Kanedaiのブログ

ぼくの きょうみのあること おもったこと

チェルノブイリ原発事故について リンク

2012年01月06日 | Weblog
チェルノブイリ原発事故について
丁寧に書かれているブログ
リンクさせて頂きます

年が明けて原発事故についての
新聞記事 テレビの報道が
かなり減少したことを感じているのは
僕だけでしょうか

あたかも収束したような印象に
日本人の悩を操作している気がします
誰が情報統制の影響を受けるか!
誰が騙されるか!
そういう思いで一杯です

反戦について 非国民と言って非難し
志願兵の若い命を奪った構図と

反原発について 被曝しない理屈 電気の必要性 経済の優先性を述べ
子供の命を 健康を度外視する構図

全く同じである

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競争原理がもたらすもの

2012年01月06日 | Weblog
生産年齢者の大半が
学歴社会という名のもとに
受験戦争を繰り返し
競争しながら過ごしてきたと思う

そんな時代の中
競争によってもたらされる好影響よりも
悪影響に目がいってしまう

もし相手を蹴落とすことで
競争に勝とうとするのなら
そこに何の意味があるのだろうか
とつくづく思う

例えばサッカーで
審判の見ていない所で
敵を怪我させて勝とうとすることに
何の意味があるのだろうか

例えば仕事において
他部署を陥れることで
自部署を優位にしたり
自身のポストを狙うような行為に
何の意味があるのだろうか

そういう行為は
結果的には
チームにとって 組織にとって
負の影響をもたらすだけだと思う

フェアプレーをしろ 
誰も見ていない所であっても
フェアプレーで切磋琢磨してこそ
競争の意味があると思う

スポーツでは
プレー中に起きるであろう 
あらゆる可能性に対してルールが決められている
しかし仕事においては
そのやり方についてフェアプレーを行うためのルールは作りづらいし 
審判しづらいと思う
社会人として…とか 道徳的に…とか
そんな言葉で片付けれてしまう
そこに漬け込んで
何かを企み ずる賢く振舞おうとするような
私利私欲の輩が
仕事において
また政治においても 
存在しているであろう時代に
競争原理の意味を
再度考え直してしまうのである

信じあうことの大切さ
競争より心と心を通わせながら
本当の絆を持って
生きていける環境が
そういう生き方が
どれだけ大切なことか
改めて感じている

追伸
いい会社に就職するために
いい大学に行くために
いい高校に行くために…
政治家にも 官僚にも
そんな風に育った人間が
大半を占めていそうであるから
本当にうんざりする
そんな人間が
頭がいい?ような顔をして
権力者として
社会的優位な立場で
発言し 制度を決めるのだから
世も末と感じてしまう今夜である

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Run

2012年01月06日 | トレーニング
職場→家

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