | 『新世界史頻出年代暗記』

いいパパ千歳 不死となり。

1188年  『千載集』  藤原俊成

2012慶大:法

 神職の家に生まれ育った[ 1・2 ]は、和歌の道に優れた文化人だった。[ 3・4 ]の名を受けて藤原俊成が撰上した『[ 5・6 ]』に若くして一首が入集するなど、地下歌人として才能を認められるようになり、[ 7・8 ]によって和歌所が再興されると、藤原家隆、飛鳥井雅経らとともにその寄人に任じられた。このときに撰上された歌集にも10首が入集しており、あわせて25首を勅撰集に残している。一方で、神職の地位を得ようとし、河合社(ただすのやしろ)の禰宜になることを望んだが、[ 7・8 ]の後ろ盾があったものの、一族の反対にあって叶わず、しまいには寄人の職を投げ打ち、50歳を迎えた春、出家して大原の山中に閑居し、しばらくして日野の草庵に移り、そこで『[ 9・10 ]』を著した。天災や戦乱、飢饉が相次ぎ、社会が大きく変わりゆく時代を生きた[ 1・2 ]は、以下の[1]から[4]に一部を引用するように、若い時分に京の都で体験した災厄の数々を『[ 9・10 ]』の中で述懐しており、ここから、中世の人々の災害感を垣間見ることができる。(以下略)

(答:12鴨長明 34後白河院 56千載集 78後鳥羽院 910方丈記)

 

 


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