Kanedaiのブログ

ぼくの きょうみのあること おもったこと

理系 文系

2011年05月06日 | Weblog
理系と文系について
学生の時 友人としばしば
語ったことを思い出す
区別して論議すること自体
古びており 既に語り尽くされた内容となりがちだが
未だに 理系 文系について
感じること 思うことがある

というのは
僕は高校では文系
推薦で入学した大学は理系だった
そこで感じたことは
理系は積み重ねていく分野であり
理論的であり1+1=2 きっちり
そんな印象であった
数学も 化学も
基礎を積んでいなかった僕にとって
単位取得には相当苦労した
友人に対して
よくこんな問題が解けるなぁ…
と驚いたことが何度もあった
一つ一つの積み重ねから成り立っている学問
積み重ねが欠けていれば解答できず
専門的な話にもついていけなくなる分野
追求していけば
とことん深く 極めていける分野
そう感じていた
反面 
もちろん人によって大きな違いはあるけれど 
理系に属する人との
文化的 社会的な話は
あまり盛り上がらなかった
(僕の周囲にいた人に限るが)
理系の環境なのだから当然なのかも知れないが
文系的な議論に花が咲いたためしはほとんどなかった

いきなり話は変わるが
原子力発電の推進について
あまりにも科学崇拝主義 
専門家が支える
科学技術の追求のみ優先され過ぎたのではないか?
そう考えるのである
理系の追求は 
僕が学生のころ 先生や友人に対して感じた
難しさを探求する好奇心について
専門性の高さ奥深さについて
本当に凄いと思った
しかし
専門性の追求のみではいけない
社会に生きる上で 
自身の思想 自身の哲学を
抜きにしてはいけないと考える
文系が良いと言っているのではなく
専門性を高く 深く追求するあまり
見落としてしまう部分が多くある
ということである
科学者は文化人でなければいけない
そんな風にも思うのである
科学者は原子力の過去の歴史的背景
社会的影響を本当に考慮したのか
どのような倫理観のもと
原子力技術の開発に携わったのか
そこが抜けている人間が
もしいるのなら 
これだけ世の中に迷惑 影響を及ぼす
分野においては 
そもそも 不在で結構だと思う

科学者といっても 
社会科学 人文科学等もあり
はっきり分けられない分野もあるが
僕の記したい思いとしては
専門馬鹿になって大事なことを見落として世の中に多大な迷惑をかけるな!
その一言である

追伸
東工大理学部出身の菅直人
本日 浜岡原発の全号機停止を要請したらしい
少し安心した 
次は良識ある人間として
停止→廃止 
その言葉を期待する


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