1863年、尊攘派が朝廷を動かし、挙兵倒幕の手段として攘夷親征・大和行幸の詔を出させたことに対し、公武合体派の薩摩藩が京都守護職松平容保らとはかって、8月18日未明、機先を制して御所を警護して朝議を一変し、急進派の公卿の参内を禁じた。
長州藩は御所警護の任を解かれ、三条実美ら七人の公卿は長州藩へのがれ(七卿落ち)て尊攘派勢力は一時衰退し、翌年禁門の変を起こした。
●八月十八日の政変
こう暗記!
一派無惨に 死地に落ち。
1863年
八月十八日の政変
三条実美 七卿落ち 長州藩
※「1863年」の前の2桁の数字(「1」と「8」を掛けると「八」に、後ろの2桁の数字(「6」と「3」)を掛ければ「十八」になる。