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Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

小雨の中 ほっとして  みつはし で美味い酒と金目 熱海

2011-10-21 23:02:37 | 地方グルメ 南の方角
ガンマナイフ治療は普通30分程度と聞いていた。昼前に治療開始となり、治療室の外で待っていると「所要時間は3時間です」と看護師に言われ「どうしたことだろう、余程問題があるのか、このまま母は死ぬのではないか?」と暗くなる。
当初は昼飯は時間が取れれば「スコット」でと思っていたが、とてもそんな気になれず、一旦タクシーでホテルに戻ることにした。又タクシーで病院に戻り、終了予定時刻になると母が車いすに乗って「生きてたよ~」と看護師に元気に喋りかけるのが見えた。良かった。

「何時間掛かったの?」と聞くので3時間というと「本当!、6~7時間経ったと思ったよ」という。金具で頭と全身を固定されていた母は「横になっている間、私はもう死んでいるんじゃないのかと考えた」そうである。

担当医は「照会を受けた病院からは3か所といわれていたんですけど、朝MRIで調べたら胡麻粒程度の腫瘍が計23個ありました。見えた以上全部照射処置しないわけにはいかないので・・3時間掛かりました」 病室に戻っても思いのほか元気なので気が大いに楽になった。病室から下を覗くと小雨が降っていた。「あすの朝早く、車で東京に戻るんだったらパンでも買っておいてくれ」というので小雨の中、四つ角まで下りてゆきパン2個と牛乳を買って母に渡し「あすは8時位に来るから」と言って病院を出た。

だらだら登りの道の途中には調べておいたもう1軒はないのは分かったので、路から海岸までの間を少しジグザグ行進すれば見つかるだろう、途中に良い店が目に留まればそれでよし と考えて傘は差さずに卍に10分ほど歩く。
3回目に角を曲がった処で探していた店が現れた。躊躇なく2階に上がる。昨日の店より高級店である。

主人はカウンターに座って新聞を読んでいる。「いいですか?」

「いやあすいません、どこでもお好きなところにお掛けください。」
「じゃあ魚の顔が見えるところに座らせてもらいます。」

程なく、裕福に思われる夫婦連れが現れる、常連らしい。店は歓楽街に近いが、常連で持っている店だという事が主人と夫婦連れの会話で分かる。こりゃ分が悪いと思って「ここの水槽、いっぱい入っているけど、全部今宵の内に成仏するの」と会話の糸口をさぐる。
「お客さん、もしかしたら税務署の人?」と主人が即座に返してくる。これで雰囲気作りは大丈夫。

刺身の盛り合わせを頼むと一匹水槽から魚を掬って出してくれた。姿作りは赤い魚だが、見当がつかない。
「あかぎハタ」っていいます。 そうハタの仲間なんだ。昔J社で生鮮担当をしていた時、モーリタニア産のキジハタを輸入したいと言ってきた業者がいたなあと思い出す。そういえばJ社時代は色んな魚屋に遭ったが欲の皮の突っ張った向う見ずな輩のなんと多かったことかと思いながら頂く。イカも鯵も昨日の店より一段上である。

隣の夫婦連れは半年ぶり位の来店で「この前ここに来た翌日に出血してさ~ 癌だったんだよ、ようやくカレーライスまで食べれるようになってこの店に来たってわけだよ」
マルサの汚名は晴らさねばならないものの、話を聞いて躊躇した。 しかし雰囲気からして問題なかろうと判断し、「母の付添で所記念病院に来ていて、治療が無事終わったんでほっとして寄せてもらったんですよ。」と話しをする。
夫婦連れの主人は「金目をシャブシャブで食いたい」と言い出す。「わかりました。半身は塩焼きにしますね」
私は「私は酒は2合か3合で終わりにします」といい「次は煮つけをお願いします」というと「脂のあるのがいいですかさっぱりしたのが良いですか」と聞かれたので「脂のあるのが良いかな」という。結果的には金目のシャブシャブの切り身を取った半身の残りを出してくれた。

隣の夫婦のおかげで特大の金目の余禄に与りラッキーだった。

磯自慢大吟醸があった。「20年くらい前から一度は飲みたいと思っていた酒です。今はほとんど酒を飲み機会が無いので、ここで巡り合うとは感激です。」違いは分からなかったが・・リラックスできて、満足した宵であった。
おとなしくタクシーで帰還した。









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母と熱海に 久しぶりに日本酒を飲む 魚直

2011-10-20 23:52:40 | 地方グルメ 南の方角
久しくブログ更新をしなかった。震災による心境の変化というのは余り関係していないと思っているのだが、
この1年というもの、自分の時間というものは無くなり、独りどこかで酒と美味いものを愉しむ機会はなくなった。
家で母と過ごす時間が大事なので、今年は終盤少しだけ盛り上がった巨人戦を一緒に見るのが最大の時間の使い方であった。

今回2泊3日で熱海に来た。熱海所記念病院で母にガンマナイフ治療を受けさせるためである。
昨年母が退院する際、「いつかガンマナイフを受ける必要があるかもしれない」と主治医に言われていた。
その後約1年脳に大きな変化がなかったが 「少し大きくなっていると思われます。」と9月の検査で言われ決心した。
治療できる病院が限られていると聞いていたので慶応病院とか東大病院とかと思っていたのだが実績を重ねている病院として紹介されたのが熱海の病院という訳である。
母が病室に居る間は自分の時間が出来る、少しは嬉しいことである。出発前にネットで店を2件調べておいた。
病院からホテルに徒歩でチェックインすることにしたが1軒は直ぐに途中で見つかった。これは幸先いいと思ったがホテルまでの1.5キロは思いのほか遠かった。熱海はダラダラ登りの街である。退屈しないが膝が少々痛んだ。

ホテルからタクシーで店に戻ろうとすると財布を忘れているのに気がつく、ホテルに戻って出直すと途中に路線バスの始発停留所が見える。5~6分待ってバスに乗った。以前なら考えるまでもなくタクシーに乗った筈、せちめんな奴になったものだ。

カウンターに座って亭主と話をしたいと思ったがこの日は秋祭りで半纏すがたの叔父様方が陣取っていた。致し方なく小上がりで刺身を頼む。厨房の後ろが窓になっていて偶々信号が見える。所在ないので青信号から赤信号の終わりまでは何分だろうと測ることにした。毎日通勤の時に通過している信号、赤は何秒?黄色は何秒だろう?と時折気になっているが、測る為に立ち止まったということは今までの人生で、ない。ここは90秒だった。

連中は程なく引き上げたが顔見知りでもないのに席を移るのもわざとらしいので小上がりから亭主と遠距離通信を試みることとした。「手元の少し歯ごたえのある貝は?」「平貝です」そうであった。ホタテと平貝の区別がつかなかったとはグルメの名がすたる。それくらい表で飯を食う習慣から遠のいている。水槽にはしったか貝が貼りついている。

鯵は美味かった。「街にプラチナ鯵って幟が出てたけど、松輪の黄金鯖の二番煎じだね、どんなのですか?「いやあ私は元魚屋なんですけどね、よくわかりません干物なんですけどね。大きけりゃ美味いって訳ではないから、鯵は今お出した位の大きさが美味いと私は思います。」
「しったかって以前よく食べたんだけど、南のものですかね?北のものですかね? 鹿児島で食べたのか函館で食べていたのか分からないですよ」「こちらのものですけど・・・南でも採りますね」
少しかみ合わない、が快適な会話を暫し愉しんだ。
新潟の酒を3合頂き久しぶりに しったか貝も食べて今宵は引き上げることにした。
店を出ると熱海駅行きのバスの灯りが見えたので急ぎ足でバス停に向かい、せちめんの輩はホテルに戻った。
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セーター姿で現れた友 たこ梅 道頓堀 大阪

2010-03-26 23:48:01 | 地方グルメ 南の方角
大学時代の親友と数年ぶりに一献やることにした。再会の場所は たこ梅本店。
大学時代に彼と繁く通った大阪の「関東煮」の名店であるが先代が亡くなって暫くして閉じた。たまに帰った際、前を通り「いつかここも潰して雑居ビルが建つのか」と寂しく思っていた。
昭和40年代後半の学生時代。当時存亡の危機に有った上方落語の灯を消すまいと、40歳代であった桂米朝らが中心となり日本キリスト教団の島之内教会に毎月一週間だけ畳を敷き桂雀(今の南光)らが下足番をして島之内寄席を開いた。若手にはこの上ない修練の場であった。
彼に連れられて行った島之内寄席で上方落語に親しんだのだが、寄席が跳ねてから上方芸人も通う店として知られた たこ梅で彼から更に蘊蓄を聞くのがお決まりのコースであった。

親友から「たこ梅、再開するらしいで」と地元紙のコピーを送ってきた。じゃ今度一献やる時はたこ梅でという話にしたのが数年前。昨年6月に一度会うことにしたのだが、当時は豚インフルエンザが怖く 無茶は止めよう と中止した。

予約する際に「先代の女将はまだお元気ですか?」と聞いたのだが「まだご存命ですけど、もう店にでれる状態では」残念だ、会って一言礼が言いたかった。
礼というのは他でもない、相当通って顔も覚えて頂いてからだが看板まで彼と喋っていて「ここの時計って何時も進んでない?」「お客さん早く返すためにわざと15分進めてあるんよ」と軽口をたたいた後「お愛想!」といったは良いが、帰りの電車賃が残らなかった。そう女将に云うと「良いわよ!」とタクシー代分まけてくれた。その礼である。

店の雰囲気は一種独特だった。少し気むずかしく見える主人が錫の一升徳利から、多分6勺は入らないと思われる円錐を切り抜いた錫の器に黒松白鹿を注いでくれる。値札板なんて無粋なものは無く丸鍋には大根もコンニャクも入らない、ゴボウ天とか平天とか種は限られており、丸鍋には入っておらず奥から運ばれてくる「たこの桜煮」を食べ、そして締めは「さえずり」。そして小用を足したくなるとカウンターの内側に階段があり、下って右側に便所があった。そしてそこから更に奥を覗くと突き当たりは木戸になっており、昔はそこから道頓堀側に船乗り込みが出来た(らしい)。そして何故か道頓堀橋からかすめてきた?と思われる朱塗りの欄干が一本カウンター横に立っている。不思議であった。当時だってもう船乗り込みは不可能だったが木戸を開けて道頓堀の水面を横から覗いてみたいとどれくらい思っていたことか。

現在の5代目は店には余り顔を出さないらしい、で当時の若い衆が今は店を切り盛りして,味も当時の味から外れないようにしてくれていた。
大学生が行く店としては一寸高い店だった。今は値札があり「さえずり」は1串900えんである。
久しぶりに食した感触は「随分柔らかくなった」である。歯触りがよくて脂の解ける感じそのものはよかったが、昔のものはもう少し くちゃくちゃ して食うものであった。チューインガムのようなレベルまで行かないのだが、ほろっと頼りなげに食いきるものでなく、少し口中を一回りさせて後喉に落ちた気がする。満足したような物足りないような。
でもこの2時間くらいで学生時代以来記憶の箪笥にしまわれていた様々な記憶が(恋愛の苦しかった思い出は不思議に入っていないが)どんどんと引き出しから出てきた。
それにしてもあの割烹着の女将にもう一度軽口をたたいてタクシー代の借りを複利で返して店を出れれば最高だったが。
彼は何故、セーターで現れたか、バンカーだが、2度目の就職先、年次契約の貸付業務を3ヶ月半前に突然「契約終了」されたのであった。「毎日が日曜日や!」
卒業後就職し為替の責任者まで勤めた相互銀行は倒産、阪神淡路大震災で家が壊れ、サラ金で働いて繋いで、ようやくメガバンクの契約社員になったのに4年半で首。
厳しいなあ。
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きっ川 広島市 本通り

2010-02-15 13:31:32 | 地方グルメ 南の方角
これは1月の広島のスクーリング時の旅路酒記録
退職後鳥取に住む友人に「広島に行くんだけど出てこない?」と2か月前にメールしていた。鹿児島時代の同僚だが、普通あり得ないことに地方から地方、つまり鹿児島から広島に転勤したラッキーな人である。。
「久しぶりに会いたいし、お好み焼きも食べたいし、でも同級生の教育長に頼まれて高校のカウンセラーやってるから、直前になったら決めよう」という話になっていた。行く直前に山陰地方に雪が相当積り「今回は止めとこう」ということになった。今回も一人酒となったので当初2泊するつもりだったがスクーリング当日に広島入りした。
空港からの高速道の側道は積雪である。
店は広島での<行きつけ>となった「きっ川」にスクーリング終了後向かう。平和大通りの東横インから歩いて行ったが、地理感覚ではまっすぐ店に向かっているはずがパルコの処で迷ってしまった。右前方に行けばたどり着く筈と思っていたが実際は左に折れないと本通りには出なかった。この街も碁盤の目ではなく曲がっている。
店主がにこやかに迎えてくれた。店主は客の前ではもっぱら口上を述べる係で調理場は40代の色っぽい女性。前回訪問時と同様に「娘かな。もしかして奥さんか?」と気になる。二人の会話と雰囲気で忖度するのだが今回も分からない。
湯葉のお通しのあとは刺身である。主人の口上が長いのは覚悟していたので今回はiPod-Touchのメモ機能にフリック入力しながら聞くことにする。
左上は3.5キロの平目。右上はヒラマサ 下左は柳鰹、小鰯は禁漁時期なので他の魚の漁の網に偶々入ったもの。右下が昔はありふれていたが今は滅多にとれないヨナキ貝。このヨナキ貝、食べるのは最初で最後になりそうだが見た目で予測した通りの歯触り、味だった。過去にどこかで同種の貝を食べたことがあるのだと思う。小鰯は三浦半島で採れたのを食べることがあるが広島で食べる小鰯は又格別ですね。
今回も穴子のてんぷら、鰆の焼き物等についての店主の蘊蓄を聞いた後半はカキの土手鍋、
曰く、カキは外海の牡蠣、そして岩国でとれた椎茸、岡山産の黄ニラ
これらを食すにあたっての店主の注文が細かい。


まずまっすぐ湯気が立つまで蓋をとらず、その後チーズを半分入れ、二匙ほど中身を食べてから残りのチーズを・・・ というが如く単純な手順ではなく、全部で作業指示が8工程位あるのである。ふんふんと聞いてその通りやったつもりでいるのだが酒もそろそろ回っていい心持でいると、途中で店主がチェックに来る。

後工程について再確認指示を承って、うどんまで無事投入しての完成形は斯くのごとし。しかし立派な牡蠣で無上の幸せ。
又1年後位に来るようにしますからといって店を出ようとすると「寝酒に飲みな」と賀茂鶴の1合瓶を持たせてくれる。そんな飲んべじゃないから、寝酒なんて行儀の悪いことしませんよ~。
今回も満足、今度来ることがあったら、色っぽい女性に問い質さなければ。
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マヨラー歩きして初日の夕餉は  たたき亭 高地市

2009-11-13 22:28:14 | 地方グルメ 南の方角
午後空港につき市内行きのバスに乗って感じたことだが、最近はどこでも空港と市内を結ぶ道路は大型外食店[うどんとか焼肉とか」、大型靴屋、ディーラー、スーパーマーケットの派手な色調の大型看板が林立し画一的で品がなくなってしまい地方都市に来たという雰囲気に欠けるのが寂しい。
2時半頃に高地市内で画材の用意もでき、今日明日の貴重な土佐の二夜の食事処をリサーチする。メインのアーケード商店街から外れるとポツポツ小雨。飲食街は裏すじか横すじと決まっているが傘を開くのは面倒くさい。でもってアーケードを中心に左に右にマヨラー歩きをする。
マヨラー歩き 定義→飲食街の横筋を舐めるように左右に細かく潰しながらサマヨイ歩く、その軌跡がお好み焼きの上に掛けるマヨネーズの様であることから・・・私が名付けた・・・

高地も他の地方都市の例にもれず、飲食街は1キロ/500メートル四方位の中に集中し、一帯を仕切っているであろう「組」の事務所がへその位置にある。ボル店はなさそうだし、そんなに外れはなさそうと余り安い居酒屋ではない店を数軒見当をつけてホテルにチェックインします。
日ぐれてから出陣。明かりがつくと飲食店は雰囲気が変わりますから、華美でないこと、暖簾がちゃんとかかっているか、表から中の様子が伺い見れるかもう一度チェックしてみます。
初日は土佐の郷土料理を一通り舐めてみるべしと思ったので少し大店ですが「たたき亭」という店のカウンターが客入りがよく、空席もある事、及びお任せコースがあるのを確認して入りました。
通された席は藁を投入して盛大に炎が盛大に上がってから串に刺した鰹、ウツボを燻し焼きする台の前で目の前が時々パッと明るくなります。

焙られて暖かい鰹とウツボがまず供されます。鰹は今流行りの「塩タタキ」にしてもらいました。
藁燻しの鰹は以前、早稲田の「松下」等で食べているので目新しくはなかったですが、ウツボのタタキは初めてです。両方とも生にんにくのスライスを付けて食べましたがニンニクは加熱しないと殆ど匂いも苦味もありません。
ウツボは上品な白身で皮と身の間のゼラチン状の部分の弾力が「もっちり」とい表現がピッタリの噛みごたえを作っています。

左端の「チャンバラ貝」は足の先端の蓋部分が尖っていて、焼くときにその蓋がピクピク動く様がチャンバラを連想させることからつけられた名前のようです。中央はイワシの幼魚で「どろめ」です。右端は「うつぼの煮こごり」でいずれも高地の人が特異的に好む珍味のようです。
刺身は清水サバと鰹と生ダコです。いずれも地方ならではの新鮮さで満足しました。
魚ばかりでしたが品数は多くて最後は土佐巻きで締めです。

特に美味かったもの
清水の鯖   身は柔らかめだが旨みあり
チャンバラ貝 身が取りだしにくいが上品
ウツボタタキ 歯ごたえが身上
土佐巻き   鰹タタキ(塩タタキ)を巻いた大ぶりの食べ応えのある巻き寿司
生蛸     歯ごたえ 甘み
明日は別のジャンルも試します。
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ほし中 和食 徳島市

2009-05-23 21:40:28 | 地方グルメ 南の方角
2月に徳島の飲食街を散策し暖簾の雰囲気で目っこをつけて入ったものの「今日は貸切なんで済みません」と断られ、代わりに予め調べておいた「喜和美」に入り結局はその店は当り!でよかったのだが、今回も雪辱戦で件の断られた店へ「すみません、ちょっと立て込んでまして」とまたもや断られかける。逡巡していると「片付けがすまないんで10分くらいお待たせすることになりますが」といってくれたので「構わないよ、少し歩いて15分位したら戻ってくるから」
ということで少しぶらぶらする。飲食街入り口に並んだ電照看板の左端の青柳は、あの小山さんの「割烹青柳」です。前回も書いたとおりご本人が東京に出奔してしまった本家は「婆娑羅」となっています。
もう少しブラブラすると薄暗い通りに「美馬病院」。函館にも同じ名前の病院、(もしかしたら娘はScience Zに出ている公立函館未来大学の教授?)があるなと思いながら前を通ると「ニンニク注射 出来ます」と看板に書いてある。病院の左隣はソープランド。「なるほど!」です。
阿波の国ですからソープランドが繁盛するのはふさわしいといえばふさわしい。なんて街探訪を済ませて店に戻ります。
板前は30代後半か、弟と思しき人が接客を担当しております。皿と厨房器具をみて大体私の目に狂いは無かったと納得。
経木に書かれた品書きには鯛、鰹、鱧、と地元の魚が書いてあります。
「刺身を適当に御願いします」鯛も鯖も鰹も期待通り、写真では分かりませんが、少し炙った鳥貝が身厚で甘みが強く最も印象的。板前を褒めました。
次に出てきたのは
「石川芋はご存知ですか?」「知ってますよ、それなりに歳食ってるから」
これも中々結構です。この後もう一品出たところで「後二品、考えて。ボリュームはあっても、そうでなくてもどちらでもいい。」
ニコニコしているが何となく強面で髭を生やしたおっさんから分かりにくい注文を付けられて板前はいささか緊張した様子。初回の店でこういうプレッシャーの掛け方品格がないか? 
石川芋が終わったところでビールが空に。「お酒にします」「地酒でいいですか」「いいですよ」
一升瓶を二本出してきた。「定量は2合か3合だから、選んで」「はい、ではこちらから」「芳水 責」という酒から取り掛かる。濃厚でいい酒だ。
板前が出してきた二品は「鯛のアラの柿揚げ」と「鱧鍋」
href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/60/ae66a9205705efa0c5bb8e4da9daf616.jpg">

柿揚げは「カキノタネ」を薄くまぶしてアラを揚げたもの、両方とも満足した。
「ご馳走様、これで後徳島ラーメン食べる分の腹が残せたね」支払いは9千円でした。弟一人ではカウンター5席と座敷の2卓をこなすのが間に合わず、先客の食器の片づけが間に合っていないのが難点でしたが。

まあ、徳島にくること自体、四国巡礼でも思い立たない限り今後あるかないか分かりませんので、この店を再訪すること無いでしょうけど。いい店です。
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喜和美 徳島市

2009-02-12 21:39:24 | 地方グルメ 南の方角
今回のスクーリングは駅前からバスで10分位の徳島文理大学、途中2つ目のバス停辺りが飲食街と見当がついたので栄町バス停で降りた。
勘で店を探す。飲食街入り口で気づいたのはあの小山さんの「青柳」の看板。そう本店は徳島でした。でもご本人は東京に本拠を移した筈だし、本家本元はどうなってるんだろうと探してみると門構えの立派な店あり。しかし店名は「婆娑羅」、成る程ご本人のいる虎ノ門の店を青柳、本人不在の本家はチェーン展開のブランド名で営業、筋は通っている。
店の向かいはファッションヘルスと思しき店で端的に言うと客引きがたつサロン、ソープのあるさびれた繁華街のただなかから青柳は出てきたということ。
諦めずあたりでそれらしい店を探すと私の眼鏡にかないそうな佇まいと暖簾の店が3軒、一軒に狙いを定め暖簾を潜る。くぐる前、何故明かりが中途半端に暗いのかと不審に思ったが、「一人ですが、いいですか?」店内は座敷は一杯でカウンターは空いている模様・・「申し訳有りません、今日は貸し切りになっておりまして」残念至極。
致し方なく表筋で先にめっこをつけていた店の前に再び立ってみる。良さそうだが、よく見るとビル持ちの店だ。「大箱は俺の好みでない」と結論づけて、この一帯は断念することにする。
バス通りを渡ってもう少し徳島駅に近い一帯を探索することにする。こちらの方が飲食街としては新しそうである。町名は富田町。
少し高級な「山楽」という店に食指が動きかけたが「キャンペーン中」の言葉に引っかかって思いとどまる。
もう少し探そうと思って歩くと事前情報で名前を記憶していた店を発見。イメージ通りの佇まいだったので迷わず入った。
ほぼ満席であったが運良くカウンターが1席空いていた。
取り敢えず生ビールをお願いする。事前情報では控えめな主人と確か書いてあったが・・

カウンターは両隣とも常連。会話が弾んでいるおかげで情報提供者が主人と思っていた人物は料理長とすぐに判明した。
それにしてもこの料理長の顔は一年先輩のM氏(早期退職して某欧州系FWDRに就職した口八丁手八丁の)にそっくりである。大きな鼻と黒々としているが余り手入れされていない髪、重そうな瞼。でも性格は随分違うみたいなっ。
なんて他愛ない妄想に耽っていると刺身が出てきた。
鯛、鯵、太刀魚の焼き霜、いずれも中々のものである。更に会話を聞いているとオーナー一族が接客をしており、料理長は金沢、東京の新橋で経験を積んでいて請われて地元に戻ってきた様である。そしてオーナー一族郎党と思われる駆け出しの料理人に教えている。といっても技量が全く違うので、この店はまだまだこの料理長なしで成り立たない。

生ビールを2杯のんで地酒「芳水」の冷やを頼むことにする。料理は次に「何か揚げ物」とお願いすると「イトヨリが有りますが」もちろん異存ない。

立派なイトヨリである。(水槽の底からごっついオコゼが私を睨んでいたが食いきれないと思って遠慮した。)これも鮮度が良くて満足。
右隣の常連が「出し巻き」について話しだす。駆け出し料理人が「そうなんですよ、卵焼きだと私も出来るんですけど、だし巻きになるとどうしても上手く返せなくて、重くって」「・・重さで返すんだよ」料理長がいささか小馬鹿にした感じで説明する。「でも旨いよな」常連が料理長におべっかを使う。
ということで私も「出し巻き」を最後にお願いすることした。確かに旨い、絶品という程でないが。
生2杯と冷や2合で料理は他に2品頼んで勘定は6千円也。
旨くて良心的な店でした。
又徳島にくる機会があったら、この店か、今回貸し切りだった店かどちらかにしよう。
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きっ川 本通 広島市

2008-11-17 21:14:59 | 地方グルメ 南の方角
広島での仕事が終わり、夕食に誘われるかと思っていたらそういうことはなく自分の時間が持てたので前回好印象だった吉川を再訪しました。電話予約しましたが店に入ると「いらっしゃい!久し振り ~さん」と声をかけてくれる。名前で呼んでくれるのはそれなりにうれしい客あしらいだと思い席に着くと女性の料理人(主人の娘か、他人か不明)が「前はお勉強と仰ってラフな服装だったのに今日はどうされたの?」
へ~ちゃんと覚えてくれてたんだと甚く感心です。
前回はカウンターには私だけでしたが、今回は先客の二人連れと30分遅れ位でやはり二人連れ。後ろの座敷も予約が入っているようで盛況で結構です。
料理は今回も満足しましたね。主人の説明が懇切丁寧なのは、常連には煩いかもしれないが私のような滅多に来ないものには有り難いです。
刺身は左奥が天然ヒラメで4.7キロの大物とか。左手前が柳カツオ、右奥は天然のカンパチで「あかそう」と呼ぶらしい、中央の白いのが穴子の洗いで手前左が小鰯、右が鮑です。どれも素晴らしい。特に平目は歯ざわり、脂の乗りとも極上です。「あかそう」は店に入るのが年に5~6回位しかないとか、いい時に来たようです。

これは鰆の塩焼き、秋の鰆は高松の「まいまい亭」の主人に11月末になったら「カンカン寿司」なるものを作るからいらっしゃいと言われて今年も実現できないが、魚片に春と書いても産卵前の秋鰆が一番美味いということだ。この鰆も脂が素晴らしい絶品でした。

穴子は地元で有名な一本釣り漁師らしいのですが「寅さん」の穴子です。
そして因島近くの瀬戸田でとれたタコと早瀬でとれた天然ワカメの酢の物です。
「牡蠣は召し上がります?」と女性料理人が云うので「勿論」

ちなみに中央の黄色いのは岡山産の黄ニラです。
主人が「特製の味噌を敷いた土手鍋です、一度湯気が上がったらうどんを入れてください。もう一度蓋をしてまた湯気が上がったら柚子胡椒をいれてまた1分ほどおいて食べてください。」
も~う、日本酒にかかった処で気分リラックスしているのに難しいこと言わないで。
おいしく半分位いただくと女性料理人が「チーズ入れるとおいしいですよ」
最終バージョンはこうなりました。
生ビールが2杯と、賀茂鶴辛口の燗酒正一合。心身ともに満足しました。
寅さんの穴子天ぷらの手前の四角い揚げ物は賀茂鶴の酒粕を揚げたものです。
これから広島に来る機会がどれくらいあるか分かりませんが、間違いなくここに来ますね。
因みにANAの機内誌「翼の王国」8月号でこの店が紹介されたそうです。
主人が「また来てな」と送り出してくれました。
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那覇ではやっぱり山羊でしょう 山海 那覇市

2008-10-24 13:17:43 | 地方グルメ 南の方角
那覇で夜の会食まで暫し時間あり。沖縄産業祭りを壺川の公園まで ゆいレールに乗って見に行く。新聞に来シーズンのかりゆし新作発表が紹介されていた。物産の屋台に興味をそそられるもの数々あれど荷物になると諦めて武道館の中の新作を見に行く。いいなと思う柄が数点あったがLサイズなので試着適わず。出展者と暫し雑談して「去年も今年も4Lと3Lのかりゆし4か月東京でずっと着てたよ。来年の発売時期になったらもしかしたらLLが着れるかもしれんな。カタログ送ってよ」「お客さんセミオーダーもありますよ、2000円アップ位で」「じゃあここにカタログ送ってね。」名刺を渡した。
かりゆし 以外にもサトウキビ素材で作った無地のシャツが展示されており、値段は付いていないが高級感があり欲しいと思った。なかなか楽しい散歩だった。
ホテルに戻る前に以前、鮪の輸入業者の女性に連れて行ってもらい気に入ってその後自分でも2回訪ねた「綾城」という古酒を出す店が確かこのあたりと探してみるが、同じ建物と思われるところに行き着いたが居酒屋に代わっている。そうか2年位沖縄来てないもんな。
「夜は何がいいですか?肉?」と取引先の社長に言われていたが「なんでも結構です。山羊でも」
案の定 山羊料理に連れて行っていただく。
山羊は3回目か?まっそんなに美味いものではないが、郷土料理ですからね。スタミナアップにもなりそうだし。
右の白っぽい丸い部位は、ご想像通り、山羊のタマタマです。貴重品です。初物です。ヨモギの葉と一緒に食べました。「明日は身体がだるくなるよ、でも明後日になったらピンピンするよ。」
刺身以外に血の炒め物、これが結構うまかったな。

お決まりの中身汁を頂いて終了。



翌日は身体にだるさは覚えず、ただ排泄物が赤黒くなりました。
翌々日も、変化なしでした。
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鹿児島から大分へ 日豊本線で

2008-10-21 22:18:56 | 地方グルメ 南の方角
鹿児島での商談後、列車に乗るまでの約1時間で旧知の女性と昼飯を予定していたが介護している親御さんの体調が優れず今回は断念。
是非 奄美鶏飯を食べたかったのだが、駅ビル5階はテナントが変わったのか鶏飯が見当たらない。
仕方なく駅ビル地下をのぞいてみるとザボンラーメンとコムラサキが並んで出店。前回の鹿児島訪問でコムラサキは美味くないのに、値段は滅法高いことを再確認していたので、まだマシとザボンラーメンへ。
私が在勤時に好きで通ったのは「鷹」と「のり一」でザボンは時折入った程度だが、昔の味を思い出させてくれた。コムラサキに比べれば1000円以下ですからそりゃあはるかに良心的です。

大分に行くのにヤフー検索すると新幹線を使って福岡から特急ソニックを使うのが出てきますが、今回は敢えて少し時間のかかる日豊本線の特急キリシマとニチリンを宮崎で乗り継ぎで行くことにします。
なんたって在勤時代、空港スタッフと飲んだ「加治木」そして温泉と蛍の乱舞が懐かしい「日当山」、仕事で京セラ工場を訪問した「隼人」「国分」なんていう駅を通ります。思えば酔っぱらって何回も乗った加治木から西鹿児島駅までの帰りの普通電車は堂々の一両編成でした。
なんてことを思い出しながら乗っていると加治木の駅の手前左側に見えてきました。
九州高速道からいつも見ていたのとは反対側です。裏側からみると一層筋張って屹立してますなあ~、正式名称 蔵王岳、通称「ちんぽこ山」です。

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