
放送大学スクーリングの夜の愉しみは「旅路の酒」。金沢駅からほど近い水路沿いの古い町並みの住宅街。芳斉という古風な雅を感じさせる町を歩く。信頼するネットの探訪記事を読んで見当をつけていた店の前に佇み暖簾が店の雰囲気に溶け込んでいるのを確認して間違いなかろうと確信して少し通り過ぎたところから電話をかけた。
「予約なし一人ですが構いませんか?」「どうそお越し下さい」「「すぐ近くから電話しています、1分で入ります。」
カウンター10席くらいと、奥に座敷が一つ、使用人はいなくて主人が一人で切り盛り。いやもう一人?
奥に痩せた三毛猫が伺うように恐れるように私を観ている。主人がすかざず「こんな商売して猫おいたりするのはもっての他ですが事情が有りましてお許しください。そして猫を気遣いながら「もう大丈夫だから表に遊びにいっておいで」と送り出す。
6時半を回った処だったが客は私一人、結局最後まで私一人、話が弾んだ。
主人と私も共に母を気遣いながら生活していること、猫は捨て猫だったのを「自分がここで手を差し伸べなければ、この生き物は息絶える」「見て見ぬ振りをすれば一生後悔する」と考え店に引き取って育てているという。
最初にでたのは胡瓜のあんかけなのだが、主人は自身で通常サイズより大きく育てて収穫しているという。「加賀の太胡瓜よりこの方が歯ざわりが好きなんです。」
酒は一滴も飲めないらしいが酒も料理も蘊蓄の塊みたいな人である。

この一品の仕上がりでちゃんとした料理修業をした人とわかる。
最初に「ビールは中瓶一本、後は日本酒で二合か三合で終わります。料理は地の食材中心でお任せします。」とお願いすると 「軽めですか、しっかりですか?」「しっかり食べますよ、実は昨年秋から晩酌は止めており、自分自身で旅路の酒と友と交わす酒と納得する際だけと決めているのです。今日の酒は今年の七回目です。酒を存分楽しみたいのでよろしくお願いします。」と追加説明する。
米茄子のオイル焼きが一八番の料理とのことであったが確かに旨みの凝縮した印象に残る一品であった。

日本酒は手取川 と手取川の本家が杜氏の技に頼らず科学的データに基づいて作ったという手取川吉田蔵という珍しい酒をグラスでいただくことにした。
刺身の後は飛び魚の一夜干しかのど黒の西京漬けを選ぶことになり、両方に食指は動いたがのど黒をいただいた際に吉田蔵をいただいた。
「杜氏の伝統的手法によらず科学的分析でというのは新潟の久保田と同じですね」

すっかりいい気分になり、最後はジュンサイを菊姫の濁り酒で締めることとなる。

私が若いころ飲んでいた「月の桂」濁りとは違って濃厚な味わいである。
飲みながら「私自身」について・・・畑のこと、慣れ親しんだ他の地方のこと・・母の事・・今考えている生き方・・・語ってしまったが、主人と波長が合ったからである。出るとき主人が「お客さんのことは忘れません。」と言ってくれた。
料理とビールと酒はグラス四杯で五〇〇〇円と少しであった。
いい夜だった。
「予約なし一人ですが構いませんか?」「どうそお越し下さい」「「すぐ近くから電話しています、1分で入ります。」
カウンター10席くらいと、奥に座敷が一つ、使用人はいなくて主人が一人で切り盛り。いやもう一人?
奥に痩せた三毛猫が伺うように恐れるように私を観ている。主人がすかざず「こんな商売して猫おいたりするのはもっての他ですが事情が有りましてお許しください。そして猫を気遣いながら「もう大丈夫だから表に遊びにいっておいで」と送り出す。
6時半を回った処だったが客は私一人、結局最後まで私一人、話が弾んだ。
主人と私も共に母を気遣いながら生活していること、猫は捨て猫だったのを「自分がここで手を差し伸べなければ、この生き物は息絶える」「見て見ぬ振りをすれば一生後悔する」と考え店に引き取って育てているという。
最初にでたのは胡瓜のあんかけなのだが、主人は自身で通常サイズより大きく育てて収穫しているという。「加賀の太胡瓜よりこの方が歯ざわりが好きなんです。」
酒は一滴も飲めないらしいが酒も料理も蘊蓄の塊みたいな人である。

この一品の仕上がりでちゃんとした料理修業をした人とわかる。
最初に「ビールは中瓶一本、後は日本酒で二合か三合で終わります。料理は地の食材中心でお任せします。」とお願いすると 「軽めですか、しっかりですか?」「しっかり食べますよ、実は昨年秋から晩酌は止めており、自分自身で旅路の酒と友と交わす酒と納得する際だけと決めているのです。今日の酒は今年の七回目です。酒を存分楽しみたいのでよろしくお願いします。」と追加説明する。
米茄子のオイル焼きが一八番の料理とのことであったが確かに旨みの凝縮した印象に残る一品であった。

日本酒は手取川 と手取川の本家が杜氏の技に頼らず科学的データに基づいて作ったという手取川吉田蔵という珍しい酒をグラスでいただくことにした。
刺身の後は飛び魚の一夜干しかのど黒の西京漬けを選ぶことになり、両方に食指は動いたがのど黒をいただいた際に吉田蔵をいただいた。
「杜氏の伝統的手法によらず科学的分析でというのは新潟の久保田と同じですね」

すっかりいい気分になり、最後はジュンサイを菊姫の濁り酒で締めることとなる。

私が若いころ飲んでいた「月の桂」濁りとは違って濃厚な味わいである。
飲みながら「私自身」について・・・畑のこと、慣れ親しんだ他の地方のこと・・母の事・・今考えている生き方・・・語ってしまったが、主人と波長が合ったからである。出るとき主人が「お客さんのことは忘れません。」と言ってくれた。
料理とビールと酒はグラス四杯で五〇〇〇円と少しであった。
いい夜だった。

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