新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

能登の復興を半年もさぼり、世界の潮流からも遅れてしまった岸田文雄

2024年07月02日 12時03分38秒 | 岸田文雄

世の中の情勢を全く無視しているかのように自民党内で「コップの中のささやではささやかな嵐が起きているらしい。
 
茂木敏充氏が自民総裁選に意欲も…《河野もあり得ないが、茂木もあり合えない。そろって勘違い》と悪評ふんぷん
 

《河野さんも勘違いしているようだが、この人も恥ずかしいぐらいの勘違い》
 SNS上で一回ぐらい、自身の評判について少しは「エゴサーチ」した方がいいのではないか。自民党の茂木敏充幹事長(68)のことだ。茂木氏は30日のフジテレビ番組で9月の自民党総裁選への対応を問われた際、「一般的には7月、8月。最近、9月も暑くなっているが、その間に考えたい」などと言い、さらに「首相になってやりたい仕事があるのは間違いない」などと、自らが出馬に前向きな姿勢を示したのだ。
党総裁選を巡っては、河野太郎デジタル担当相(61)や石破茂元幹事長(67)らが出馬意欲を示している、などと報じられている。自身もこのタイミングで意欲を示さないと「乗り遅れるかも」と考えのかもしれないが、茂木新総裁を望む声はほぼ皆無だ。
理由は決まっている。茂木氏の器の小ささだ。
■自身のマネロン疑惑もいまだに説明なし
 安倍政権下で閣僚を務めた時代はしょっちゅう、閣僚席から野党の質問者に汚いヤジを飛ばし、懸命に説明する官僚すら罵倒する姿がNHKの国会中継の映像に流れた。
  今回の裏金事件を巡る「自民とカネ」の問題では、自身の資金管理団体が、使途公開基準の緩い政治団体「茂木敏充後援会総連合会」に毎年多額の資金を寄付し、支出の具体的な内容が不明になっている事実も発覚。資金移動は2009~22年の14年で実に4.4億に上るなど、「マネー・ロンダンリング」疑惑が指摘されているものの、茂木氏からはいまだに何ら説明はない。
 今、自身の身の回りに起きている事象すら、きちんと国民に説明できない政治家が総裁、総理になって、さらなる国内外の大事について説明責任を果たせるはずがないではない。これが国民感情だろう。
《河野もあり得ないが、茂木もあり合えない。そろって勘違い》
《そもそも茂木さんは幹事長なのに、親分・岸田の足を引っ張るような言動はどうなの?人間性としてダメだろう》
 自民党はまずはいったん、下野しないとだめだろう。

 
傍からみればこんなポンコツ連中から自民党総裁が出て、解散総選挙となれば、自然に、自民党は下野せざるを得ない状況になることが期待されるというものであろう。
 
ポンコツ同士といえば70代後半と80代の、どこから見ても本来ならば政界から引退して毎日孫と遊んでいるような老人たちが、先日米国の次期大統領選挙に向けてテレビ討論を行ったのだが、本当に今後の米国は大丈夫か?という気分になった。
 
結果はバイデンの「惨敗」と報じられたのだが、そもそもこの討論会では米国にとって「一番大事な問題」が語られていないとジャーナリストの高野孟は指摘していた。  

トランプ・バイデンどちらが勝っても米国終了。ヨボヨボになった“元覇権国”と心中する気マンマンの情けない日本」  
 

■終焉迎えたアメリカ主導の世界秩序。7年を無駄にした米国に残された唯一の“軟着陸”の手段
バイデン・トランプ討論で語られることがない一番大事な問題/米国主導の世界秩序の終焉後に米国はどう生きるのか?
アミタフ・アチャリアはインド出身の国際政治学者で、現在は米アメリカン大学教授。権威ある世界国際関係学会の会長に非西洋人として初めて選出されたことで10年ほど前に話題になったこともある。その彼が書いたのが『アメリカ世界秩序の終焉/マルチプレックス社会のはじまり』(ミネルヴァ書房、2022年刊)で、この主題を扱った本の中で(もちろん私の目の届いた範囲内ではあるが)最も論理的に整理されていて分かり易い上、導かれる結論も無理なく受け入れることのできる優れ物である。
本書の主張は、訳者あとがきの要約によれば、次の2点である。
第2次世界大戦後に構築された米国主導のリベラル国際秩序(アメリカ世界秩序)は、既にその終焉を迎えている。
この大きな転換期を経て形成されつつある世界とは、新冷戦でも多極構造でもなく、人類がこれまで経験したことのない世界――「マルチプレックス(複合型)世界」である。
ここでいう「リベラル」とは、自由な選挙制度をはじめとした政治的民主主義、国家が個人の自由を妨げないどころかそれを積極的に配慮する人権尊重、自由貿易・自由市場経済など、いかにも米国人好みの価値観をひとまとめにして言う表現である〔日本の政治用語で「保守vsリベラル」などという場合と全然違うので注意〕。しかしそれは米国人が思ってきたほど普遍的で、世界中の人々から受け入れられてきたものだったのかどうかというのが、本書の問いかけの1つである。
「マルチプレックス」とは聞き慣れない言葉だが、日本では「シネマコンプレックス」と呼ばれる、大型ビルの中に10や20もの大中小の映写室があって別々の映画を同時多発的に上映している施設は、本家の米国では「シネプレックス」とか「マルチプレックス」と呼ばれている。そのイメージを借りて本書の著者が創り出したポスト覇権時代の世界を表す概念がこれで、米ソニ極の後の米国一極でも多極化でもなく、また新たな米中二極でもない、「中心軸になるものが存在せず、様々な部分が互いに複雑に依存しあう、全く新しい形の世界秩序」を意味する。
■「中国主導の国際機関が既存の組織を脅かす」の行き過ぎ
マルチプレックス世界は当然にも「多国間主義」である。とはいえ、多国間主義にも「旧」と「新」があり、マルチプレックスに相応しいのは「新」の方である。
「旧」の方は、従来の米国中心の覇権秩序とワンセットというかその従属物のようなもので、例えば、ルーズベルト大統領が作った国連は、建前としては、地上に存在するすべての国が大小貧富に関係なく一国一票で参加できる超フラットな多国間主義の組織でありながら、米国はじめ第2次大戦の連合5カ国が常任安保理事国として拒否特権を与えられ、それを米国自身が最も頻繁に行使し(1986~1995年に米国24回、英国8回、フランス3回、ソ連・ロシア2回、中国0回。また1996~2012年に米国13回、ロシア7回、中国7回)、それでも意思が通らないと決定を無視したり分担金を滞納したりするので、実際には「米国中心の多国間主義」になっていると、本書は指摘し、さらに次のように述べる。
▼「新・多国間主義」は、市民社会運動の役割を重視し、これまでの国家中心ではない、もっと包括的な多国間協力のあり方を提示する。それは、米国のパワーや意志に頼らない「ポスト覇権」の多国間協力のあり方である。安全保障の分野では、「国家安全保障」もしくはNATOの基本原則である「敵に対する安全保障」という米国的な概念に対抗して「協調的安全保障」(もしくは欧州安全保障協力機構〔OSCE〕の「共有する安全保障」)という考え方がヨーロッパから生まれている。
▼加えて、ASEANが実行してきた多国間協力は、国際法的な縛りを意識的に緩くし、関係機関の対立を敢えて避けるという特徴があるのだが(ARFや東アジア首脳会議など)、これは国際法に基づく強制的規制を重視する米欧の多国間主義とは対照的である。
▼経済的分野でも、米国、そしてIMF、WTO、世界銀行などの米国主導の国際機関が推進してきた「自由貿易と市場原理型発展」という伝統的リベラルの考え方から離れて、平等性、社会的公正、富の分配に重点をおき「文化的多様性や社会活動を推進するような新しい方法」が今後の多国間主義に必要だという認識が生まれている。
▼例えば、感染症など健康・医療分野では、世界保健機構(WHO)中心の形から、世銀、各地の地域機関、NGO、そしてビル&メリンダ・ゲイツ財団のような民間組織が参加する、複雑な形態へと変化してきた。このようなNGOやネットワーク型の協力枠組みが増えていることに対して、主に欧米諸国から「国際関係全体を不安定にする」という懸念の声が出ているが、それは、伝統的な国際協力のシステムは、米国と西欧諸国の利益と権力維持に適するものだったからだ。
▼そして、新しい国際機関・制度の近年の目覚ましい台頭も分散化現象の要因と言えよう。BRICSによる「新開発銀行(NDB)」や「緊急時外貨準備基金(CRA)」、中国主導の「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」などが重要で、これを英『フィナンシャル・タイムズ』紙のギデオン・ラックマンは「イースタニゼーション(東方化)現象」と言っている。こうした中国主導の新しい国際機関が既存の組織を脅かすと見るのは行き過ぎで、むしろグローバリズムとリージョナリズム(地域主義)を「交差させる試み」と理解するのが適切である……。
■ピラミッド型からネットワーク型へと転換する世界
この「ネットワーク型」あるいは「ネットワーキング」というのが、21世紀型の組織原理である。20世紀型の組織は総じて「ピラミッド型」で、その原型は軍隊もしくは工場労働システムで、頂点には圧倒的な権限と恒常的な地位を保証された指揮官がいて、その命令一下、まさに上意下逹で合図が伝わって組織全体が整然と動き出すというイメージである。
それに対して「ネットワーク型」は、それこそ本当の意味でフラットで緩やかな人々の繋がりのことで、そのような市民活動のスタイルが米欧で驚くべき勢いで広がっていることを私が知ったのは、1984年に少し長く米国に滞在して、あのベトナム反戦運動を戦った米国の「68年世代」はその後どこで何をしているのかを取材していた時だった。
米国人ジャーナリストのSが私の話を聞いて、「そうだ、いい本があるよ」と書棚から探し出してくれたのがジェシカ・リップナック&ジェフリー・スタンプスの共著『ネットワーキング』だった。帰国してから調べると、正村公宏監訳でプレジデント社から翻訳が出たばかりで、「ヨコ型情報社会への潮流」「もう1つのアメリカの発見」と副題がついていた。そのことを私は1992年に出版した『世紀末・地球市民革命』(学研)の中で要旨次のように述べていた。
▼ネットワークとは、われわれを結びつけ、活動・希望・理想の分かち合いを可能にするリンクである。ネットワーキングとは、他人とのつながりを形成するプロセスである。「もう1つのアメリカ」とは、どこかの場所ではなく、心の状態であり、それこそが、「60年代に何が起こったのか、そして70年代に人々はどこへ向かったのか」という問いに対する答えとなっている。
▼ネットワーキングは、常に変化し揺れ動いている有機的なコミュニケーション形成のプロセスであり、しばしば自分と他を分け離す境界線、内部規則、専任の職員もなく存在することがある。コンセンサスが目標ではあるけれども、不一致は容認され歓迎される。もし気に入らないことがあれば、自分の好きなものを作り出せばいいだけのことで、それを誰も非難したり妨げたりすることはない。スポークスマン的な役割をする人はいても、権力をふるう代表者や理事会のようなものはほとんどない。問題解決のために個人の持っている資質を活用することはあっても、何か「勝ち取る」ようなものはない。アメリカ各地に根付いてはいるが、国境はなく、地球全体の相互関連性をよく認識している――などが底に流れている共通の価値観である。
▼著者たちは、そのような考えで活動している団体に手紙を出し約1,600の団体から返信を得、その中の興味深い実例を紹介している。筆頭に出てくるのは「ボストン女性健康書籍協会」で、女性反戦活動家のナンシー・ホーリーが中心となって1969年5月にマサチューセツ工科大学の校内で30人ほどが集まって開いた「女性とその身体」についてのワークショップが発端となり、『わたしたちの身体、わたしたち自身』と題した本を出版した。それが評判を呼び10年間に全世界で12カ国の言語に翻訳されて200万部以上を発行した(邦訳は『女のからだ/性と愛の真実』=合同出版、74年刊)。
▼「この大きなクモの巣のようなつながり。一人の人が同じような思いを持った大勢の人たちのなかで、ある小さな動きを見せる。それにつれて人々の間に、自然にネットワークができあがる。誰か一人が中心となるのでなく、みんなが参加するのである」……。
■21世紀に生き延びることはできない「覇権システム」
そう、ネットワーク型組織論の原型は、クモの巣=ウェブ、80年代にはまだ一般公開されていなかったけれども、インターネットである。どこにも全体を取り仕切るセンターはなく、代表者も責任者もおらず、技術的な問題を調整する国際ボランティアの委員会のようなものがあるだけ。利用者の誰もが問題を提起して、情報の共有なり研究開発なり抗議行動なりを呼びかけることが出来、それはまさにウェブの1つの編み目が下から持ち上げられるとそこにイニシアティブが形成され、それに賛同し同じ思いを共有する人々が自然に集まってきて共同作業が始まる。そして問題が解決するか、みんなが飽きるかすれば、その持ち上がった編み目は元の位置に下がって何事もなかったかのように鎮まり、また別のところで別の人がイニシアティブを発揮する――という具合である。
これで何もかも上手く行くというわけにはいかないのはもちろんのことで、むしろ逆に、誰でもが全世界に向かっての発信者になることができるというインターネットのその革命性は、個々人のリテラシーというか高い自律的な倫理性に支えられなければ、限りなく人を傷つけてしまうという深刻な問題を孕んでいる。そのリスクを伴いながらも、しかし、そのような組織原理の大転換が20世紀末から21世紀前半にかけて進行中で、だからこそピラミッド型の最も極端な形である「覇権システム」も、また21世紀に生き延びることはできないのである。
■「元覇権国」と心中する準備を急ぐ岸田政権の愚
米国の覇権が終焉しつつあることについては、私は2006年に出版した『滅びゆくアメリカ帝国』(にんげん出版)の特に終章で詳しく論じ、次のように述べていた。
▼米国がパックス・アメリカーナを維持しようとすれば、米国を頂点として欧州とアジアを左右に従えたピラミッド型の支配秩序をあくまで追い求めなければならないが、そんな目標は幻想的で、私が繰り返し言ってきたように、米国は「超のつかない、しかし十分に世界最大級の経済を持つ、普通の大国の一つ」へと軟着陸を遂げなければ大破綻を避けることが出来ない。
▼もし本当に「相対的なパワーが徐々に衰えていくのを自覚しながら、なおかつ最も重要な大国の一つに留まる」道筋を見出すことが出来れば、それがたぶん唯一の現実的な米国の生き残りの道となるに違いない。……
オバマ政権はこの米国にとっての本当の課題をかなりの程度理解し、それなりの努力をしたとは思うけれども、その後を襲ったトランプもバイデンもアッパラパーに終わった。
むざむざ無駄になった7年間の後に、4カ月後に迫った米大統領選で世界が注目することがあるとすれば、アチャリア教授が言うように、米国が思いのままに世界を動かせるかに見えた米国中心の覇権システム、すなわちリベラル世界秩序はもうとっくに終焉しているのだという辛い真実を率直に国民に語りかけ、これからは中国と肩を並べるか少し追い越されるかもしれないけども「いくつかの経済大国の1つ」というワンノブゼムに甘んじて生きていくことを学ばなければならないのだと説得できる、まともな人物が出てくるのかどうかである。
27日夜のバイデン大統領とトランプ前大統領のテレビ討論を観て確かめるまでもなく、そんな可能性は絶無。だとすると世界の安全保障にとって最大の危険は、老大国=米国の(自分がどこに居て何をすべきなのかの自覚が定かでないという意味で)認知障害的な徘徊・妄動・暴走にあることを覚悟しなければならない。日本政府は今更ながらに嬉しそうに日米軍事一体化に走り、ヨボヨボの元覇権国と心中する準備を急いでいるかのようである。

 
その日本政府のトップは、いまさらながらこんなことを言っている有様。
 
『能登創造的復興タスクフォース』発足 岸田総理「霞が関が一体となって全力で支援
  
能登半島地震の発生から半年を迎えるきょう、復興、復旧を省庁横断型で支援するための拠点「能登創造的復興タスクフォース」が発足しました。
「能登の常駐職員を150名規模に拡大をし、新たにこの創造的復興タスクフォース、これを創設いたします。復興の隘路となる課題を霞が関が一体となって解決するなど、その力を最大限発揮しながら、被災自治体のニーズに沿った創造的復興まちづくり、全力で支援をしてまいります」
石川県を訪れ、タスクフォースの発足式に参加した岸田総理は、復興、復旧に霞が関一体で取り組む考えを改めて示しました。
タスクフォースは、家屋解体や水道の復旧をはじめとした課題に省庁横断型で取り組むための支援拠点で、政府は150人規模の常駐職員を被災地に派遣したうえで復興に向けた取り組みを加速したい考えです。

 
地震発生から半年も何もせずに、総裁選が近づいてバラマキを始めるとは、こんな驚きと怒りと批判が出るのは当然であろう、とつくづくオジサンは思った。
 


  


 【参考】

 

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