●平安時代(六条天皇 後白河上皇)
Taira no Kiyomori becomes Grand Minister.
日々(ひび)虚しき世 大丈夫?
1167年 平清盛 太政大臣
平治の乱で源義朝を破った平清盛は確固たる地位を獲得。1167年、清盛は太政大臣の地位にのぼり、平氏一族の者も高位高官となった。
清盛は娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、安徳天皇の外祖父として権勢を誇ったが、官職の独占を進めた平氏は旧勢力から強い反感を受けた。
In particular, TAIRA no Kiyomori was eager to trade with Sung, and a large amount of the Sung currency was imported after that.
特に平清盛は宋との貿易に熱心で、以降大量に宋銭が輸入される。
〈2012立大・経済法異文化コミ
実際に即位することはなかったものの、天皇への即位が取りざたされた女性の存在が、慈円の著した歴史書( ヌ )』に記されている。『( ヌ )』によれば、近衛天皇の死後、鳥羽法皇が、子内親王(あきこないしんのう)を天皇にすることを検討したとのことである。結局、近衛天皇の後に即位したのは、後白河天皇であったが、子内親王は後に〈 お 〉と号し、父鳥羽法皇から多くの荘園群を受け継いだ。これらの荘園群は、鎌倉時代末期には、大覚寺統に継承され、その経済基盤となった。」
〈お〉a建礼門院 b待賢門院 c東福門院 d八条院
(答:ヌ愚管抄、お.d)
〈2012明大・商
2004年には奈良県・和歌山県・三重県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されている。ここには熊野三山とよばれる熊野本宮大社(本宮)・速玉大社(新宮)・那智大社(那智)の三社があり、院政期以降、「蟻の熊野詣」(大人数がぞろぞろと行列をつくることの形容)とよばれるほど、この三社への参詣が大流行した。とくに院政期の上皇・法皇たちは、いずれも頻繁に参詣している。今様を好み、みずから歌謡集『梁塵秘抄』の撰者ともなった[ い ]上皇(1127~92)は生涯に34度もここに参詣している。なお、この熊野三社で木版刷りされた牛玉宝印(ごおうほういん)とよばれる護符(おまもりの札紙)は、中世後期の社会で契約内容の遵守を神仏へ誓うB【1)為替 2)大田文 3)政所下文 4)起請文 5)勘合符】とよばれる文書の用紙として広く使用された。」
(答:い後白河、B4〉
〈2012早大・文化構想:「
下線e『梁塵秘抄』を編纂した人物として正しいものはどれか。1つ選び、マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 鳥羽法皇 イ 崇徳上皇
ウ 白河法皇 エ 後白河法皇
オ 後鳥羽上皇」
(答:エ)
〈2014同志社大・文
平氏は( コ )以降、日宋貿易にも力を入れた。11世紀後半以降、日本と( i )、宋とのあいだで、商船の往来が活発となり、12世紀に宋が北方の女真人の建てた金に圧迫されて南宋となってからは、さらにさかんに通商がおこなわれた。これに応じて清盛は、j大輪田泊を修築して瀬戸内海航路の安全をはかり、宋商人の畿内への招来にもつとめて貿易を推進した。」
【設問コ】空欄( コ )に入る人物名を次のうちから1つ選べ。
1.平重盛 2.平忠盛
3.平重衡 4.平忠常
【設問i】空欄( i )に入る王朝名を漢字で記せ。
【設問j】大輪田泊が所在した旧国名を漢字で記せ。
(答:コ2、i高麗、j摂津国)〉
〈2013早大・文化構想学部
問1.下線a平氏政権は、日宋貿易を推進したに関連する説明として正しいものはどれか。1つ選べ。
ア 平清盛は室津を修築した。
イ 平清盛は保元の乱で崇徳上皇方についた。
ウ 平氏政権は荘園・知行国を経済基盤とした。
エ 平忠盛は日本海の海賊を討ち、平氏台頭の礎を築いた。
オ 平清盛は長崎で宋人を引見した。
(答:ウ ※ア.室津は播磨国の重要港だが清盛は修築していない、イ.後白河天皇方、エ.瀬戸内海の海賊、オ.博多で)
〈2012明治大・政経:「
問3 下線部(ウ)日宋貿易に関連し、平清盛が修築した大輪田泊が所在したのは現在のどの府県か。A~Eから一つ選べ。
A福岡県 B大阪府
C岡山県 D山ロ県
E兵庫県
(答:E)
〈2012同志社・神商心理
(1)平氏政権の重要な経済的基盤となったのは、清盛の父( ア )の代から積極的に推進した日宋貿易の利潤であった。そのため清盛は、[ a ]を修築し、音戸の瀬戸を開くとともに、瀬戸内海航路の安全を確保した。宋の商船によって日本からは金・硫黄・刀剣・漆器などが輸出され、中国からは織物・典籍・香料・宋銭などが輸入された。
【設問a】空欄[ a ]に入る語句を漢字で記せ。
(答:ア正盛(選択肢32個あり)、a大輪田泊)