幼い頃、いや結構いい歳(15歳頃)になるまで
毎年、この時期・・夏には
ひと月ほど宮崎で過ごしていた
つまるところ
赤ちゃんの頃から
毎年ひと夏宮崎で過ごす習慣があったのだから
1年以上は住み、その期間遊び続けていた、という
そんな過去の生活習慣があった
羽田空港に向かう扇風機の回る電車を覚えている
浜松町では踊り場のある階段をあちこちしながらモノレールに乗る
今の羽田空港でない 以前の羽田空港も覚えている
全日空のデザインだって今とは違っていた
東亜国内航空という赤と緑の飛行機だって覚えている
宮崎空港につけば 通り中央のヤシの木の姿は変わらない
海の家の匂いは 確実に記憶にある
なんと言うかな?サウナで嗅ぐような・・
いや 暑さで木が熱せられた独特な匂いである
甘い卵焼き
波音を背景に 砂のついた手も気にせず
おばあちゃん達の作ってくれた おにぎりを頬張り
そしてまた海へ走り 遊ぶ
そんな あの日を忘れない
宮崎駅から青島駅へ向かうディーゼル機関車では
トイレの穴が開いているだけの便器には驚いた
線路沿いに住む おばあちゃんの姉に
機関車からお土産を投げ渡した思い出
たくさん遊んだこどもの国の思い出
線路沿いに咲くピンク色のきれいな花
キョウチクトウの葉には毒があることを知り
青島駅に降り立つ 海水浴客でごった返す駅
いつもの かき氷の自動販売機を横目に
青島へ向かう
ハワイアンの流れる土産屋 揚げて甘くしたカニの試食頬張りながら
毎年 大きなハニワが欲しくなり
そして
モノクロ写真を撮られ 帰りには出来上がっている この場所
全てが懐かしく 体にしみついている宮崎なのである
両親はたくさん遊んでくれた
お盆も働く今の自分としては
そのギャップを感じると
子供への申し訳なさを 感じることも正直ある
でも 時代の変化で あの頃のゆとりの時代とは違い
現代は 仕方ないと自分に言い聞かせたりもする
話はそれたが
宮崎の思い出は 別に思い出そうとしなくても
いつも思い起こせる それが子供の頃の体験の記憶というものなのだろう
大きなクラゲを竹で突き刺して 見せびらかせた
砂を掘れば底から水が出てきて池やトンネルを作り
砂で平和台公園の塔みたいなのを作ったり
鬼の洗濯板ではヤドカリやとても大きなカニ捕りをしたり
いくらでも思い出せる
宮崎で過ごした時間 思い出は
僕の人生においてかけがいのないもの
それだけは断言できる
いいがぁ~
その優しい言葉を聞くと安心する
祖母や 親戚のみんなに
よく帰ってきたねぇ と言われると
ここが僕の故郷と錯覚しながら 何かとても安心する すこし涙目になる
それが僕にとっての宮崎である
今年は運良く台風の合間をぬって
3泊4日で宮崎へ帰ったが 本当はあの頃のように
もっともっとゆっくりしたかった
そんな風に思いながらブログに記す今宵である
おやすみなさい☆