ブルーシート・ハンゾウガネ。歌の文句としてはこの上ない皮肉。
やけっぱちになってしまいそうな気分である。ブルーシート2で紹介した神社を載せた斜面である。ここは地滑り警戒装置の付いていた斜面である。
今朝はブルーシート三部作。
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写真撮影:2006.5.14
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神社下の斜面が崩れ落ち、その土砂のせいで道はふさがれたまま。
いたずらに土砂を取り除けない。ここから右手斜面は未だに地が滑る危険性を伴っている。
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写真撮影:2006.5.14
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2006年 地理の部屋と佐渡島
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被災地はここに限らずブルーシートに覆われた。
今もなお残る青の異様な風景。
これがある限りはあのことを思い出す。
ブルーシートは被災地にとってはその象徴である。
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写真撮影:2006.5.14
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2006年 地理の部屋と佐渡島 . . . 本文を読む
黙ってとおり過ぎるのか? と自分に問いかける。
カメラは自然とこの風景にシャッターを押せと言う。
通り過ぎるときは、静かに頭を下げて行く。
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写真撮影:2006.5.14
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2006年 地理の部屋と佐渡島
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5月14日の半蔵金取材時の写真もそろそろ出尽くしてきた。あと1~2回紹介するのみだ。6月4日分のものも待っているので、今後も半蔵金の初夏を紹介できる。 昨晩、半蔵金を故郷とするギンネムHitoshiさんからコメントをいただいた。氏にはすっかり姿を変えた故郷の姿を見てもらっている。
それでも..。
心苦しいものを感じつつも、迷惑がかかるものでなければ、記録もかねて極力紹介していきたい。
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【五月の半蔵金・十枚の写真】
眉をひそめ、またゆるめ、あわただしい感情の起伏。 であるが、やはり捨てがたい。 五月の半蔵金は、坂道と棚田と花々の山里であった。
写真①
写真②
写真③
写真 . . . 本文を読む
かつては、作付可能な範囲はすべて利用していたであろう。
わずかなスペースも無駄にしない、受け継がれてきた営みをかいま見る。
今となっては年寄りばかりの半蔵金であるが、この風景に、人の有り様を感じさせられる。
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写真撮影:2006.5.14
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半蔵金集落の写真を撮影していると、杉木立がよく目立つ。
すっと伸びている、ひときわ濃い緑。ぼんやりと見えるがままに風景を撮影するが、それでも画面の中に良いアクセントを与えてくれる。
里山に杉木立はよく似合う。広葉樹に包まれている里山も良いが、やはりその姿の良さもあるし、人の営みも感じる。
【附記】
既に一月以上前の写真を紹介しているが、それでも半蔵金の風景を継続的に紹介したい . . . 本文を読む
【親子を飲み込んだ崖の崩壊現場の今】
何枚も撮影した。これから月日を追う毎にこの風景は変わっていくであろう。結局はどのような姿になるのか..。いつも思うのだが、あまりこの現場だけ震災の記憶を際立たせるようにすることは望まないが..。 また、機会を持って紹介したい。今回は後編である。合計14枚は前編と併せてで完成している。
あの現場は今。2006年6月17日の撮影である。
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【親子を飲み込んだ崖の崩壊現場の今】
長岡市妙見から小千谷市浦柄にかけての丘陵末端。旧国道17号線沿いから国道291号線にかけて、崖の崩落と土砂崩れが続く現場がある。痛ましい事故が起こったのと、交通量の多い国道17号線からも望める位置にあるせいで、人目にはずいぶん触れてきたはずの場所である。
二年目の春を迎え、現場は確実に復旧工事が進んでいる。いま、日増しに元の風景とは異なるものになってき . . . 本文を読む
【写真でつづる5月の半蔵金】
半蔵金を訪ね歩いて撮影した写真。今までは村の高い方へと向かう途上のものであったが、いよいよ今度は下りはじめ、車のおいてある集落中心部へと向かい始める。そんな道すがらに撮影した写真へとこれから場面は変わっていく。
写真①(放置されている棚田)
写真②(斜面 . . . 本文を読む
村の小学校は昭和61年に閉校となった。冬季分校として命脈を留めはしていたが、それとて平成3年に閉じられた。
村に小学校が無くなり、10ほど経って中越震災を経験した。閉校してしまった学校の建物は今後も何らかの役割を持ち続けるのか?
かつてここに子供らがいた名残を外から見る事は難しい。階段を上がった玄関口にトーテムポールがあった。これを見て育った子らは今どこにいるだろうか..?
下記 . . . 本文を読む
【写真でつづる5月の半蔵金】
なるべく多くを紹介したい。新緑の季節の半蔵金。濃い緑や淡い緑。山々は緑に包まれて活気をおびてきているが、なぜかすっきりとしないものも感じる。それはむき出しの山肌のせいである。樹木を失い、むき出しの山肌からは生の喜びより、次なる災害への心配しか感じない。それでは、ゆっくりとご覧いただきたい。
写真①(暗い写真となった)
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信濃川水系 太田川 国土交通省 竹之高地雨量観測所 とある。昭和二七年六月一日設置とあるから、ずいぶん昔から設置されている。もちろん幾度か機器の更新はされ、現在はご覧のものになったであろう。
梅雨にはいると前半は良いが、後半や梅雨明け直前ともなると、まとまった雨が降ることがある。今年どうだろうか。二年前の七月一三日の事が脳裏をよぎる。またあのような豪雨に見舞われたら..。震災によってむき . . . 本文を読む
半蔵金に限らず、山間部の集落を歩いてまわっていると、放置された家屋を見る。致し方ないこととは言え、しのびない。豪雪地であれば、冬季は屋根雪を適当な間隔で下ろしていないと、雪の重みで家はつぶれる。
二年続いた大雪の冬を過ごし、あちこちでそれが原因と思われる車庫や小屋の崩壊を見ている。
この家はどうなのだろうか?なにがしかの形でも管理されていることを願う。よけいな心配なのだが、そんなこと . . . 本文を読む