写真撮影:2010.08.03
シックナーってなんだろうと思いました。
Photo-01
北沢地区で見られる火力発電所、青化精錬所、浮遊選鉱場、これらは小河川を挟んだ対岸にあります。見てのとおりシックナーの曲面のある姿はとても特徴的で、冒頭述べましたように一体何をする施設だろうと疑問を抱かせます。後に説明板の写真と共に、そこに書かれてあった説明書きを文字におこしておきました。
Photo-02
Photo-03
Photo-04
Photo-05
奥に見えるシックナーは、昭和15年(1940)に完成した直径50mの泥鉱濃縮装置である。濁川上流にある間ノ山揚鉱場から排出された泥状の金銀を含んだ鉱石は、この装置で水分を分離する工程を経たのち、対岸へと送られた。対岸の北沢浮遊選鉱場では、他の金銀原料と―緒に処理されて精鉱が産出された。
---------------------------------------
写真撮影:2010.08.03
---------------------------------------
2010年 地理の部屋と佐渡島 sadotiri
---------------------------------------
http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
---------------------------------------
またまた魅力的な建造物ですね。シックナー、聞いたことがあるので、調べてみましたら、なるほど・・・。失礼して辞書の一部を転記してみました。
「大量の液体中に浮遊している固体粒子を、重力の作用により沈殿分離させる(この方法をシックニングという)連続式の沈殿濃縮装置。1906年、アメリカのドルJ. V. N. Dorrによって初めて考案された。清澄槽が清澄な溢流(いつりゆう)を得るのを主目的とするのに対し、シックナーは、排出泥をできるだけ濃縮した状態で取り出すことを主目的とする。・・・」
おおっ、ありがとうございます。
やはり分野。辞書からすぐ出て
来るんですね。ありがたいです。
こちらの説明にも高濃度の泥を
得たいのが目的とありました。
シックニング、シックナー。
1906年に考案とありますから、
佐渡鉱山はかなり先端の施設設
備が奢られたという感じですね。
シックナー、初めてみましたが。
しかし歴史の重みが感じられていい風景です。
多くの方がここで仕事をされたのでしょうね。
まさに兵どもが・・・ですね。
金山としての開発は古いのですが、
明治期の殖産興業政策で、鉱山と
しての近代化の手がさしのべられ
ています。そのお陰で産業遺産と
しての姿を残す部分がある。嬉しい
ことです。多くの人間。もちろん
そうだったでしょう。ただ、鉱山
都市の常です。枯渇と共に人の数も
次第に減っていきます。
生家から近い相川ですが、初めて見、初めて聞く言葉です。
相川北沢地区ですか、次回の帰省で訪ねてみたいと思っています。
昨年の帰省では、相川の寺町通りの国の指定史跡巡りをしました。
歴史のある相川です。 帰省時の楽しみが増えました。
マレーシア観光にお付き合い頂、有難う御座いました!
小生の生れる1年前に完成の直径50mの「シックナー」とは凄い建造物ですね。
イタリアの遺跡の競技や屋外劇場の様な建物ですね。
シックナーの働きを納得しました。!
シックナーは初耳です。でも円形の面白い建物ですね。
難しいお話です~。
当時のものがこうして残されて遺跡のようになっているのはいいですね。
説明つきでありがとうございました。
歴史ある建物、大切に保存して欲しいですね。
昨日の建物に続き、とてもインパクト大きいです。
ちょっと見た感じではミニコロシアムのようです。
シックナー、もちろん~初めて聞きます言葉でした。
ネットで調べまして、nakamuraさまの解説で何となく
分かるような・・・
いずれにしましても深い歴史を感じるとともに大切に
保存して欲しいです。。
やはり一栄一落という世の習いの道をたどっていく訳ですね。
珍しいものを・・・いつもありがとうございます~♪
勉強になりました~
何か日本じゃないみたいですね~
ヨーロピアン~♪