Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

酒の嗜み、期間限定復活

2009-05-31 21:58:36 | 健康フィットネス
去年10月頃から飲酒が自然休止状態となり、今年、呑んだのは1月に若い頃の親友と、2月は徳島で旅路酒、3月4月は一滴も無しで、5月は取引先の社長と一献、そして又徳島で、そして帰りに大阪で立ち飲みと計5回です。
肝臓を悪くしてドクターストップが掛かった訳でなく、ただただ長年続けてきた晩酌は惰性で、晩酌程度の量ではアルコールによる高揚感に至る事はないので意義を見いださなくなったこと。母の体調が若干不安定で、いざ救急に連れていく必要が発生した時に救急車を呼ぶのを躊躇する気持ちがまだ私にも母にも有り、飲んでいなければカルテの有る労災病院の救急に電話して自分の車で連れていく方が、マンション管理会社に迷惑を掛けず、たらい回しでイライラする事もないというのががもう一つの理由です。
といってもやはり酒を飲まなくなって自分の食文化が貧しくなったという残念な気持ちはずっと有ったので時期を限定し復活することにしました。
今年の予定は6月に白ワイン月間、8月はビール月間、そして10月の後半から赤ワイン月間でボジョレヌーボーを今年最後の酒として締めることにしました。
旅路の酒、そして旧い友人と交わす酒は意義有る酒として別扱いです。旅路では日本酒を飲む筈ですので焼酎の割り込む余地は殆どなしですね。
先日世界のワインを扱っている商社からチュニジア、南アフリカ、イスラエル、ハンガリーの白ワイン4本をNet 購入しました。週末に1本ずつあけて6月中に呑みきる積もりです。
どんな料理を作るか思案するのは楽しみです。
8月のビール月間には6本入りを5パック買うつもりです。アサヒのザ・マスター サッポロのエーデルピルス、エビスの超長期熟成 ギネスの4種は選出ずみですが後1種決まりません。
その間7月と9月~10月前半はアルコールフリー期間に戻すので赤ワイン選定はその期間にゆっくり考えるつもりです。
元々アルコール依存ではありませんでしたが、食生活、食文化を豊かにしたいという観点からアルコールを改めて位置づけて考えるのは愉しい事です。
大規模疫学調査の結果では純アルコール重量で20グラム毎日摂取する人の寿命が長いということで世界の医学会見解は一致しています。
つまり毎日ビール中瓶1本程度飲み続ける事が長命の秘訣ということですが、そんなペースに戻す事は今のところ有りそうにありません。

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ヨネヤ 梅田地下街 立ち飲み串カツ

2009-05-24 22:04:00 | 関西グルメ
大阪の実家に戻るのに18時発のバスに乗り明石鳴門ルートを初めて渡りました。大鳴門橋は通過所要時間2分弱、淡路島北上は1時間近く掛かって明石海峡大橋は所要時間2分30秒。
18時31分に大鳴門橋を通過した際、渦潮を見ましたが最初で最後かもしれません。明石海峡大橋を渡るととっぷり暮れた左前方に小さな塔。一瞬考えて明石の標準時天文台と見当を付けました。
場所の記憶はありませんでしたが、小学校の遠足で見た塔の形と色は記憶に残っていたのですね。
なんば歩きの講座の後だったので大阪は難波で降りる予定にしたのですが、手前の梅田に着くと、懐かしい新阪急ホテルの横だったので降りることにしました。夕飯を食べるところを探して阪急三番街の地下を歩きます。そういえば神戸勤務時代以降三番街の地下は歩いたことがありません。計算すると25年ぶりですね。万博前に出来た大阪でも旧いほうに属する地下街です。私は高校時代から来ていた訳で何軒か懐かしい店があるので今でも有るかしらんと思って歩き回りましたが、よく行ったピラフ屋もカレー屋もオープンテラス風の喫茶店も別の店に変わっています。ざっと半分は入れ替わった感じです。
20時を過ぎた時間で、はてさてどこで食おうかと思案しましたが、2年前に友人と梅田で待ち合わせた際前を通りかかり「今度絶対来よう」と思った事を思い出して三番街を抜けてもっと旧い梅田の地下街にある「ヨネヤ」へ向かいました。
立ち飲みでカウンターに肘をついた際の足掛け代わりにビヤダルとビールの空き箱が置いてある店内に入ります。

まず牛カツと鶉卵と砂ずり、カウンターには当然、二度漬け禁止のソースとキャベツが置いてあります。
牛カツを食べながら、「俺がこの店に来ていたのは、目の前で接客してくれている兄ちゃん達の生まれるよりはるか昔だな~」
この店に繁く通っていたのはガイドのアルバイトをやって金回りの良かった大学時代の後半と最初の勤務地だった伊丹空港で旅客取り扱いの交代勤務をやっていた頃です。つまり昭和47年頃から52年頃までです。(初回は子供の時、死んだ親父が連れてきてくれましたから昭和30年代末かもしれません)店の奥で洗い物をして、時々タバコをふかしているオバサン以外は絶対生まれてない。
あの頃牛カツは50円だった。いや30円か?、キスは少し高かったかな。今は牛カツは130円です。

牛カツだってパン粉は余りついていないし、ましてフリッタ状になっているのはソースを付けること自体難しいですね。
品物を運んでくるとプラスチック札を目の前に置いていく。色で値段が決まっており札を数えて勘定するのは昔と一緒。
味も変わっていません。B級には及ばないC級グルメの懐かしい味です。肉の薄いのを如何に「かさ増し」て供するか、これにつきます。戦後の貧しかった日本の食文化遺産みたいなもんです。
昔はここで10本程食べて大ジョッキ2杯飲んで、家に帰って普通に晩飯食えたのが不思議です。へたった旧い油の串カツ飽きずに食べたものだと思います。
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なんば歩き と ちょんがけ独楽

2009-05-24 20:07:45 | 放送大学
2日間ともまずまずの好天、2回目の徳島での面接授業は腕を振って歩く現在の歩き方でなく明治期までの日本人が普通に身につけていたといわれる手と足を同期させて歩く「なんば歩き」の実習講座。エネルギーロスが少なく、老齢になって足腰が弱っても歩けるので活動的な人生を全うするのに役立つといわれる。
我々は、躾、教育の現場で左足が前に踏み出すときは左腕は後ろに振るように矯正訓練されて来たのを二日間掛けて足、腕が同時に前に行くように再矯正するのである。

すぐに出来ることではないから、足を上げるときに拍子を合わせて手のひらを上げて、足を下ろすときに手のひらを返して手で足を押し下げるイメージを持って歩くことから始める。講師の先生は陸上の専門家だがご自身は身につけるのに半年位掛かったという。第二段階としては手のひらを上げるのでなく身体の脇で手のひらを返してリズムを取るのだが、私は不思議なことに比較的簡単に第二段階まで行けた。階段を上がりながら練習するのが効果的なのだが一日目の徳島城址までの練習でほぼ身についた。
なんば歩きのついでといってはなんだが、元々熊本で子供の遊びとして伝わっていた「ちょんかけ独楽」の普及活動を熊本出身で熊本大学卒業の講師の先生は行っており、これも授業の中で2時間程度時間をとって行われた。こちらは、私が左利きで他の方と勝手が違うこともあるが、中々上手くいかない。地面に叩きつけて回すのでなく、紐を引っ掛けて空中で紐を手繰りながら回し続けるのであるが、ちょっとしたコツをつかめば紐でぶら下げて回し続けることができ、隣の人に独楽をパスして渡すとか出来るのであるが、二日間掛かっても未だに手繰ることが出来ず、ポトポト落ちる。回転力がつけば横を向いている独楽も落ちずに自立的に回る筈であるが・・・(子供の頃にはやった地球独楽と同じ)悔しいので夜もホテルで練習したが第一段階クリアせず。1セット求めて帰った。
果たして暇なときにやって、ある時突然コツが掴めるかどうか甚だ自信は無いが。
「はてさてお立会い 鯉の滝登り!」曲独楽のルーツである。
今回も元気なお年寄りにあった。講師の先生は71歳、「なんば」と「ちょんかけ独楽」そして「お手玉」の普及を全国各地で行っている元気な方だったが、私の隣は香川の屋島に毎朝登山しているという元気矍鑠な87歳のご老人であった。
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ほし中 和食 徳島市

2009-05-23 21:40:28 | 地方グルメ 南の方角
2月に徳島の飲食街を散策し暖簾の雰囲気で目っこをつけて入ったものの「今日は貸切なんで済みません」と断られ、代わりに予め調べておいた「喜和美」に入り結局はその店は当り!でよかったのだが、今回も雪辱戦で件の断られた店へ「すみません、ちょっと立て込んでまして」とまたもや断られかける。逡巡していると「片付けがすまないんで10分くらいお待たせすることになりますが」といってくれたので「構わないよ、少し歩いて15分位したら戻ってくるから」
ということで少しぶらぶらする。飲食街入り口に並んだ電照看板の左端の青柳は、あの小山さんの「割烹青柳」です。前回も書いたとおりご本人が東京に出奔してしまった本家は「婆娑羅」となっています。
もう少しブラブラすると薄暗い通りに「美馬病院」。函館にも同じ名前の病院、(もしかしたら娘はScience Zに出ている公立函館未来大学の教授?)があるなと思いながら前を通ると「ニンニク注射 出来ます」と看板に書いてある。病院の左隣はソープランド。「なるほど!」です。
阿波の国ですからソープランドが繁盛するのはふさわしいといえばふさわしい。なんて街探訪を済ませて店に戻ります。
板前は30代後半か、弟と思しき人が接客を担当しております。皿と厨房器具をみて大体私の目に狂いは無かったと納得。
経木に書かれた品書きには鯛、鰹、鱧、と地元の魚が書いてあります。
「刺身を適当に御願いします」鯛も鯖も鰹も期待通り、写真では分かりませんが、少し炙った鳥貝が身厚で甘みが強く最も印象的。板前を褒めました。
次に出てきたのは
「石川芋はご存知ですか?」「知ってますよ、それなりに歳食ってるから」
これも中々結構です。この後もう一品出たところで「後二品、考えて。ボリュームはあっても、そうでなくてもどちらでもいい。」
ニコニコしているが何となく強面で髭を生やしたおっさんから分かりにくい注文を付けられて板前はいささか緊張した様子。初回の店でこういうプレッシャーの掛け方品格がないか? 
石川芋が終わったところでビールが空に。「お酒にします」「地酒でいいですか」「いいですよ」
一升瓶を二本出してきた。「定量は2合か3合だから、選んで」「はい、ではこちらから」「芳水 責」という酒から取り掛かる。濃厚でいい酒だ。
板前が出してきた二品は「鯛のアラの柿揚げ」と「鱧鍋」
href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/60/ae66a9205705efa0c5bb8e4da9daf616.jpg">

柿揚げは「カキノタネ」を薄くまぶしてアラを揚げたもの、両方とも満足した。
「ご馳走様、これで後徳島ラーメン食べる分の腹が残せたね」支払いは9千円でした。弟一人ではカウンター5席と座敷の2卓をこなすのが間に合わず、先客の食器の片づけが間に合っていないのが難点でしたが。

まあ、徳島にくること自体、四国巡礼でも思い立たない限り今後あるかないか分かりませんので、この店を再訪すること無いでしょうけど。いい店です。
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今日から徳島

2009-05-23 05:03:04 | 放送大学
新型インフル騒ぎの最中ですが、徳島での「なんば歩き」のスクーリングに出かけます。
先週までは金曜日午前にに大阪入りして、天気がよければ実家の布団干しをして、夜は大学時代の親友と一献やって、土曜の朝、つまり今の時間帯ですが、難波からバスに乗って鳴門海峡を観て徳島入りと考えていました。
「なんばからバスに乗ってなんば歩きの授業に参加しました」と自己紹介するつもりで。
しかし、今日の関西方面の天気が悪い事と、時節柄、友人との飲み会を強行実施する根拠に乏しいことから今回は止めておこうと三日前に連絡、往路は羽田から徳島便に乗る事にしました。
スクーリングが終わってからはバスで本州に戻り、出来れば神戸で降りて、先日阪神電車と近鉄電車の相互乗り入れが始まっているので三の宮から大阪の鶴橋まで直行電車を初体験しようかと思っています。月曜は晴れの予報なので朝から実家の布団干し、そして隣家の伯父さんが退院したので顔を観に伺って昼の便で東京に戻ります。
今日は旅先なので、私が自分で決めた「友人と会うとき、旅路」の二つの酒を飲む理由の立つ日なので夕食は徳島の地酒を飲むつもりです。
N95規格のマスクを予備を含め4枚持って旅に出ます。
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今日は徒歩通勤

2009-05-18 08:21:27 | 健康フィットネス
国内2次感染が神戸で確認されました。通勤ルートはハイリスクな?京浜急行空港線とモノレール乗り継ぎ、特に京浜急行はかなり混雑するので騒ぎが収束するまでの間、原則として徒歩通勤することにします。家から職場まで約4.9kなので1時間と見込んで家を出ましたが55分で着きました。途中信号待ちは五か所でしたから5.5k/h程度で歩きましたね。平均心拍87 最大心拍114 339Calの朝のお散歩でした。
往復で700cal近く消費しますが、ランチジョグは通常通り実施予定です。
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亀戸天神 藤 終わりかけでした

2009-05-02 22:11:22 | 定点観測
NETで「今年は早め」との情報ありましたが 太鼓橋の手前のこの部分以外はほぼ終わっていました。

でも参詣者用の神社の駐車場に上手く入れたし、昔のお姉様方の踊りも見ることができました。
汗ばむくらいの陽気でしたが今年も母を連れて来れて良かった。本殿前の売店で例年通り大阪に帰った際のお土産用に新茶を求めました。
帰りは須田町の万惣で「鰆のふきみそ焼き」を頂き、又また前回同様ホットケーキを食べ帰途につきました。
万惣のホットケーキ いつ食べても安心の美味しさですね。
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節制を始めて約1年

2009-05-01 15:43:24 | 健康フィットネス
4月のSUUNTO心拍計での消費カロリー記録は11000カロリー、先月より少し下がりましたが中高年の有酸素運動記録としてはなかなかです。
gooの「からだログ」に毎朝、血圧、脈拍、体重、体脂肪率を記録し始めたのが昨年5月、そして途中からコメント欄にランチタイムWALK&JOGの周回ラップタイム、所要時間、キロ数などを記録するようになり健康オタクの記録魔になりました。
改めて「からだログ」の折れ線グラフ、ダイアリーを読み返してみての感想は順不同ですがこんな所です。
1)安静時脈拍(起床時脈拍)は現在40台前半ですが1年で約10%低下→運動時の脈拍上昇分を考慮しても一日の総脈拍数は有意に下がった。

2)体重と体脂肪はぴったり相関関係がある。減らない時期(プラトー)があるが、しかし体脂肪の減少曲線の方が体重減少曲線より少し先行して現れている→筋肉量の増加による基礎代謝増が起きる。

3)日毎の体重増減は0.5K程度は日常的に起きるので一喜一憂しても仕方がない。

4)とはいいつつ日毎の体重増減の原因には「なるほど、アレね」と思い当たるものである。

5)体力は向上した。数字で見ると
  A) 周回コースの所要時間 昨年秋 7分50秒 → 現在 6分40秒
   → 15%短縮
  B) 周回時の平均心拍(3周目辺り)昨年秋 145 → 現在 135
  → 7%低下
  C) 無理なくランチタイムに走れる距離 昨夏 1K 秋 2K→現在 5K
  この間の体重減は約12%ですから所要時間短縮と相殺しても残りは体力向上と評価してよろしいでしょう。

6)3カ月毎の血液検査に運動の成果が如実に反映し、節制を続ける最高のインセンティブになっています。20数年の高脂血、高尿酸、高血糖の要経過観察患者ですが、医師の了解の元に処方薬の種類と量を段階的に減らしてきて薬代金が約半分になりました。このまま推移すれば薬無しの経過観察患者ということもあり得ます。多分今年の職場の健康診断で腹囲は該当しますが、血液検査項目は正常値なのでメタボと判定されない筈です。

7)腹についた脂肪は昔「スペヤタイヤ」といいましたが、わたしのはパンパンに張ったタイヤでした。まだタイヤはお腹についていますが空気の抜けたみすぼらしいタイヤになりつつあります。長らく使っている長尺ベルトですが横腹までベルトの余りがきています。

というわけで生活習慣病からは這い出せた現在の日常ですが動脈硬化がどの程度まで既に進んでしまっているか分からないのが少し不安であります。因みに「からだログ」でのハンドルネームは「死の四重奏」です。始める前はまさにそうだったのですから。
従って今の日常生活パターンは取りあえず崩さない積りです。少々面白味に欠けますが。


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