Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

セーター姿で現れた友 たこ梅 道頓堀 大阪

2010-03-26 23:48:01 | 地方グルメ 南の方角
大学時代の親友と数年ぶりに一献やることにした。再会の場所は たこ梅本店。
大学時代に彼と繁く通った大阪の「関東煮」の名店であるが先代が亡くなって暫くして閉じた。たまに帰った際、前を通り「いつかここも潰して雑居ビルが建つのか」と寂しく思っていた。
昭和40年代後半の学生時代。当時存亡の危機に有った上方落語の灯を消すまいと、40歳代であった桂米朝らが中心となり日本キリスト教団の島之内教会に毎月一週間だけ畳を敷き桂雀(今の南光)らが下足番をして島之内寄席を開いた。若手にはこの上ない修練の場であった。
彼に連れられて行った島之内寄席で上方落語に親しんだのだが、寄席が跳ねてから上方芸人も通う店として知られた たこ梅で彼から更に蘊蓄を聞くのがお決まりのコースであった。

親友から「たこ梅、再開するらしいで」と地元紙のコピーを送ってきた。じゃ今度一献やる時はたこ梅でという話にしたのが数年前。昨年6月に一度会うことにしたのだが、当時は豚インフルエンザが怖く 無茶は止めよう と中止した。

予約する際に「先代の女将はまだお元気ですか?」と聞いたのだが「まだご存命ですけど、もう店にでれる状態では」残念だ、会って一言礼が言いたかった。
礼というのは他でもない、相当通って顔も覚えて頂いてからだが看板まで彼と喋っていて「ここの時計って何時も進んでない?」「お客さん早く返すためにわざと15分進めてあるんよ」と軽口をたたいた後「お愛想!」といったは良いが、帰りの電車賃が残らなかった。そう女将に云うと「良いわよ!」とタクシー代分まけてくれた。その礼である。

店の雰囲気は一種独特だった。少し気むずかしく見える主人が錫の一升徳利から、多分6勺は入らないと思われる円錐を切り抜いた錫の器に黒松白鹿を注いでくれる。値札板なんて無粋なものは無く丸鍋には大根もコンニャクも入らない、ゴボウ天とか平天とか種は限られており、丸鍋には入っておらず奥から運ばれてくる「たこの桜煮」を食べ、そして締めは「さえずり」。そして小用を足したくなるとカウンターの内側に階段があり、下って右側に便所があった。そしてそこから更に奥を覗くと突き当たりは木戸になっており、昔はそこから道頓堀側に船乗り込みが出来た(らしい)。そして何故か道頓堀橋からかすめてきた?と思われる朱塗りの欄干が一本カウンター横に立っている。不思議であった。当時だってもう船乗り込みは不可能だったが木戸を開けて道頓堀の水面を横から覗いてみたいとどれくらい思っていたことか。

現在の5代目は店には余り顔を出さないらしい、で当時の若い衆が今は店を切り盛りして,味も当時の味から外れないようにしてくれていた。
大学生が行く店としては一寸高い店だった。今は値札があり「さえずり」は1串900えんである。
久しぶりに食した感触は「随分柔らかくなった」である。歯触りがよくて脂の解ける感じそのものはよかったが、昔のものはもう少し くちゃくちゃ して食うものであった。チューインガムのようなレベルまで行かないのだが、ほろっと頼りなげに食いきるものでなく、少し口中を一回りさせて後喉に落ちた気がする。満足したような物足りないような。
でもこの2時間くらいで学生時代以来記憶の箪笥にしまわれていた様々な記憶が(恋愛の苦しかった思い出は不思議に入っていないが)どんどんと引き出しから出てきた。
それにしてもあの割烹着の女将にもう一度軽口をたたいてタクシー代の借りを複利で返して店を出れれば最高だったが。
彼は何故、セーターで現れたか、バンカーだが、2度目の就職先、年次契約の貸付業務を3ヶ月半前に突然「契約終了」されたのであった。「毎日が日曜日や!」
卒業後就職し為替の責任者まで勤めた相互銀行は倒産、阪神淡路大震災で家が壊れ、サラ金で働いて繋いで、ようやくメガバンクの契約社員になったのに4年半で首。
厳しいなあ。
コメント (1)
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芳味亭 人形町

2010-03-20 21:38:13 | 首都圏グルメ 洋食
彼岸の墓参を済ませての帰り道、万惣に行くつもりが靖国通りへの右折を行き過ぎてしまい、戻るまでのことはないと人形町に目的地変更した。甘酒横町に進入したものの駐車場がすっと見つかるとは思っていなかったのだが、鯛焼きの柳家の手前のパーキングメーターが運のいい事に空いていてた。ここからなら母の足でも今半も、グリル司でも、芳味亭でも行ける。
今半は通り越して芳味亭の角にかかると店前は2組待ち、天気も穏やかなのでここで待つ事にする。が ここの2階に上がるのは母には無理 と考える。
滅多に連れて来る機会は無いので店の人に「二階は無理なんで」と声をかけておく。でも2卓しかないテーブルの一つがが丁度我々の順番のところで空いてラッキーだった。振り返ると後ろには10数人の行列。
何年ぶりかと考えてみる。人形町に勤務していた頃には何回か連れてきている、つまり1993年から96年の間だが、その頃は2階の相席の座敷に通されるすることが多かった。当時母の足に問題はなかったが、昔の造りだから手すりはないし、板は長年使いこまれて滑りそうで普通の人間でも緊張する階段である。2001年に東京に戻ってきてからも1度は連れてきている筈、多分7年ぶり位か。
母も「ここの階段は大変だから」と料理を待っている間に言う。

「洋食弁当の上」如何にも昔の洋食屋らしい名付けではある。ビーフシチューと蟹コロッケと一口カツ まさに定番だがビーフシチューが美味い。ケチャップ風味で濃厚で肉がホロホロして。珍しく母がシチューを残さず食べた。
寝る前にも「シチューが美味しかったよ」と縫いぐるみの犬にいって聞かせている。余程美味いと思ってくれたのだ。
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今度は林間学校と臨海学校  前期の放送大学面接授業

2010-03-12 10:21:10 | 放送大学
昨日 新学期の面接授業登録結果が送られてきました。
4月17日18日  広島  経済学的に投資を考える
4月24日25日  神戸  アルゴリズムと計算量
5月15日16日  弘前  白神学
6月12日13日  和歌山白浜 海洋生物の多様性

5月の弘前での授業は白神山中の宿泊施設に泊まり動植物観察 住所は因みに中津軽郡 何とか 大字 何とか 字 です。
6月の京都センター主催の授業の場所は和歌山県白浜にある京都大学海洋生物研究所でイソギンチャク等の生物観察、これも施設内に宿泊。
白神学は以前にも申し込んだが選に漏れたコースで念願の登録!
白浜でのコースは昨年登録されていたものの当時母の体調が悪く参加断念したもの。
この林間学校と臨海学校のコースは天気に恵まれること、及び留守にする間の母の体調、気分が順調な時期であることを願うのみ。一人で留守をしてもらうのに不安があれば取りやめます。

広島のコースは又、あの行きつけに行って魚を食いたいというのが主目的で授業は口実。勿論まじめに聞きますよ、投資資金はないけれど。
神戸のコースは内容が今一把握できない、コンピューターのプログラミングの基本原理に関わることだが「プログラミングの経験や知識を前提としない」ということで申し込んだが、「一つの題材(問題)に対して複数のアルゴリズムを考え、その評価を行い、その問題の難しさを評価する理論」とあるのでもしかしたら私なんぞ箸にも棒にも掛からない状況が想定されるので、その場合はスゴスゴと途中で引き上げる積りです。

神戸のコースと和歌山のコースはいずれも実家に一泊し、家の点検と母の茶道具を一部持ち帰ることを予定しています。又D大学時代の旧友、J社退職者の神戸在住の友とも出来れば一献やる積りです。

今回、放送授業を少し多めに登録しました。今までずっと放送大学は卒業するものでなく、諸国漫遊の旅のDestination設定のツールと位置づけていたのですが、航空券を使う自由度が低くなるので一旦卒業し、大学院修士課程に進むなり別の新しい展開を模索するほうがこれからの当面のOFF時間活用として有益と考えるようにしました。




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