昨夜BSプレミアムで放送された
今年のサイトウキネンフェスティバル
オペラや 9月6日のプログラムが
ほとんどノーカットで放送されていて
3時間以上の本当に見ごたえのある番組でした
ラプソディー・イン・ブルーでは
リハーサルより やっぱり本番の凄い迫力を感じました
大西順子もリハーサルとは
かけ離れたアレンジで本番のピアノを弾いていました
ジャズトリオとサイトウキネンオーケストラの融合
言葉の由来は違うようだけど
功を奏する とは正にこの事だ!と思いました
再放送はいつやるのか分からないけれど
放送される際には 是非見ると良い と思う番組でした
追伸 9月19日付けの朝日新聞
小澤征爾の
日中の捉え方
平和への思い
について共感しました
(一部ですがリンクさせて頂きます)
おやすみなさい
今年のサイトウキネンフェスティバル
オペラや 9月6日のプログラムが
ほとんどノーカットで放送されていて
3時間以上の本当に見ごたえのある番組でした
ラプソディー・イン・ブルーでは
リハーサルより やっぱり本番の凄い迫力を感じました
大西順子もリハーサルとは
かけ離れたアレンジで本番のピアノを弾いていました
ジャズトリオとサイトウキネンオーケストラの融合
言葉の由来は違うようだけど
功を奏する とは正にこの事だ!と思いました
再放送はいつやるのか分からないけれど
放送される際には 是非見ると良い と思う番組でした
追伸 9月19日付けの朝日新聞
小澤征爾の
日中の捉え方
平和への思い
について共感しました
(一部ですがリンクさせて頂きます)
おやすみなさい
内田樹のブログ『府教育長の通達について』(9月19日付)を見た人がいるだろうと思って、紹介せずにいましたが、
やっぱり大切な事を言っていたので、あえて掲載させて頂きます。
特に、以下の文章の部分は、
教育について、内田がとても大切なことを言っていたので
太字で掲載させて頂きます。
これは30数年教壇にあったものの経験的実感である。
そして、経験から学んだのは、「こうすれば必ず子供たちは市民的に成熟する」
という必勝の教育法は存在しないということであった。
あらゆる子供のうちにそれぞれ固有の豊かな資源が潜在している。
それが、いつ、どういうきっかけで開花することになるのかはひとりひとり全員違い、かつ予測不能である。
だから、もっとも効率のよい教育方法は
「さまざまな教育理念に基づいて、さまざまな教育プログラムを、さまざまな教育技術をもつさまざまな教員が実施すること」になるのである。
子供ができるだけ多様な「トリガー」に触れること。
迂遠だが、この「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式以上に効率の良い教育方法を私は知らない。
逆に、もっとも効率の悪い教育方法は
「単一の教育理念に基づいて、標準化された教育プログラムを、定式化された教育技術をもつ、均質的な教員が実施すること」である。
この制度は、子供たちの数値的な序列化・格付けにはたいへん効率的であるが、それだけのことである。
子供たちを教育機関が恣意的に序列化してみせることと、
子供たち自身のポテンシャルの開花の間には相関がない。
閉鎖集団の中での相対的な優劣を競わせ、勝者に報奨を敗者に処罰を与えるというのは、
「キャロット&スティック(人参と鞭)」と呼ばれる教育戦略である。
この戦略の有効性をいまでも信じている人もいる。
私は信じない。
信じないというか、それが機能しないことを現場で思い知らされている。
閉じられた同学齢集団内部での相対的な優劣を競わせれば、
子供たちはすぐに学力競争では、自分の学力が高いことと他人の学力が低いことは同義であることに気づく。
そして、ただちに自分の学力を上げることは困難だが、他人の学力を下げることは容易であることにも気づく。
その結果、子供たち全員が互いに互いの学習努力を妨害し、
学習意欲を殺ぐことを教室における最優先の責務として行動するようになる。
現にそうなっている。
だが、いまだに数値的な序列化・格付けとそれによる報奨と処罰「だけ」が
唯一有効な教育手段だと信じている人がたくさんいる(この府教育長もおそらくその一員であろう)。
そういう人間が教育行政を仕切っているところでは、子供たちの学力は劣化してゆく他ない。
教員たちも子供たちと同じやりかたで序列化される。
イエスマンが報奨され、反抗的な教員は処罰される。
大阪の教育現場はそういうことになっている。
以上。
僕は教育という観点から見れば
学校教育の場以外にも共通したことなのではないだろうか?と思う
「単一の教育理念に基づいて、標準化された教育プログラムを…」
学校だけでなく 一般社会において、多くの組織において
取り入れているであろうこの手法は、
欠点も多いのかもしれない、そう思うのである
やっぱり大切な事を言っていたので、あえて掲載させて頂きます。
特に、以下の文章の部分は、
教育について、内田がとても大切なことを言っていたので
太字で掲載させて頂きます。
これは30数年教壇にあったものの経験的実感である。
そして、経験から学んだのは、「こうすれば必ず子供たちは市民的に成熟する」
という必勝の教育法は存在しないということであった。
あらゆる子供のうちにそれぞれ固有の豊かな資源が潜在している。
それが、いつ、どういうきっかけで開花することになるのかはひとりひとり全員違い、かつ予測不能である。
だから、もっとも効率のよい教育方法は
「さまざまな教育理念に基づいて、さまざまな教育プログラムを、さまざまな教育技術をもつさまざまな教員が実施すること」になるのである。
子供ができるだけ多様な「トリガー」に触れること。
迂遠だが、この「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式以上に効率の良い教育方法を私は知らない。
逆に、もっとも効率の悪い教育方法は
「単一の教育理念に基づいて、標準化された教育プログラムを、定式化された教育技術をもつ、均質的な教員が実施すること」である。
この制度は、子供たちの数値的な序列化・格付けにはたいへん効率的であるが、それだけのことである。
子供たちを教育機関が恣意的に序列化してみせることと、
子供たち自身のポテンシャルの開花の間には相関がない。
閉鎖集団の中での相対的な優劣を競わせ、勝者に報奨を敗者に処罰を与えるというのは、
「キャロット&スティック(人参と鞭)」と呼ばれる教育戦略である。
この戦略の有効性をいまでも信じている人もいる。
私は信じない。
信じないというか、それが機能しないことを現場で思い知らされている。
閉じられた同学齢集団内部での相対的な優劣を競わせれば、
子供たちはすぐに学力競争では、自分の学力が高いことと他人の学力が低いことは同義であることに気づく。
そして、ただちに自分の学力を上げることは困難だが、他人の学力を下げることは容易であることにも気づく。
その結果、子供たち全員が互いに互いの学習努力を妨害し、
学習意欲を殺ぐことを教室における最優先の責務として行動するようになる。
現にそうなっている。
だが、いまだに数値的な序列化・格付けとそれによる報奨と処罰「だけ」が
唯一有効な教育手段だと信じている人がたくさんいる(この府教育長もおそらくその一員であろう)。
そういう人間が教育行政を仕切っているところでは、子供たちの学力は劣化してゆく他ない。
教員たちも子供たちと同じやりかたで序列化される。
イエスマンが報奨され、反抗的な教員は処罰される。
大阪の教育現場はそういうことになっている。
以上。
僕は教育という観点から見れば
学校教育の場以外にも共通したことなのではないだろうか?と思う
「単一の教育理念に基づいて、標準化された教育プログラムを…」
学校だけでなく 一般社会において、多くの組織において
取り入れているであろうこの手法は、
欠点も多いのかもしれない、そう思うのである
信濃毎日新聞(2013.9.23付)
の文化面に9月21日の山田洋次の講演要旨の記事があった
HPにアップされるかと思っていたけれど
結局ないので 印象に残った記事のところだけ
掲載させて頂きます
現在、撮影現場に正規雇用の社員はほとんどいません。
作品一本ごとに契約する、いわばフリーです。
2時間のテレビドラマの制作スタッフに聞くと、
朝6時に新宿に集合して都内や地方のロケ現場に行って
撮影を終え、帰るのは夜12時。翌日はまた朝6時に集合です。
何日か働けば、みんなフラフラです。
これが今の日本の映画やドラマのスタッフの状況です。
作品についてスタッフ同士が熱く語り合うことがなくなって
しまっている。できあがる作品もどんどん貧しくなっていかざるを
得ないと思います。
映画館も同じような状況にある気がします。
70年代、「男はつらいよ」を上映する正月やお盆の映画館は、
観客がぎゅうぎゅう詰め。みんな大声で笑ったり声を掛け合ったりして、
騒々しいけれど活気があった。今のシネコンは定員や座席が決まっていて、
観客はおとなしい。映画館の中に興奮も、コミュニケーションもありません。
シネコンで映画を見るのが、僕は本当に嫌です。入場時間が制限されて、
上映前には、私語はやめてくださいとか、これから楽しい思いをしようと
いう時に、余計なお世話だと言いたい。大声で笑ったっていいじゃない。
隣の人と「面白いですね」と語り合って何が悪いのでしょう。
僕の夢は、観客が前の席の背もたれを蹴飛ばして笑うような映画を作ることです。
今の日本人全体のあり方にも言えることなのでしょう。
熱っぽく議論を交わしたり、けんけんごうごう言い合って一生懸命結論を
見出していこうとする努力が、仕事場や家庭、地域、学校でもなくなってきています。
今の管理の時代
規制の時代
ぎすぎすとした人間関係の希薄な時代
を山田はよく捉えていると思った
そして 自分の頭に
自由 優しさ
という言葉が浮かんだ
自由で 優しく生きていくこと
そう努力していくことこそ
「男はつらいよ」みたいな
自分が子供だった時のような
あの頃のような…
人として大切にすべきものを大切にして
生きていけるような気がした そんな今宵である
の文化面に9月21日の山田洋次の講演要旨の記事があった
HPにアップされるかと思っていたけれど
結局ないので 印象に残った記事のところだけ
掲載させて頂きます
現在、撮影現場に正規雇用の社員はほとんどいません。
作品一本ごとに契約する、いわばフリーです。
2時間のテレビドラマの制作スタッフに聞くと、
朝6時に新宿に集合して都内や地方のロケ現場に行って
撮影を終え、帰るのは夜12時。翌日はまた朝6時に集合です。
何日か働けば、みんなフラフラです。
これが今の日本の映画やドラマのスタッフの状況です。
作品についてスタッフ同士が熱く語り合うことがなくなって
しまっている。できあがる作品もどんどん貧しくなっていかざるを
得ないと思います。
映画館も同じような状況にある気がします。
70年代、「男はつらいよ」を上映する正月やお盆の映画館は、
観客がぎゅうぎゅう詰め。みんな大声で笑ったり声を掛け合ったりして、
騒々しいけれど活気があった。今のシネコンは定員や座席が決まっていて、
観客はおとなしい。映画館の中に興奮も、コミュニケーションもありません。
シネコンで映画を見るのが、僕は本当に嫌です。入場時間が制限されて、
上映前には、私語はやめてくださいとか、これから楽しい思いをしようと
いう時に、余計なお世話だと言いたい。大声で笑ったっていいじゃない。
隣の人と「面白いですね」と語り合って何が悪いのでしょう。
僕の夢は、観客が前の席の背もたれを蹴飛ばして笑うような映画を作ることです。
今の日本人全体のあり方にも言えることなのでしょう。
熱っぽく議論を交わしたり、けんけんごうごう言い合って一生懸命結論を
見出していこうとする努力が、仕事場や家庭、地域、学校でもなくなってきています。
今の管理の時代
規制の時代
ぎすぎすとした人間関係の希薄な時代
を山田はよく捉えていると思った
そして 自分の頭に
自由 優しさ
という言葉が浮かんだ
自由で 優しく生きていくこと
そう努力していくことこそ
「男はつらいよ」みたいな
自分が子供だった時のような
あの頃のような…
人として大切にすべきものを大切にして
生きていけるような気がした そんな今宵である
一度は本屋で手に取ったけれど
全く読む気になれなかった
右翼百田の「永遠の0」を
宮崎駿が批判したそうだ
宮崎の意見は正しいと思う
百だの 零だの紛らわしいが
僕は 宮崎100:百田0
で宮崎駿を支持する
「永遠の0」って
読んでから 感動した 涙が止まらなかった
というような読者がいたようだけれど
戦争を美化する話って
本でも映画でも
いつも
強い嫌悪感と うそ臭さと
後味の悪さしか残らないのは
僕だけなのだろうか…
全く読む気になれなかった
右翼百田の「永遠の0」を
宮崎駿が批判したそうだ
宮崎の意見は正しいと思う
百だの 零だの紛らわしいが
僕は 宮崎100:百田0
で宮崎駿を支持する
「永遠の0」って
読んでから 感動した 涙が止まらなかった
というような読者がいたようだけれど
戦争を美化する話って
本でも映画でも
いつも
強い嫌悪感と うそ臭さと
後味の悪さしか残らないのは
僕だけなのだろうか…
先日 目の前で
山雅のキーパーに足をひっかけて
大怪我を負わせた ガンバの大阪のロチャに対して
イエローもとらず
誤審ばかりだったレフェリーって
5月の浦和 鹿島戦で
オフサイドでのゴールを認めた誤審で
大問題になったレフェリーだったんだ…
レフェリーの質の改善なく
サッカーの質の改善なし
大阪出身の彼のレベルアップを望む
山雅のキーパーに足をひっかけて
大怪我を負わせた ガンバの大阪のロチャに対して
イエローもとらず
誤審ばかりだったレフェリーって
5月の浦和 鹿島戦で
オフサイドでのゴールを認めた誤審で
大問題になったレフェリーだったんだ…
レフェリーの質の改善なく
サッカーの質の改善なし
大阪出身の彼のレベルアップを望む
堺雅人って 宮崎 国富小卒なんだ
半沢の剣道のシーンが彼なら
剣道の強い宮崎で鍛えたんだな
堺も香川も 凄い演技だな と思った
そして何故か小津の映画のカットが出てきて
小津の映画の演技と非対称性を感じた
黒澤なら彼らの演技についてどう指摘するのかな…
追伸 昨日 山田洋次が長野で講演したようで
非正規が多くなっているスタッフの雇用形態の変化が
映画の質に影響している話をしていたそうだ
おやすみなさい☆
半沢の剣道のシーンが彼なら
剣道の強い宮崎で鍛えたんだな
堺も香川も 凄い演技だな と思った
そして何故か小津の映画のカットが出てきて
小津の映画の演技と非対称性を感じた
黒澤なら彼らの演技についてどう指摘するのかな…
追伸 昨日 山田洋次が長野で講演したようで
非正規が多くなっているスタッフの雇用形態の変化が
映画の質に影響している話をしていたそうだ
おやすみなさい☆
今日は松本山雅とガンバ大阪が試合をします
Yahooのリアルタイムでガンバ大阪と検索すると
駅前とか アルウィン周辺とかで
サポーターや 遠藤を見に来た観戦客で
混雑してきている様子が分かります
さて 村上龍みたいにサッカーを語れるほど詳しくないのですが
自分が選手になった気分で 投影して
勝って嬉しい 負けて悲しい そんなひと時を過ごせるので
今日もアルウィンへ観に行ってきます
チケットはアウェイ(ガンバ)席なので
今日は遠藤を投影して 参戦しようと思います
そんな ふわっとした 秋の箒雲のようなサポーターな訳です
Yahooのリアルタイムでガンバ大阪と検索すると
駅前とか アルウィン周辺とかで
サポーターや 遠藤を見に来た観戦客で
混雑してきている様子が分かります
さて 村上龍みたいにサッカーを語れるほど詳しくないのですが
自分が選手になった気分で 投影して
勝って嬉しい 負けて悲しい そんなひと時を過ごせるので
今日もアルウィンへ観に行ってきます
チケットはアウェイ(ガンバ)席なので
今日は遠藤を投影して 参戦しようと思います
そんな ふわっとした 秋の箒雲のようなサポーターな訳です