昭和40年台始め、上方落語復興の志を持って、日本基督教団島之内教会に定席を立ち上げた中心メンバーが、桂米朝、桂春団治、そして物故者となった桂小文枝、笑福亭松鶴、露の五郎だった。
私は大学卒業までの3年間弱、月に1週間だけ開かれる島之内寄席に通っていた。教会の椅子を片付け、畳を敷いて、祭壇部分?が高座となった。十字架は幕の後ろに鎮座していた。
入り口には下足箱が置かれ、当時下足番もやっていたのが 桂べかこ 今の南光である。米朝門下には桂小米がいた、後に枝雀となり爆笑王として一世風靡するも、もともとの躁鬱気質がたたって首つり自殺してしまう。春団治門下には春蝶、副団治がいたが春蝶は早世した。
小文枝門下は三枝がいて、笑福亭門下は仁鶴が一番弟子だった、通称六代目と言われた松鶴には光鶴という息子がいたが親父にまさる酒癖の悪い乱暴者で落語界追放となった。
創世時メンバーで高座に上がる可能性があるのは春団治だけとなってしまった。
当時米朝にしろ、春団治にしろ ものすごい年配者、大看板に私には見えたが考えてみれば彼らとて40代だった。松鶴は爺さんに見えたがそれでも50代半ばだったろう。
今から15年くらいまえ「もう一度、米朝さんが高座に上がれるうちに話を聞きたい。」と思った。既に米朝さん自身が「もうわしには地獄はでけん。」といっていた。地獄とは「地獄八景亡者の戯れ」という1時間半かかる大ネタである。
それより前に松鶴は亡くなっていたので「らくだ」・・これも一時間を超すが・・もう聞けないと諦めていた。
7~8年前に思わず早く、小文枝(文枝)が亡くなり、これで「立ち切れ線香」も聞けなくなると思うと残念であった。
いずれにしても、大阪に帰って、寄席に行く という心の余裕がなかった。
7年くらい前に桂三枝、笑福亭仁鶴あたりが音頭を取って待望の定席が天満の大阪天満宮にできた、私自身の心が昔帰りして京大阪の物見遊山をしようという気分になってきたこの数か月である。
30日の昼席は10人出演、知っている噺家はいないと思っていたが、何とか二人は、そういえば見たことあるなと記憶が蘇った。
米朝、小文枝、松鶴、そして枝雀の記憶が強いだけに、馴染みのない噺家の高座が楽しめるか少し不安はあったが満足した。
不安の要素は、デフォルメされ過ぎていないかということだったが杞憂だった。高座に上がった10名の中に30代が一人二人いたものの40代、50代の噺家達で私が知らないだけで、古典の研鑽をつんだ芸歴は十分長いわけだ。言い換えれば自分が歳食っただけだ。
最後の二つの話は初めて聞く話だったが、八つは何度も聞いたネタ、そして年の瀬にふさわしい「尻餅」を聞けたのはラッキーだった。
松鶴の録音でなじんだ噺だ。年の瀬に賃搗き屋を呼んで餅を搗く金のない夫婦が、長屋の連中に、さも餅屋を呼んだ如く声色を使って賃搗き屋とのやり取りを演じ、餅を搗く音は奥さんの着物をたくし上げて、親父さんが臼に見立てた奥さんのお尻をたたき続けるというちょっと色っぽくて切ない話である。
私は大学卒業までの3年間弱、月に1週間だけ開かれる島之内寄席に通っていた。教会の椅子を片付け、畳を敷いて、祭壇部分?が高座となった。十字架は幕の後ろに鎮座していた。
入り口には下足箱が置かれ、当時下足番もやっていたのが 桂べかこ 今の南光である。米朝門下には桂小米がいた、後に枝雀となり爆笑王として一世風靡するも、もともとの躁鬱気質がたたって首つり自殺してしまう。春団治門下には春蝶、副団治がいたが春蝶は早世した。
小文枝門下は三枝がいて、笑福亭門下は仁鶴が一番弟子だった、通称六代目と言われた松鶴には光鶴という息子がいたが親父にまさる酒癖の悪い乱暴者で落語界追放となった。
創世時メンバーで高座に上がる可能性があるのは春団治だけとなってしまった。
当時米朝にしろ、春団治にしろ ものすごい年配者、大看板に私には見えたが考えてみれば彼らとて40代だった。松鶴は爺さんに見えたがそれでも50代半ばだったろう。
今から15年くらいまえ「もう一度、米朝さんが高座に上がれるうちに話を聞きたい。」と思った。既に米朝さん自身が「もうわしには地獄はでけん。」といっていた。地獄とは「地獄八景亡者の戯れ」という1時間半かかる大ネタである。
それより前に松鶴は亡くなっていたので「らくだ」・・これも一時間を超すが・・もう聞けないと諦めていた。
7~8年前に思わず早く、小文枝(文枝)が亡くなり、これで「立ち切れ線香」も聞けなくなると思うと残念であった。
いずれにしても、大阪に帰って、寄席に行く という心の余裕がなかった。
7年くらい前に桂三枝、笑福亭仁鶴あたりが音頭を取って待望の定席が天満の大阪天満宮にできた、私自身の心が昔帰りして京大阪の物見遊山をしようという気分になってきたこの数か月である。
30日の昼席は10人出演、知っている噺家はいないと思っていたが、何とか二人は、そういえば見たことあるなと記憶が蘇った。
米朝、小文枝、松鶴、そして枝雀の記憶が強いだけに、馴染みのない噺家の高座が楽しめるか少し不安はあったが満足した。
不安の要素は、デフォルメされ過ぎていないかということだったが杞憂だった。高座に上がった10名の中に30代が一人二人いたものの40代、50代の噺家達で私が知らないだけで、古典の研鑽をつんだ芸歴は十分長いわけだ。言い換えれば自分が歳食っただけだ。
最後の二つの話は初めて聞く話だったが、八つは何度も聞いたネタ、そして年の瀬にふさわしい「尻餅」を聞けたのはラッキーだった。
松鶴の録音でなじんだ噺だ。年の瀬に賃搗き屋を呼んで餅を搗く金のない夫婦が、長屋の連中に、さも餅屋を呼んだ如く声色を使って賃搗き屋とのやり取りを演じ、餅を搗く音は奥さんの着物をたくし上げて、親父さんが臼に見立てた奥さんのお尻をたたき続けるというちょっと色っぽくて切ない話である。