2004年、日本映画
プロデューサー:伊勢真一・菅原淳一
監督:澄川嘉彦(すみかわよしひこ)
撮影:太田信明ほか
音響構成:米山靖
音楽:三上憲夫
語り:小室等
【あらすじ】
岩手県のほぼ真ん中にある早池峰山(はやちねさん)の麓に「タイマグラ」と呼ばれる小さな開拓地がある。戦後10軒あまりの農家が入植したが、東京オリンピックの頃にはほとんどの家が山を去り、向田(むかいだ)久米蔵・マサヨさんの二人だけとなった。
それから20年あまり後の昭和63年、畑仕事にいそしむ向田さん夫婦の静かな暮らしに二っの事件があった。ひとつは夏に久しぶりのお隣さんができたこと。大阪出身の若者(奥畑充幸さん)が開拓農家の残した空き家を借りて住み始めたのである。もうひとつは、年の瀬になってタイマグラに電気がひかれたこと。昭和の最後に灯った明かりであった。
自分が畑で育てた大豆を使っての豆腐作り、「お農神さま」への信仰、春一番の味噌作り 土に生きる素朴な暮らしぶりにかわりはないが、マサヨばあちゃんの歳月にはさまざまな出来事が起きてゆく。長年つれそった久米蔵さんの死、大雨にたたられた不作、奥畑さんの結婚、そしてばあちゃんが産婆をすることになった長男の誕生… 。
2000年の春、ばあちゃんは心臓の発作で山をおり、一昨年の暮れに亡くなった。しかし、ばあちゃんの生きた証は消えない。タイマグラに住み続ける奥畑さんは家族とともにばあちゃんが教えてくれた味噌作りを受け継いでいこうとしている。
NHK-BSで拝見しました。
撮影は平成ですが、映像は昭和のにおいがプンプン。NHKの「新日本紀行」の雰囲気があります。
山の中で畑を耕して自分たちが食べるものを作り、日が暮れると眠りにつき、日の出と共に活動を始める生活が延々と繰り返されます。
なんだか、老夫婦が自然の一部として溶け込んでいるかのよう。
あ、途中で電気が通ったのです。
でもやっぱり、夜は暗くなると寝てしまう。
山の動物たちもちょくちょく姿を現します。
作物が荒らされてもばあちゃんは怒りません。
「人間が勝手に入ってきて畑を耕してるだけ。もともとは山の生き物の場所だから」という考えなのです。
じいちゃんは91歳で亡くなりました。
死ぬ2日前までは自分でトイレを済ませ、大便後に「これでお終い」と云ったそうな。
ほんとにそのまま逝ってしまった。
山に帰ったのかな。
春は味噌造り。煮た大豆を長靴を履いた足で潰して練り上げ、それを固めて屋内にぶら下げます。家に居着いた麹菌が発酵を担当します。
秋はジャガイモを収穫し、それをヒモに通して乾燥させます。凍って溶けてを繰り返すとイモが粉末になりやすく、それを団子にして主食にします(米は収穫できないため)。
冬は豆腐づくり。当然自作です。
自然の中で生きていること。
娯楽も楽しみもない生活だけど、じいちゃんとばあちゃんの穏やかで満足そうな表情が忘れられません。
まるで昔話のよう。
隣人の奥畑さんは、現在民宿「渓山荘」を経営しています。
彼がタイマグラに来たのは昭和63年。
私が大学を卒業して就職した年ですね。
こんな人生もあるんだなあ。
★ 5点満点で4.5点。
<受賞歴>
・ サルディニア国際民俗学映画祭(イタリア)で大賞を受賞しました。
・2006年3月:アメリカ・ウインストンセーラムで行われた「第8回 リバーラン国際映画祭」において最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。
・2006年3月:フランス・パリで行われた「第25回 民族学映画祭」において特別賞を受賞しました。
・2006年3月:スイス・フライブルグ市にて行われた「第20回 フライブルグ国際映画祭」において最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。
・「2004年度第78回キネマ旬報文化映画ベスト・テン」第5位、そして「日本映画ペンクラブ会員選出 日本映画ノンシアトリカル 」第5位に輝きました。
プロデューサー:伊勢真一・菅原淳一
監督:澄川嘉彦(すみかわよしひこ)
撮影:太田信明ほか
音響構成:米山靖
音楽:三上憲夫
語り:小室等
【あらすじ】
岩手県のほぼ真ん中にある早池峰山(はやちねさん)の麓に「タイマグラ」と呼ばれる小さな開拓地がある。戦後10軒あまりの農家が入植したが、東京オリンピックの頃にはほとんどの家が山を去り、向田(むかいだ)久米蔵・マサヨさんの二人だけとなった。
それから20年あまり後の昭和63年、畑仕事にいそしむ向田さん夫婦の静かな暮らしに二っの事件があった。ひとつは夏に久しぶりのお隣さんができたこと。大阪出身の若者(奥畑充幸さん)が開拓農家の残した空き家を借りて住み始めたのである。もうひとつは、年の瀬になってタイマグラに電気がひかれたこと。昭和の最後に灯った明かりであった。
自分が畑で育てた大豆を使っての豆腐作り、「お農神さま」への信仰、春一番の味噌作り 土に生きる素朴な暮らしぶりにかわりはないが、マサヨばあちゃんの歳月にはさまざまな出来事が起きてゆく。長年つれそった久米蔵さんの死、大雨にたたられた不作、奥畑さんの結婚、そしてばあちゃんが産婆をすることになった長男の誕生… 。
2000年の春、ばあちゃんは心臓の発作で山をおり、一昨年の暮れに亡くなった。しかし、ばあちゃんの生きた証は消えない。タイマグラに住み続ける奥畑さんは家族とともにばあちゃんが教えてくれた味噌作りを受け継いでいこうとしている。
NHK-BSで拝見しました。
撮影は平成ですが、映像は昭和のにおいがプンプン。NHKの「新日本紀行」の雰囲気があります。
山の中で畑を耕して自分たちが食べるものを作り、日が暮れると眠りにつき、日の出と共に活動を始める生活が延々と繰り返されます。
なんだか、老夫婦が自然の一部として溶け込んでいるかのよう。
あ、途中で電気が通ったのです。
でもやっぱり、夜は暗くなると寝てしまう。
山の動物たちもちょくちょく姿を現します。
作物が荒らされてもばあちゃんは怒りません。
「人間が勝手に入ってきて畑を耕してるだけ。もともとは山の生き物の場所だから」という考えなのです。
じいちゃんは91歳で亡くなりました。
死ぬ2日前までは自分でトイレを済ませ、大便後に「これでお終い」と云ったそうな。
ほんとにそのまま逝ってしまった。
山に帰ったのかな。
春は味噌造り。煮た大豆を長靴を履いた足で潰して練り上げ、それを固めて屋内にぶら下げます。家に居着いた麹菌が発酵を担当します。
秋はジャガイモを収穫し、それをヒモに通して乾燥させます。凍って溶けてを繰り返すとイモが粉末になりやすく、それを団子にして主食にします(米は収穫できないため)。
冬は豆腐づくり。当然自作です。
自然の中で生きていること。
娯楽も楽しみもない生活だけど、じいちゃんとばあちゃんの穏やかで満足そうな表情が忘れられません。
まるで昔話のよう。
隣人の奥畑さんは、現在民宿「渓山荘」を経営しています。
彼がタイマグラに来たのは昭和63年。
私が大学を卒業して就職した年ですね。
こんな人生もあるんだなあ。
★ 5点満点で4.5点。
<受賞歴>
・ サルディニア国際民俗学映画祭(イタリア)で大賞を受賞しました。
・2006年3月:アメリカ・ウインストンセーラムで行われた「第8回 リバーラン国際映画祭」において最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。
・2006年3月:フランス・パリで行われた「第25回 民族学映画祭」において特別賞を受賞しました。
・2006年3月:スイス・フライブルグ市にて行われた「第20回 フライブルグ国際映画祭」において最優秀ドキュメンタリー賞を受賞しました。
・「2004年度第78回キネマ旬報文化映画ベスト・テン」第5位、そして「日本映画ペンクラブ会員選出 日本映画ノンシアトリカル 」第5位に輝きました。