四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

CUROのプロフィール

2011-08-15 13:17:30 | CURO
今日は続けて投稿します、このブログを書いているCUROのプロフィールです。



1978年、高知県立中村高等学校をようやく、ようやく、土下座して卒業

1978年、「専門学校」に行くと親に嘘を言って「作詞家」になる為上京。

1980年頃?、アルバイトをしながら作詞家&音楽ライターを目指して低迷期。
この頃にどう言う偶然からからか、世田谷区は下北沢駅ホームにて「聖徳女子高校」の
女子高生の残り香をホームにて堪能していた田んぼのメインVo,橋田昭和と再会。

「CURO(もちろん本名)やないがか?」見りゃ分かるだろ!「おうっ!」
「何しようがぜ?」何とかならんかその幡多弁!「仕事、お前は?」「女の子見よった」
お前らしいわっ!「そうか、何で東京に?」「音楽をやりに」「そうか‥」と再会。

1年ほど2人で楽曲を作るがCUROにはめ込みの才能(先にあるメロディーに詞をつける事)が
無かった為作品を残せず、この間、橋田には飯を食わせて貰ったりお金を貸して貰ったりと
随分と世話になり感謝するも、酒が入るとそれを恩に着せる橋田に切れ泥酔の橋田を飲み仲間と
素っ裸にして顔に落書きし、鼻の穴に豆を詰め自宅アパートの押し入れに放置、橋田死にかける。
この時の証拠写真あります、見ます?橋田さん。

1983年、東京の音楽仲間の紹介で「新宿ルイード」に入社、実質の音楽業界人生のスタートを切る。
「新宿ルイード」はシャネルズ、佐野元春、山下久美子、渡辺美里、尾崎豊等を輩出した伝説のライブハウス。
ちなみにCUROは徳永英明のデビュー曲「レイニーブルー」時からの付き合い。
「徳ちゃん」「CURO」さんと呼ばれる関係を構築、今は無理、当然「徳永さん」

1983年暮れ、遅刻ばかりしていた為当時の「新宿ルイード」のプロデューサーの怒りが爆発!
「お前は北に行け!!」と左遷、埼玉県に飛ばされる。
しかし人間何がラッキーになるか分からない、この事件のお陰で怒涛のラッキー人生のスタート。

埼玉県のライブハウスでくすぶっている時に後のバンドブームと呼ばれるアーティストのライブを
手掛ける、ユニコーン、エレカシ、X,ジュンスカ、ブルハ、プリプリ,etcと全て?のバンドと出会う。

波に乗るには波が来る場所に居る必要があるByCURO,でバンドブームの波に乗り「カステラ」と
と供にメジャーシーンに乱入、カステラデビューアルバム「世界の娯楽」オリコン初登場3位。
この時点では波の来るチャゲ&飛鳥より上位の成績、イニシャル5万枚。トータルセールスス9万枚。
時代のトップグループにポジションニング、調子に乗る。

追加、Xのディレクターは友人でXの代々木オリンピック公演のコンサートを見に行った際、プリプリの
奥居香さんと再会、一緒にタクシーで六本木の「ピット・イン」にライブを見に行く。
おりっ?と喜んでいると「当時の彼氏」の雰囲気と似てたらしい、「岸谷五郎」さんか‥
そらゃ、似てるはな、彼も地元では伝説のヤンキーでしょ、今は旦那さんだし。

てな訳で、一応音楽業界のトップシーンを見て来ました。
その後引退して20年弱、今どうしてもあの頃の四万十市の音を紹介したくてしかたないのです。


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