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CPNN(平和の文化ニュースネットワーク):国連の「世界の子どもたちのための平和と非暴力の文化国際10年」(2001~2010)

生命尊重・非暴力・助け合い・良く聞く・地球環境・寛容と連帯・男女平等・民主主義の記事を配信します。

おおきく振りかぶって

2009-05-14 01:08:17 | 
レポーター ジュン

 私は高校の時野球部にいて友達に薦められて読んだ本を先生にお勧めします。この本は、公立高校の新設硬式野球部を舞台に、甲子園優勝を目指す主人公たちの成長を描くものです。
 新入生ばかり10人の無名の野球部が甲子園を目指すという王道を受け継ぐ筋書きながら、 斬新な表現方法により「全く新しいタイプの野球漫画」「描き尽くされたと思われていた野球漫画に新風を吹き込んだ」と思います。
主人公である投手の弱気で卑屈といったこれまでの野球漫画の主人公においてまず考えられない性格や、メンタルトレーニングなどのスポーツ心理学に焦点をあてていること、ライバル含む各選手の感情の起伏などといったメンタル面に比重を置き表情豊かで繊細な心理描写が見られること、父母会・家庭・応援団の描写や高校のクラブ活動としての日常描写にも試合同様に多くのページが割かれることなどが大きな特徴です。
 試合描写は論理的と評されることが多く、一球ごとの細かな読み合いによる心理戦が展開される。主要な試合では途中のイニングを飛ばして描写されることもなく、ほぼすべての打席の結果が分かるのも特徴。配球も詳しく描かれています。
単行本のおまけにはルール解説や実際に高校野球に関する取材をしなければ分からないだろうエピソードなども含まれており、高校野球に関心の薄かった層にも取り付きやすく、年齢性別を問わない広い層に人気があります。
舞台となっている埼玉県立西浦高校は、作者のひぐちアサの母校である埼玉県立浦和西高等学校がモデルで、作中に登場する校舎や駅や球場はほぼ現実のものに基づいている。軟式野球部から硬式野球部に変わったことや、グラウンドの風景なども実物にかなり忠実に再現されている。作者自身も頻繁に母校の野球部を訪れ、練習などを長期取材している。
 物語のあらすじは、主人公の三橋廉(みはし れん)は中学時代、祖父の経営する群馬県の三星学
 園野球部でエース投手だったが、チームメイトからは「『ヒイキ』でエースをやらせてもらっている」と疎まれ続け、極端に卑屈な暗い性格になってしまう。その暗い思い出を拭うために埼玉県の西浦高校へと進学する。
西浦高校には発足したての野球部(正確には軟式野球部が硬式野球部になった)があり、部員は新入生ばかり10人、しかも監督は若い女性という部活だった。部員不足の野球部で三橋はまたもエースを任せられます。個性の強い部員達、弱気で卑屈なエース等々、様々な問題を抱えながらも、人間として、野球部としての成長を描く。
私はこの本を読んで、野球の素晴らしさ、仲間の素晴らしさ、チームプレーの重要さなどがよく学べ
たと思います。ぜひ読んでください。

モデレーターのコメント
 スポーツをテーマとした作品は多いですね。それらの中でこの映像はどのように位置づくのでしょうか。映像の中から作詞者のことばを汲み取って見ましょう。

ピースキー:
(3)助け合い  (4)傾聴   (8)民主主義

うしおととら

2009-05-14 00:50:10 | 
レポーター 通りすがり

作者・藤田和日郎 出版社・小学館
 この漫画のテーマは「人間賛歌」。
 主人公は「獣の槍」を扱う少年、潮(うしお)。
そしてもう一人(?)の主人公となるのがとら。うしおの家の蔵地下に閉じ込められ、とあるきっかけで解放された。元は残忍な妖怪だったらしく、隙を見てはうしおを食べてやろうと目論んでいる(しかし毎回失敗する)。話が進むごとに、とらは人間に対する理解が深まっていく。そして、妖怪だからこその立場で、人間にアドバイスすることもある。
 うしおは対妖怪の武器である「獣の槍」をふるい、数々の妖怪と闘っていく。時には闘いを経て、戦友となる妖怪もいる。妖怪にも妖怪の筋があり、人間の筋と違っているのが印象的だ。例えば、工事で住処を追われたかまいたち兄弟。彼らは元は自然に住んでいたが、人間によって住処を奪われてしまった。そのため、人間を恨んでいるという。この話の他にも、人間のエゴによって犠牲になった妖怪もいる。危害を与えるだけが妖怪ではない、ある意味では人間も同じである、とも言える。
少年うしおは、許せないことには体全体で反発する。闘いながら、相手の言い分を聞く。そして妖怪のために涙を流す。人のためにも涙を流す。まだまだ幼い少年ではあるが、だからこそ純粋な気持で、相手に向き合えるのだろう。全くもって、うらやましい限りだ。
 終盤、巨大な敵「白面の者」と闘う時、人間と妖怪はバラバラになって挑んだが、惨敗。うしおととらが力を束ね、再度人間と妖怪が一丸となって巨大なる敵に挑んでいく姿はとても雄々しい。この作品を象徴する、もっとも印象的な言葉がこれだ。
「お前と戦っているのは、俺たちだけじゃないから。今俺たちは、太陽と一緒に戦っている!」
 最初から読まないと、この言葉の重みがわからないのが、難点といえば難点。巻数も多いため、読
み切るのには時間がかかってしまう。けれどそれを抜きにしても、全力でオススメできる作品。

モデレーターのコメント
ピースキー:
(1)生命の尊重 (3)助け合い (8)民主主義

「ふんふんなんだかいいにおい」

2009-05-14 00:19:44 | 
レポーター りんご

この絵本は、ある女の子がお母さんのために、森へプレゼントを探しに行きます。その途中で、くまの子やきつねの子、おおかみの子に出会います。そして、その子達と一緒に自分の家へ戻り、お母さんの作ってくれた料理をみんなで食べます。3匹の動物たちは、人間の家でご飯を食べたことがないので、ぐっちゃぐちゃになりながらも、おいしそうに食べていました。そうすると、きつねとくまの子は、「そろそろ眠くなったから、帰ろう」や、女の子がお母さんの膝の上に座っている光景を見て「僕もお母さんにに会いたくなったから帰る」といって、女の子の家を後にします。
そんな中で、いきなりおおかみの子は泣き出してしまいます。小さいときにお母さんが死んでしまっていて、帰ってもお母さんがいないと泣くのです。すると、女の子は「今日はお母さん貸してあげる」といって、お母さんの膝にしばらく座らせてあげます。そして、おおかみが帰る時に女の子は「またいつでもお母さん貸してあげる」といい、お母さんも「何だか子どもがひとり増えたみたい」と喜びま
す。
 私が小さい頃に、この本を読み聞かせてもらった時、よく泣いていた覚えがあります。普段は強がっていても、やっぱり親の温もりが誰にだって必要であることを感じさせられます。女の子も、同年代の子にお母さんを貸してあげようという発想が持てるのも、日頃の母と子の関係がしっかりと形成されているからこそ、出来ることではないかと思った。

モデレーターのコメント
 絵本の中には人間の優しさを表現したものが多いですね。年齢が上がってもその優しさを失わないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。この絵本にはそのヒントがたくさん散りばめられていると思います。
ピースキー:
(1)生命の尊重  (3)助け合い  (4)傾聴   

銀河鉄道999

2009-05-14 00:12:06 | 
レポーター パパandママス

私は漫画家の松本零士先生の生む詩が好きだ。数ある内でも特に印象に残っているのは、『銀河鉄道999』で使われていた「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というものである。これは漫画家になった松本零士先生ご本人の体験から生まれた言葉だろう。
彼は以前何かのインタビューで言っていた。まだ売れておらず、駆け出しだった頃、同じアパートで同じ夢を持った者同士が集い漫画を描き、自分たちが成功した時のことを語らったと。はたから見たら大風呂敷を広げたただの口だけの若者たちだったかもしれない。しかし、今現在、それに似たようなことが皆できているのだと。
ようは、信じて諦めないことが肝心なのだと思う。私も大きな夢がある。それは食っていけるかなんて言う保証のない、親不孝な夢だけど、一度乗り掛かった船なので果たしたい。時間とともに精一杯生きよう。

モデレーターのコメント
 人間は人間たる所以は夢を持ち、その夢に向かって努力をすることですね。夢に向かって歩むことの大切さをマンガの一節から紹介していただきました。

ピースキー:
(4)傾聴  

「おぼっちゃまくん」

2009-05-12 00:41:27 | 
レポーター うに

 世界トップの財閥の一人息子が色々な問題をお金で解決していく、少年向けの下品なギャグ漫画です。主人公は決して品行方正でもなく、道徳的に尊敬できるわけでもない。欲望に忠実で、ねたみや憎しみ、傲慢さや無分別、特異な外見、人として恥ずべきところを兼ね備えており、唯一挙げられる長所といえばお金が湯水のようにあるだけ。しかもそれは親の財産であり彼の長所だと言いにくいところもある。   
人間のもつ忌み嫌われるような欲望も、金で解決していく。こうみるととても良い漫画とは思えない。しかし、彼の挑戦は成功もすれば失敗もする。お金で解決できたり、できない問題もある。そのような成功・失敗の場面において彼は非常に素直に、喜び、楽しみ、悲しみ、悔いる。彼は自身の力として依るべきものはお金しかないと考えているが、それは品行方正でもなく、道徳的に優れているわけでもなく、美しい外見をもっているわけでもないからだ。ある意味では彼は非常に素直な人間であると感じさせられ、等身大の人間のようにみえる。
 ギャグ漫画であるが故に非常に滑稽に描かれているが、裏をみかえせば、人間というものをリアルに映し出している漫画といえる。登場人物たちそれぞれも、心の美しさと同時に心の醜さも随所にあらわしている。彼らの人間関係は、決して盤石ではなく何かの打算で崩れ落ちるモロさも兼ね備えている。そんな中でもつづいていく関係に人間のはかなさを感じ、ときおり見せる「ひとの情」にことさら美しさを感じさせられる。とっても味わい深い漫画だと思う。

モデレーターのコメント
 人間というものはそんなに完璧ではありません。また逆に全くおかしいということでもありません。このマンガが人間の弱さを象徴しているのだとすれば、人間は如何に表だけをきれいにしようとするのか。そんなことが読み取れるのではないでしょうか。

ピースキー:
(4)傾聴   (6)寛容と連帯  

TERUTERUTENSI

2009-05-12 00:21:12 | 
レポーター アイ


中学校の頃から好きになった絵本があります。たむらみえさんが描く、「TERUTERUTENSI」という絵本です。キャラクターは小さいので、どちらかというと幼児むけではないけれど魅かれるところがありました。前向きな言葉と共に、かわいらしい絵がいつもありました。1ページ1ページに楽しさがあり、心が暖かくなる絵本でした。いつしか全作品持っている私だけでなく、小学生の妹や母でもはまっていました。
本屋さんに行く度に新しく出ていないかと足を運ぶ回数が多くなっていきました。ある時、TERUTERUTENSIのボールペンやメモ帳、シールといろんなものが置かれるようになりました。あまり知られてはいなかったけれど、すごく嬉しかったのを覚えています。なぜこんなにも吸い込まれたのかと考えると、よっぽど安心感や癒されるものがあったのだと思う。
私のように同じ気持ちだった人はこの世界でどのくらいいるのだろう。いろんな人に知ってもらいたい絵本です。

モデレーターのコメント
 内容の紹介があればもっと読みたくなりそうですね。「心が暖かくなる絵本」はたくさんありますが、大人になってもそう思える絵本は本物ですね。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (4)傾聴   


アヒルと鴨とコインロッカー

2009-05-08 15:49:05 | 
レポーター tom

 男は2丁の拳銃を取り出して言った。「モデルガン。椎名の分もある。一緒に本屋を襲わないか?」この春、仙台の大学に受かった椎名は東京の親元を離れ市内でアパート暮らしを始めた。椎名は部屋の外で不用になったダンボールの箱を畳んでいた。つい無意識にボブ・ディランの曲を口ずさんだ。それは昔、中学のときに好きだった女の子に聞かせようと頑張って覚えた曲だった。
 「ディラン?」背後で声がした。振り向くと痩せた若い男が微笑んでいた。男は右隣の部屋の住人だった。椎名が挨拶の品を持って部屋に行くと酒を勧められた。男は「河崎」と名乗ってアパートの様子を教えてくれた。自分はディランの声を神様の声だと思っていること。このアパートには外人が住んでいること。隣のさらに隣の部屋にはブータン人の留学生がいて名をキンリー・ドルジェということ。そしてドルジェは一昨年あたりから引きこもりであること。ドルジェは「アヒル」と「鴨」の違いを知るために辞書を欲しがっていること。それにはかなり詳しい「広辞苑」のような分厚い奴が必要なこと。自分はドルジェを励ますために本屋を襲って入手する計画を立てていたこと。「きっかけが欲しかったんだ。ずっと誰かを待っていた。まさかそれがディランを唄える男とは」入学式のあった晩。
 椎名の部屋のドアをノックする者がいた。椎名がドアを開けると河崎が立って微笑んでいた。「さあ行くぞ」モデルガンを差し出して「本屋だ。本屋を襲うんだ」椎名は断りきれずに手伝う羽目に・・・。
 最初は何がなんだか分からずに物語はすすんでいくのだが、物語が中盤になっていき話のつじつまが合ってくる。そして、後半は驚くような展開が続き、クライマックスとなる。内容的には悲しくなる映画で考えさせられる映画だった。タイトルである「アヒルと鴨とコインロッカー」という三つの単語がとても重要で、映画を観終わったときにはなるほどと思う。世の中、なにが正しいかはっきりなことは言えないが、この映画は、自分だったらどうするのかという気持ちにさせる映画である。

モデレーターのコメント
 ボブ・デュランといえばかつては反戦のフォークシンガーでした。この作品がそこまでを意識しているとすれば、この「本屋を襲う」ということが何を意味しているのか読み取る必要がありますね。奥のある作品ですね。

ピースキー:
(3)助け合い  (4)傾聴

空の中

2009-05-08 15:39:00 | 
レポーター kondo

著者:有川 浩

あらすじ
200x年日本初の超音速旅客ジェット機「スワローテイル」と航空自衛隊のF15Jイーグルが高度2
万メートルを飛行中爆発炎上するという原因不明の事故が起きた。それと同時に高知県にすむ少年が未確認生物を水辺で拾い、連れ帰るところから物語は動き出す。
原因不明の事故と未確認生物を巡り、子供・大人・老人など様々な人を巻き込んで進んでいく。やがてすべては一つに集まって行きその時終わりを迎えることとなる。最後に救われるのはだれか。

感想
著者は図書館戦争シリーズなどで最近有名になってきているのですが、自身を「大人の読めるライトノベル作家」と言うようにその文体や言葉の選び方はとても軽快で読みやすくなっています。しかし、それとは裏腹に内容にはしっかりとした意思があり、人は間違えたときどうするべきか、大切な人を守ろうとするにはどうするべきか等がとても人間らしい視点から描かれています。少年たちの成長と大人たちの社会の中での戦いと老人の持つ優しい教えがうまく絡んでいて読み終わりの感覚も爽やかです。
未確認生物とかかわっていくことにより人間が人間であることを正面から受け止めて挫折して、そ
して、最後には前に進むことができるそんな作品だと感じました。全体的には少年少女の成長がメインになっていくので是非中高生あたりの人にも読んでもらいたいです。

モデレーターのコメント
 E.T.でもそうですが、未確認生物の存在について人間は世界中で気になっています。それを人間の成長と結びつけるところが著者の視点ですが、それが読みとれるとすれば、ぜひ他の人にも読んでもらいたいですね。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (3)助け合い 

こんとあき

2009-02-03 11:24:34 | 
レポーター かにぱん

    作・絵: 林 明子  出版社: 福音館書店
「あき」という女の子と「こん」というきつねのぬいぐるみのふたりの旅のお話です。「こん」はおばあちゃんにあかちゃんの「あき」のおもりを頼まれて、「さきゅうまち」から来ました。あきはこんといっしょに遊びながら成長します。ある日、こんの腕がほころびてしまいました。そこで、作ってもらったおばちゃんのいる、さきゅうまちまで、直してもらいに行きます。
 その途中には様々な出来事が、あきを不安な気持ちにさせます。こんはまるでお兄さんのように、「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」とあきに声をかけて不安を和らげてくれます。しかし、寄り道をした砂丘で、こんが犬にさらわれてしまいます。あたりはだんだん暗くなってきました。はたしてふたりはおばあちゃんに会えるのでしょうか。そしてこんの運命は・・・?
このお話の設定で、こんは亡くなったおじいちゃんの洋服で作られているそうです。きっと、こんにはおじいちゃんのいつまでも見守っている気持ちも含まれているでしょう。こんを作ったおばあちゃんの気持ち、こんをなおしてと思うあきの気持ち、あきを想うこんの気持ちなど、このお話にはたくさんの「誰かを想う気持ち」が溢れています。とっても温かい気持ちになる絵本です。

モデレーターのコメント
 子どもが好きな絵本ですね。人間のやさしさがぬいぐるみという形を介して伝わってきます。小さい子どもにとってはぬいぐるみも大切な友達です。「くまのプーさん」も同じようにして子どもたちに好かれてます。

ピースキー:
(2)非暴力   (3)助け合い  

「パパ、お月さまとって!」

2009-02-03 00:19:16 | 
レポーター  とまと

 これは絵本ですが、平和に暮らしているからこそ目を向け興味を持つことができる作品であると思う。
女の子が「お月さまと遊びたいな」と思い取ろうとするが、すぐそこにあるはずのお月さまに手が届かない。そこで、パパにお願いをする。「パパ、お月さまとって!」パパはながーいながいハシゴをたかーいたかい山のてっぺんに立てかけて、上へ上へと登って行きお月さまを取ってくる。「ほーら。
お月さまだよ、モニカ」女の子は大喜びでお月さまと遊ぶ。しかし、お月さまはどんどん小さくなって、とうとうなくなってしまった。見上げると、夜空には大きな満月がまた輝いていた。
 これは著者の娘が子どものころ「パパ、お月さまとって!」といったことから生まれた絵本である。絵本が広がるという大胆なしかけはただ楽しめるというだけではなく、近くに見える月が実は遠くにあるということを視覚的に理解できるし、月の満ち欠けの不思議さに目を向け世界を広げることができる作品である。
 自然に関心を持ち愛することができれば、争いは起こらないと思う。自然には私たちの想像を超えた力がある気がするからだ。そんな自然に子どもたちが興味関心を持てるような作品である。

モデレーターのコメント
 子どもの無邪気で想像的力に富んだ姿はとてもほほえましいものです。子どもはそれだけで平和や非暴力の象徴でもあります。この本は子どもたちの夢や願いをそのまま体現している絵本ですね。

ピースキー:
(2)非暴力    (4)傾聴   

『Itと呼ばれた子』

2008-11-25 11:53:01 | 
レポーター あんまん

 この本は著者のデイヴ・ペルザーさんが、自らの虐待された体験を書き綴ったものです。世界的にも有名な本だと思いますが、私が初めて"虐待"ついて悲惨な現状があるのを知った本なので紹介したいと思います。
 あらすじは、アメリカ、カリフォルニア州に住んでいるペルザー家はかつて「幸せ」を具現化したような家庭だった。しかし、デイビットへ母親からの虐待が始まったのだ。それも兄弟の中で彼だけに。食事を与えない、清潔な衣服を与えない。デイビッドはガレージで就寝し、家族と目を合わせることも禁じられ、掃除、食器洗いなどの家事を押し付けられる。床に倒れ込むほど殴られ、倒れた後
も殴打される。ガスコンロで腕を焼かれ、危険な薬品を飲まされしまいには食器を洗っている最中に母親が彼にナイフを投げつける。
誰も母親を止められない。父親でさえ見て見ぬ振りをしている。デイビッドは死を覚悟したこともあるが、なんとか母親を見返してやるんだ、と自尊心を守ろうとし懸命に生きる姿が描かれている。
 この本を読んだ時私は中学生で、あまりにも衝撃的でした。なくなることのない児童虐待。ならば子どもたちを守るために小さなことでも自分に何ができるのか考えさせられる本でした。

モデレーターのコメント
 映画にもなっている本で、英語のほうが知られているかも知れません。いずれにしても虐待の問題は世界的なテーマとなっています。しかし日本はその中でも特に問題が多く、みんなでなくすために何をすべきか考え、行動することが必要ですね。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (2)非暴力   

:「すてきな三にんぐみ」 

2008-11-25 11:06:31 | 
タイトルレポーター:きゃも

 この絵本は、私が小さいときにお母さんによく読んでもらっていたこともあり、1番好きな絵本です。
 この絵本のあらすじは、黒いマントに黒い帽子の、怖い泥棒3人組のおはなし。3人組は次々と馬車を襲い、奪った財産を隠れ家に貯め込みます。
 ある夜、3人組が襲った馬車に乗っていたのは、孤児のティファニーちゃんだけ。意地悪なおばさんに引き取られるなら、この3人組の方が面白そうと隠れ家に行きます。宝の山を見てティファニーちゃんが言った「これ、どうするの?」という一言から3人組の心は変化し、世界中の孤児を集めて城(孤児院)を造って泥棒3人組も子どもたちも幸せに暮らしていく。
 この絵本を読んだあと、この絵本が「親切」や「良心」について考えるきっかけになりました。絵本の後半でティファニーちゃんの一言で意外な展開になったように、どんなに悪い人でもきっと心の中には良心があって、ちょっとしたきっかけで優しさを取り戻すことができる。全ての人がこうであったほしいです。
 また、表紙の色遣いで怖い印象なのにタイトルには「すてきな」と付けてある絵とタイトルのギャップや意図するものが、読んだ人にしかわからない面白さの一つなのだと思いました。

モデレーターのコメント
 可能性を信じることが人間の優しさを引き出していくということでしょうか。どうしても目の前の行動で判断してしまうことが多いのが私たち人間ですが、子どもを見るときにこの本のようなゆったりとした対応ができるといいですね。

ピースキー:
(3)助け合い  (4)傾聴  (6)寛容と連帯 

ポビーとディンガン

2008-11-18 11:11:12 | 
レポーター ヒカリ

この本は私が中学校の時に夏休みの読書感想文に選んだ本です。
舞台はオーストラリアのオパールの鉱山で、主人公の妹のケリーアンという8歳の女の子には、目に見えないポビーとディンガンという友達がいます。ある日、その目には見えない空想の友達がお父さんの働く鉱山の採掘場で行方不明になると、ケリーアンは重い病気にかかってしまいます。
すると空想の友達なんているもんか、とバカにしていた兄のアシュモルが、妹の病気を治すためには二人を見つけるしかないと気づき、町の人たちにポビーとディンガンを探してほしいと頼みながら、町中を自転車で回ります。
しかし、二人は見つからず、町の人が賞金目当てにケリーアンのところにやってきて見つかったというつくり話をするだけ。それなのでケリーアンの病気も気が紛れただけで一向によくなりません。普通の暮らしに戻りたいというアシュモルにケリーアンはもう一度採掘場を探して、予感がするの、と頼み、その夜、アシュモルが採掘場を探すと瓦礫の山からポビーとディンガンの死体を見つけます。ケリーアンの容態はよくなりませんでしたが、二人のお葬式には町中の人が集まりケリーアンを笑顔にしました。
一週間後ケリーアンも二人と同じお墓にはいることになってしまいますが、町の人もアシュモルも事あるごとにケリーアンに話しかけています。
このお話は作者であるベン・ライスの恋人モリーが語った子供のころの思い出がきっかけだそうです。残念ながら私には空想の友達はいませんが、アシュモルの妹に対する愛情と町の人の優しさに触れることができて涙ながらに心温まる作品です。ケリーアンに心動かされる人々の行動に注目です。

モデレーターのコメント
 人間にとって友達の存在は大きな意味があります。それがたとえ空想上の存在であっても、人間が人間として存在するために必要なのでしょうか。本当は空想ではなく実際に友達が存在することが求められています。それを示唆するような話ですね。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (3)助け合い  (4)傾聴  

「赤ちゃんと僕」

2008-11-18 07:35:43 | 
レポーター:あかピーヤ

 著者・羅川 真里茂(白泉社 花とゆめCOMICS)
 このコミックは、交通事故で母親を亡くした小学生の拓也と、その弟である保育園児の実の兄弟を主人公にした作品です。
 榎木家は父、母、小学生の拓也、保育園児の実の4人家族。しかしある年のクリスマスの日、買い物に出掛けていた母親が交通事故に遭い亡くなってしまいます。悲しみにくれながらも、3人力を合わせて生活していこうとする榎木家の男3人衆。しかし日中仕事で家にいない父親に代わって、まだ幼い実の世話をするのは必然的に兄の拓也。まだ小学生であるのに、学校が終わると実を保育園に迎
えに行き、家に帰ったら実の世話と慣れない家事をする毎日。友達と遊ぶことはもちろん、宿題さえ満足に出来ない生活に、ついに拓也は不満爆発、実の頬を叩いてしまいます。そんな大変な状態の拓也を気遣い協力してくれる近所の人々、学校の友達、また実の保育園先生方、そして父親…様々な周囲の人々のおかげで、拓也は実の世話や家事をこなして成長していきます。
 人は決して一人では生きていけない…家族を始めとする自分の周りの色々な人々の支えと協力があってこそ生きていける、そんなことをこの作品は伝えてくれます。現代社会において希薄になってきていると言われている人との繋がり、関わり、結びつき。その大切さを、榎木家やその周囲の人々のお話から、もう1度考え直してみませんか。

モデレーターのコメント
 父子家庭をテーマにしたこと、そしてその中で地域の人々の援助の重要性など、現代のテーマを散りばめて本ができているようですね。人との繋がりの大切さを感じていても孤立してしまう人々が多い中で、どうしたら連帯していけるのか、そのヒントを与えてくれる本なのかもしれません。
ピースキー:
(3)助け合い  (6)寛容と連帯  

100万回生きたねこ

2008-11-18 07:33:34 | 
レポーター うっづ

 昔からある絵本ですが、薦められ最近になって読みました。
絵本のあらすじは、100万回も死んで100万回も生きていたねこがいました。そのねこは死ぬことなんて怖くなかったのです。いろいろな飼い主と出会い、死に、飼い主はみな死んだねこの前で泣きました。でもねこはどの飼い主も好きではありませんでした。
 あるときそのねこは野良猫になりました。ねこは初めて自分を好きになったのです。「100万回も死に、100万回も生きた」ことを自慢していました。誰よりも自分が好きだったのです。そして1匹の白いねこと出会いました。ねこは白いねこが好きになりました。もう「100万回も死に、100万回も生きた」とは自慢しなくなりました。2匹のねこはこどもを産み、ねこは白いねこといつまでも生きていたいと思いました。
 ある日、白いねこはねこのそばで動かなくなっていました。ねこは初めて泣きしました。100万回も泣きました。そしてねこも白いねこのそばで動かなくなりました。ねこはもう生き返りませんでした。
 この絵本を読み終えたあと温かい気持ちになりました。命だけでなく、生きていく上で大切なこと、一人では生きていけないことを感じました。自分を初めて好きになり、初めて自分以外の人(ねこ)を好きになり、大切なものを見つけて初めて死ぬことが出来たねこ。生き物らしい生き方ができて、初めて死ぬことが出来たねこ。
 命の重さも感じたけれど、なにより愛すること、自分らしくいれること、支えてくれる人たちの大切さ、生きる上で当たり前のようで、なくてはいけないものを素直に感じ取れる絵本です。うまく言葉では言い表せないけれど、大きな何かが心に残る絵本です。

モデレーターのコメント
 子どもたちによく読まれている本ですが、何が大切なのかを分かりやすく教えてくれる絵本ですね。ネコが主人公ですが、人が生きることや死ぬことの意味、そして人と共に生きることの意味を考えさせてくれますね。

ピースキー:
(1)生命の尊重  (3)助け合い