ああっ。久しぶりです。 本当に久しぶり。
このカテゴリーで記事とすること自体が久しぶりなのです。
Photo-01 正面奥は地区唯一のお店です。
中越地震が発生したのは2004年10月23日。午後6時に至る寸前でした。ある程度時間が経ってからでしたけど、気がついたら震災後一つのフィールドとして半蔵金に通っていました。単身赴任する前までは本当に月一度というペースは守られていました。しかし、赴任地が佐渡ではもはやそれを守ることもできず、いつしか縁遠くなっていました。
さて、久しぶりに自分の車を持って長岡へと帰りました。天気もつかの間の小春日和と予報されていた11月2日です。喜々として比礼~軽井沢~荷頃をへまして半蔵金のあります西谷地区へと向かいました。
たぶんこの地名について記憶のある方はかなり前からの常連さんでありましょう。以前は本当にこの地には通いました。今回を含めまして二回、あるいは三回で久しぶりの半蔵金を紹介する予定です。
Photo-02 今も作っているのかなぁ。こがねもち。幾度も買いました。
Photo-03 栃尾市立半蔵金小学校 すでに閉校しています。
Photo-04 現在は長岡市となっている半蔵金です。
Photo-05 小学校の校庭から川向こうを見ています。崩れた家の屋根が..
Photo-06 小春日和。穏やかな秋の一時です。
Photo-07 小学校裏から歩き出します。
Photo-08 これから向かう神社を見上げます。
【かんりにんより】
予約投稿しています。今日夕方佐渡へと着きます。頂いたコメントへのレスなどは滞ります。済みません。
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写真撮影:2013年11.02
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2013 地理の部屋と佐渡島
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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長岡よろも大分離れているのでしょうか?小学校廃校
やはり寂しいですね。
一日でした。とはいえ途中雨が降ったりもし
まして安定しないのも事実でした。午後車の
タイヤを交換しました。早いなと思いました
が、車をJAの車両センターへ持って行くの
にちょうど良い時を得たのでした。
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▲樹美さんへ。
川口町木沢地区。懐かしいですねぇ。震災後
道の開通を待って訪ねた地です。とにかくあ
そこも大変な状況でしたね。集落から少し離
れると三山が見られる良いところです。
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▲Ondaさんへ。
よいですよ。是非案内したいです。とはいえ、
僕の方が身動きがとれないですねぇ。できま
したら雪の季節が良いかもであります。
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▲ディックさんへ。
いやぁ、ありがとうございます。とにかくこ
の地には思い入れがあります。まさに感動で
す。さりげない風景の連続です。今ではそれで
良いのです。
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▲山小屋さんへ。
こがねもちは全く普通の餅です。ただ、この
半蔵金で作られたコメを使っているのです。
とにかくここは越後の雪深い山間部です。そ
んな地のコメですから悪かろうはずがありま
せん(大笑)。
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▲日本男道記さんへ。
ありがとうございます。男道記さんにはもう
耳慣れた地名でありましょう。たぶんそんな
半蔵金の地名も僕同様久しぶりでありました
でしょう。
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▲ひろし爺さんへ。
ありがとうございます。佐渡へと戻りまして
一日の仕事を終えています。今は住宅にての
んびりとサイト管理をしております。
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▲みちりんさんへ。
ありがとうございます。とにかく震災関係と
言えるものは久しぶりです。あの皆川健太君
も随分大きくなったはずです。
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▲hirugaoさんへ。
そうです。時は隔日に流れてきました。久し
ぶりにこの地を訪ね、また時の経過を感じま
した。
さて、師走いりして二日です。早いです。
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▲裕さんへ。
残念ながらこの日はやっている感じじゃなかっ
たです。今はどうなのだろう。心配です。以前は
買って帰れたのですが..
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半蔵金にこがねもちとくれば、
『今も作っているのかなぁ』という説明文がなかったら
(清貧たりたいと思っているわたしは)「小金持ち」つまり金融業の宣伝の看板なのかと思う処でした。
まぼろしのこがねもちにならないような農業政策をと・・・
半蔵金派どんなものなのでしょう?
閉校の小学校賀時の流れを語っていますね。
いよいよ12月何とはなしに気ぜわしく一つずつ
クリアして行かないと。
あの酷い地震災害、今でも忘れる事は有りません
町は静かで、綺麗ですね、
一軒の商店も民家で、経営してるらしい雰囲気
廃校は寂しいですね、卒業生がキット寂しがってると思います、こがねもち、美味しそうな響きだわ
気になってたのですが、地震で、岩の間で
助かった幼子、元気に大きく育ってるのかしら?
心の傷が心配です
いよいよ師走の月に入り気分的に忙しい月の始まりに成りましたネ。
慌てずゆっくり一息おいて今月もお互いに過ごしましょ~!
☆このコメントをお読みになる頃は佐渡で1日の仕事も終わっているのでしょうね。
帰省の時行かれた「半蔵金」の名前は微かに記憶に残っていましたが、風景は記憶に有りませんでした。
小学校も廃校になり大分変っているのですね。
懐かしい地名ですね。
でも、廃校の小学校を見るのはいつもつらいですね。
子供たちの声が聞こえてきそうですが。
のんびりした雰囲気が伝わってきました。
「こがねもち」どんな食べ物でしょうか?
昔からお餅はよい保存食でした。
Photo1とか、6とか、なんでもないような写真なんだけど、とても美しく感じます。
久々の半蔵金地区ですね。
前にもコメントしましたが
栃尾の棚田を実際に見てみたいです。
素朴な街並み...歩いてみたいですねぇー。
「こがねもち」炭火で焼いて食べたい!!。
久々の地名ですね。
町中ではすっかり震災の後はなくなりましたが、
場所によってはそのまま時が止まったところがありますね。
3年前に旧川口町木沢を訪れた時も、
家がそのままになっているところがありました。
ここも地名が長岡市に変わったところです。
越後は四季の風景が劇的に変わるところで、
春ごとに植物の生命力に助けられます。
それに助けられている気持もありますね。
あわただしい日々がスタートします。年賀状のこ
となんかも気がかりです。皆さんは如何ですか?
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▲つちやさんへ。
半蔵金。久しぶりに訪ねました。震災後のつらい
風景は今はすっかり無くなった感があります。
ただ、じっくりまわってみると違うかも知れま
せん。今回はそれができるほどの時間の有余は
なかったです(笑)。
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▲mondさんへ。
悲しい思いでもあった2004年だったのですね。
あれからもう9年。来年でマル10年となります。
ここ半蔵金は大変な被害が出ました。村の風景
は大きく変わりました。
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▲mcnjさんへ。
すでにこの地は過疎高齢化が進行していました。
その為震災前には西谷小学校に吸収投合されて
いたかも知れません。それでもかつては独立し
た一つの学校として存在し、こんなに立派な
校舎も持っていたんですよねぇ。
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▲山手の木々さんへ。
思い入れ大ですね。とにかくあの震災後一番
通った地です。小さな山間の集落ですが、ど
のように変わっていくのか..
それをしばらく写真撮影で追いました。
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▲西恋おじんさんへ。
そうです。山越とありますが、山古志ですね。
半蔵金からですと、田代という集落を経て
山古志へと入ります。
さて、小笠原の西の島の新島楽しみですね。
言われますように逆に日本の地殻運動の活動
的なのが懸念されますよね。
関東方面はとにかく今先の震災を機に地震活
動が活発ですよね。
立川断層。確かにであります。
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▲karinさんへ。
栃尾は繊維の町。かつては町の繊維工場がた
くさんの若者達をここに引き付けていたはず
です。今ではどうにもであります。
寂しい限りですが時代の流れですねぇ。
半蔵金ですが、今少し紹介します。とにかく
僕にとりましては、少し思い入れがあるので
す。
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▲RWさんへ。
あの震災以前。阪神淡路を機にとにかく国内
は大きな地震災害が続いています。基本四つの
プレートのであうというとてつもなく不安定な
変動域の中にいるのですから、あちこちで何か
起こったっておかしくはないわけです。
柏崎。まさに世界最大級の原発がありますから
怖いです。佐渡もそう。長岡もそう。
先の3.11で全てが変わったはずです。
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▲ななごうさんへ。
>ブログ開始直後の頃の記事も読んで居ますが
ありがとうございます。
今では遠い昔のことになりつつありますが、
だからといって全てが過去のことと放置は
できませんね。その後発生した地震災害が、
その都度また新しく大きな被害をもたらし、
被災者の涙が..。今年の夏南三陸に行っ
てきましたが、つらい風景でした。
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▲山ぼうしさんへ。
今また少し十日町地区は心配です。どうにも
たまったひずみやストレスが全て解放されて
いない?いやいや、東北の震災を機に連鎖的
に地面が動き、新たなストレスがまた生じて
いるのかも知れません。
なお、学校ですが、もう耐震補強とかのこと
もありますから使われることもないでしょう。
栃尾では東谷地区にも同様の小学校の旧校舎が
見られます。悲しい風景です。かえって、木
造などで処分が入ってくれた方がよいのかも
知れません。
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これ以上、地震も過疎化も勘弁してほしいと願います。
それにしても、立派な小学校ですね。
各地の被災状況を見ますと、天災に対し甘く見て居た感じがしないでもないかな?と思って居ます。
私の住んで居る東京でも、直下地震が起きたらどの様に成るんだろう?といつも思って居ますが、果たしてどのような結果に成るか?は判りません。
ブログ開始直後の頃の記事も読んで居ますが、地震に遭われた地域の復興にかなりの時間がついやされて居ますね。
色々な理由で生まれ故郷を離れる事が多く、地域の過疎化が進んで居ます。
残念な事では有りますが、これも止むを得ないですね。
栃尾は私が小学校6年生のときに「市」になりました。
旗を振りながら県民の歌?(まだところどころ覚えています)
をうたいながら町の中心地を行進しました。当時は
半蔵金も人口が多かったことでしょう、、、、。
18歳で新潟市民になってからも栃尾には毎年何回か
帰省していましたが、、、その度に人が減っていくことを
寂しく思っていました。自分も故郷を出ていてナンですが
過疎化していく故郷を見るのは寂しいものですねぇ。
半蔵金は教育に熱心な地区でしたねぇ、、、。
地震で崩れてそのままの家がまだあるんですね。
棚田で収穫されたコシヒカリが有名だそうですね。
最近、小笠原の南の西ノ島付近で噴火して新たな
島が出来つつあるというニュースで、日本は火山列島
なんだなと再認識しました。
我が家の近くにも立川活断層があって、いつずれるか
心配してます。地震は、本当に怖いですね。
半蔵金とは、・・・ 初めてです。
なある程、思い入れのある土地なんですね。
地震の怖さ・・・。
しかし、こうして一写真家が訪ねる。
心にしみるレポートですね。
どこにもある風景です。
大地震が、契機になったのでしょうか。
地震国日本の宿命かもしれません。
next21の21階のシャンデリアがブランブランと揺れてるのを思い出します…
家にいる父に電話してみようと何回もかけましたが、繋がらず、ボランティアのお兄さんの携帯でお兄さんのお母様からのTELで新潟が震源地と漸く分かりましたね…
電車が全部ストップしましたから、かなり混んだバスで帰宅しました
帰って父の顔を見て泣いて仕舞った、当時の私…母が亡くなった年なので、余計に父が無事で良くて嬉しかったです
地震の揺れは凄く嫌ですね…
懐かしい故郷の秋の風景のようです。
記憶に残る辺りの景色を見回しながら歩いたことでしょう。
こがねもち、美味しそうな名前の餅(だんご?)ですね。
見上げる山の上の神社の祭神は ・・・・。
今日から師走です。 佐渡へのお帰りお気をつけて。