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Cozy小路

B級グルメとB級生活を愉しむB級ビジネスパーソンの日常

黒カレー 沙羅 鹿児島市

2008-06-21 16:23:13 | 地方グルメ 南の方角
数年前に通りすがって以来、いつかと思っており今回の鹿児島のスクーリングでようやく店に辿り着いた。
黒豚に黒酢に竹炭を使った黒カレー。ということで味に大して期待はしていなかったが思いの外、美味いカレーだった。辛さは選べるので大辛、といっても5段階の3で普通ということか。
なかなかマイルドな味わいで良かったです。ご飯は少なめにしてその代りパート2に「こむらさき」のラーメンにしました。
しかし案の定「こむらさき」は外れ。
鹿児島在勤時代にも数回行って印象が悪かったけど、高くて不味い。なのに客がそこそこ入る。不思議な店だ。スープはとんこつ、鶏がら、貝の3種使用で手が込んでいるといえますが

スープ △ 麺 × チャーシュー ○ 値打ち ×× というところでしょうか。
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きっ川 広島 本通

2008-04-19 20:21:40 | 地方グルメ 南の方角
広島入りの日は関東地方荒天で便は40分遅発。
よく確かめずに駅前から市電に乗ったら繁華街の手前で左に折れる路線の電車で外れてからひと丁場元に歩いて戻る。
大した距離ではないと分っていたので、そのまま歩いてホテルに着くと9時少し前。予定していた「きっ川」は明日に伸ばすこととして、当日の昼飯は蕎麦しか食っていなかったから腹は相当減っており、ネオンと呼びこみ(いまどき実際の呼び込みはどこでもしません、それらしい服装のお姉さん、お兄さんがチラシを持ってあちこちで愛嬌を振りまいている)はこの年になると煩わしい以外何もないが、比較的近場の「おもと」というこざっぱりしたした和食で済ませることとなった。まだ開店して数か月だという中新地にある店は内装はきれいであるが処どころ設備そのものはホシザキの業務用冷蔵庫は新品ではなかったので多分居抜きで借りたのだろう。お任せ値段は4000円だったか?手ごろで料理も悪くなかったけれど印象は薄かった。とても腹が満足しない量だったので「出てからお好み焼き食うか」と思ったが、最後の飯になる前にコーネの塩コショウ焼きというのが目についてちょっと珍しくて追加注文した。馬の鬣部位のコーネは今まで刺身でしか食べた事がなかったので{珍しいですね}と聞くと広島では結構一般的ですよとの応え。出てきたものは・・・豚バラとほとんど変わるところがない・・・しいて言えば赤身が少し干し肉っぽい食感ではある。やっぱり刺身の方がはるかに勝る・・・ということで中途半端な満足度の初日の夕餉と相成った。

初日のスクーリングが終わり市電に乗って本通まで戻る。「きっ川」の場所は案に相違してすぐに見つかった。雑居ビルのエレベーターに乗り店の玄関まで行ってみるが中は見えない。少し躊躇って一旦下に降り、電話を掛けてみた。「一人ですけどいいですか?」「どうぞ!」と元気女性の声で返事があり「じゃ20分くらいしたら伺いますから」と本通り商店街で時間つぶしをする。そうかこのブロックは風俗店がないんだなと確認して再びエレベーターで3階の店に入った。

主人は60歳代前半か?眉が一部長くて顔全体は笑福亭仁鶴に似ていなくもない。「どうしてうちをご存じになりました?」「ネットの記事を複数読んで見て間違いないだろうと思って。」「そうですかありがとうございます。お客さん良かったですよ、昨日は一杯でね。今日はゆったりしてください!」
予約で名乗ったせいで苗字で声を掛けてくれていろいろ説明してくれる。名刺を貰うと「吉川修平」私のよく知る先輩と一字違い。「ヨシカワを店名きっ川と読み替えたんですよね?」と聞くと「いえいえ、本当にーきっかわーなんです。」
最初にユバをとじた椀がでて次が写真の刺身である。写真ご覧いただければわかると思うがちゃんとした下ごしらえときれいな捌きかたである。左上が桜鯛、右上がヒラマサ。左中が鰆で右中が穴子、中央が小鰯で右下が日本海のウニである。
昨夕の店の刺身とは明らかに違う。皿との映りもいい。
小鰯は愉しみしていたのだが、今は禁漁期で刺し網は出来ないのだという。「広島では小鰯出さないわけにいかないから、宮崎から入れたり、三重から入れたりするんですけど、これは音戸で入った地物です」そして「桜鯛は今日揚がった2.5キロもので」・・・客はカウンターは私だけで、座敷には聞こえてくる声から聞きわけて中年男女の4人連れ位・・・・説明内容は当然同じだが、一つ一つ主人が丁寧に説明する。これから後の料理も説明がつくのだが申し訳ないがほとんど覚えていない。

これはもう少し下って大きくなると「関アジ」になるひら鰺です。ここまではよく覚えてます。脂の乗りが適度で文句なく美味かった。色を見ればわかると思いますが。

「寅さんという漁師から入れた穴子の天ぷら」「ご飯は地元のコメで今日精米しました。」
会話も終始たのしく、名前も覚えてくれたようで、広島のスクーリングを選ぶ口実ができました。お任せ料理に生ビール2杯と正一合の賀茂鶴辛口のおかんを付けて1万1千円。お値打ちでした。
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寿司萬 蒸し寿司 大阪

2007-10-11 23:55:34 | 地方グルメ 南の方角
年老いたのか、若い頃に捨てた大阪弁を聞くと和む自分に数年から気が付いている。今回は母のパスポート再取得を主な目的に帰った。リムジンバス車中で周りの景色、大阪弁のしゃべりが聞こえてくると気分が開放されてくるのが母にも、恥ずかしながら自分にも感じられる。
上六についての昼飯は志摩グランドホテル高橋シェフの「ラ・:メール シーフードカレー」と思っていたのだが残念ながら上六店は閉店したらしい。代わりに寿司萬で蒸し寿司と特上を取ることにした。
私にとって蒸し寿司は「吉野寿司」なのだが、恥ずかしながら味の記憶は薄れている。大きな蒸籠から運ばれて湯気の立っ蒸し寿司の存在感と彩りの美しさは記憶に留まっている。
ちょっとそう言う意味ではこの寿司萬の蒸し寿司はインパクトに欠ける彩りだがまずまず満足感を感じさせる。
しかし私にはバッテラが新鮮だった。昆布をまいた艶やかなバッテラとそんなに甘くないツメを塗った穴子の押し寿司。僅か2貫であったが久しぶりに大阪寿司をちょっぴり味わうことが出来た。尤も少学低学年のころはバッテラでジン麻疹が出たことがあったな~。でも押し寿司こそ大阪寿司なのです。
本来持ち帰りが基本である大阪寿司ではトロの一貫より巻物とバッテラこそ寿司の王道です。
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小鰯 広島

2007-09-27 20:05:51 | 地方グルメ 南の方角
新大阪から「のぞみ」に乗車。広島での契約更新の話は少し手こずったものの一時間で説明を終えた。
広島は放送大学のスクーリングで何回か来ている。魚采という店に飛び込みで入って手頃な値段とコースの品数が気に入って3回連続でお世話になった。でも今回は別の店にしようとふらふら歩いてみる。
繁華街のちょっと暗い一角ソープだし、表通りはキャバクラ、ピンサロと食事処の雑居地帯。お兄ちゃん達がうるさい。30分位物色して歩いた。
昔から飯屋は値段書き看板の品格のないのは論外で、店構えの地味さと暖簾の品格で品定め、格子越しに中をうかがってはいることにしている。あまり外れはない。今回はガラス戸越しに見えた白髪頭の主人の立ち姿を決め手に入った。
魚だけの店である。ショーケースにオコゼが目に入ったがオコゼ一匹丸ごとはちょっと自信ないなと考えていると自信の無さの極みか、出た言葉は「小鰯お願いします」。
思えば3年近く前、放送大学のスクーリングで来た際T先輩が支配人をしている広島駅に近いホテルに泊まった。夜は先輩の行きつけの単身赴任者の溜りの居酒屋に連れて行ってもらった。先輩の苦労話を聞きながら最初に食べたのが小鰯だった。
酒のあてには結構うまいなと思ったのと、小鰯を食べながら「実は55歳の進路選択で出向の話があるんです。」「そういう話って滅多なことで断るんじゃない。」
背中を押された。

先輩に押してもらったこともあり、今の境遇を選択したのだが、その後も思いもかけないことは続くものだな~。
そのあと、鰆を入れた刺し盛りと穴子の白焼きを頂き、広島の酒「幻」を一杯で締めた。なかなか良い店でした。今回も店選び眼力は健在でした。
「幻」も八重洲の飲み屋横丁のこ汚い2階の店で何度も飲んだ思い出の酒ですな~。
そう幻は林檎の香り。
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おろしそばとソースかつ丼 福井

2007-09-26 18:11:11 | 地方グルメ 南の方角
小松泊の翌日はまず福井へ。説明も無事終了し新大阪までのJRサンダーバード乗車まで空き時間が約1時間半。
ヨーロッパ軒のソースかつ丼を食べに行こうかと思ったが、7年前に一度食べに行ったこの福井名物丼も金沢の名物丼?ハントンライス同様特に印象に残るものでなかった。
というわけで駅ビルの蕎麦屋でソースかつ丼が付いているおろし蕎麦で済ます事にした。
福井でも石川でも蕎麦は結構食べた。玄蕎麦も挽いたこのあたりの蕎麦は結構上質である。白山に向かう途中の田舎風の蕎麦屋は滅法美味かった。名前は…憶えていない。
この店の蕎麦も固めであるがぼそぼそ感はなく美味しく頂けた。添え物のソースかつ丼はまあ、こんなものです。さあこれから2時間半のサンダーバード乗車。そして「のぞみ」に乗り継いで広島へ。
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一六年ぶりアサヒ蟹と極上焼酎 ま佐 鹿児島市

2007-09-18 21:29:33 | 地方グルメ 南の方角
鹿児島在勤時に馴染んだものの離鹿後殆ど滅多にお目に掛からない素材が幾つか思い浮かぶ。
あさひ蟹、月日貝、パッチン、ヘチマ、アラカブ、ふだん草、葉鰹。
今回はその中で最も渇望感が強かったアサヒ蟹が大皿に載っていた。英名で云えばスパナクラブ。
これにもちょっとした思い出が。航空貨物業界が活魚輸送に嵌っていた?時期、活魚コンテナなる今思えば何て殊はない「海水を入れて温度管理が出来るチタニウム製の輸送容器」を作った人が居て、載せられた私は屋久島から鹿児島までそのコンテナでアサヒ蟹を運び、何とも中途半端なことに鹿児島からは発泡箱に入れて築地まで持っていった。難なくこのプロジェクトは成功し私は八重洲の薩摩料理家で「さすが生きたアサヒ蟹は旨い!」と喜色満面で食ったのである。しかし甲殻類の事とて余程へまな事をしない限り高い生存率は約束されていたも同然だった。
しかしこの輸送が切っ掛けでもう一人奇人と社内で出会う、元機長の奇人と私はもう一歩深みに嵌ることとなる。
次は有水ではありませんぞ、鳥取の氷温研究所が開発した技術を使って、さ~てお立ち会い!
「魚を鹿児島で眠らせて、水を抜き~あ~ら不思議、ニューヨークで水槽に放てば眠りから覚めた魚が泳ぎ出す」
残念ながらニューヨークまでは行かなかったのだが、水のないコンテナ内で寝ていたヒラメは築地の水槽で一旦沈んだものの5分後にフラフラと泳ぎだしたのである。これも大成功!
しかし底魚だとそこそこ上手く行くものの、回遊魚ではなかなか結果が出せず翌年度開発予算はつかなかった。「氷眠コンテナ」プロジェクトはあえなく氷眠してしまった。
これは私の鹿児島時代、最も面白くもあり、自分の未熟さも味わった貴重な経験であった。
なんて昔の事を思い出しながらアサヒ蟹の取り置きを頼む。
まずは首折れ鯖。北の鯖も旨いが南の鯖が旨い、博多のごま鯖も旨いが屋久島の首折れが最高だ。色が好い、大きさがそんなにでかくなくて脂の乗りが程好い。芭蕉カジキと共に主人自作の器に盛られている。
後のアサヒ蟹は大きめ一杯しっかり頼んであるので、抑えめにせねばと思うものの、当日の昼はサンドイッチで済ませたのが災いして食欲旺盛、馬刺しもかくの如き量が盛られてきたのを、旨い焼酎とドンドン行ってしまう。

焼酎は3種類新しいのを試したが女将が勧めてくれ、私も旨いと思ったのは最後に試した白波の薩摩酒造が地元限定で出している「南之方」。
白波同様正当価格で売られている(つまりプレミアつきではない、安い)焼酎だが濃厚なしっかりした焼酎、地元の人が「お焼酎」と親しみをもって呼ぶに相応しい焼酎であった。

これをロックで3杯?飲むと腹が減っているのか太いのか、いささか怪しくなったところでアサヒ蟹に辿り着く。
海老蟹はいつもそうだが、私は限りなく下品。足から身を外すなどと云う上品なことはせず、足ごとバリバリかみ砕く「潰し食い」。中のミソも殻も全部すくって飲み込んでしまった。でもこういう食い方をしてきて胃の具合が悪くなったことはない。
ご馳走様!なのだが序でにヘチマも行ってしまう事にした。だって「ヘチマはそろそろ終わりだね、もう筋っぽくなりますね」っていうんだもん。
もうヘチマは食えないかも知れんと思うと最後の力を振り絞って完食してしまったのであった。


さすがに締めのラーメンは止めました。満足な鹿児島の夕餉でありました。
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さぬきうどん トリプルランチの件

2007-08-16 20:50:00 | 地方グルメ 南の方角
前回の高松訪問では二日で6食こなしたが、今回はわずかに3食。
一食目は二日目昼の香川大学側のセルフうどん。二食目は帰る前に決行したトリプルランチの序盤戦。県庁傍の職員御用達?の行列セルフうどん「番町」。番町って地名です。

冷やかけうどん200円、それにイカの天ぷら90円を添えて290円也。
薬味の類はレジ横で自分で盛る。私は控えめに生姜、切り昆布、ブシとネギ
他の2食と比べるとやや軟らかめのうどん。出汁は割と美味かったな。切り昆布は出汁ガラだし、天かすも準備されているから讃岐うどんって比較的廃棄ごみが少ない商売ですね。
そのあと中心街を歩いているとやたら目に入ったのがインド人の造る「インドカレー」屋。何故か多いんです。というわけで「マサラ」という安めのカレー屋に入るがここは日本人経営のカレー屋、せっかくだから中継ぎとして「オムライスカレー」630円。いやあでも何のインパクトもない平凡カレー

気を取り直して、カレー屋の裏筋のセルフではない饂飩屋に入る。
ここでクローザーに「冷やしタコ天うどん」を注文(オーダー呼称:たこ冷や)。ここは注文受けてから揚げにかかる店でうどんの腰、出汁共に今回の秀逸。タコも美味くて大変結構でした。
今回手が出ませんでしたのは金毘羅さんで見かけた犬用さぬきうどん370円。高いやん!無添加らしいけど。

それに犬公は汁は飲めてもうどんはよう啜らんやろ!
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まいまい亭 再び 高松市

2007-08-16 17:28:34 | 地方グルメ 南の方角
昨年6月初めて高松を訪れた際、店構えを見て「これは只ものでない」との直感し飛び込み結局二晩続けてお世話になった。料理の素晴らしさ、食器の洗練もさることながら主人の話は奥が深くまだまだ聞きたいと心残りがあった。
でも今回は盆の真っただ中、店を開けているわけがないと半ば諦めていた。
金毘羅代参の汗をホテルで流し、駄目もとで電話してみたら嬉しいことに開いていた。
「では今から伺います」と長い長~い高松市のアーケードを歩くこと20分余り。
カウンターは一席だけ空いていた。それも前の客と私の時間差は恐らく1分程度。
空いていた端の席は通常体形の人には座るに問題ない。でも私にはきついものだった。すぐ横に家具が迫り後ろには土産のしょう油豆の包みが積み上がっておりまっすぐ座るには私の腹をねじ込むしかない、窄まった不等辺四角形の空間しか残っていなかった。まっすぐ座ろうとすると背は直立せず15度程後ろに倒すことになる。そうすると足が地に付かない。腰も十分に曲げられない。呼吸がし辛い。隣の若い衆、気を利かせて代わってくれんかいなと思っていると、その若い衆が見かねて「少しこちらに向きを変えられたら楽になりませんか?」と言ってくれた。言葉に甘えて椅子を右30度程彼に方角に向けると腸撚転になりそうだが呼吸は何とかできるようになった。序に椅子自体を彼の方に5センチばかり平行移動すると何とか腹を収める空間が確保できて落ち着いた。
主人に昨年6月伺ったものですと名乗る。「あ~やっぱりそうや、さっきから家内とお見かけした顔やがと話ししとったんです」あ~良かった来た甲斐があった。
「お盆だから駄目だと思ってました。」「いやあ盆には海外からも含めて珍しい客人がいらっしゃるので休めないんです。」
カウンターの一番遠い処に座っている老人は常連で香川大学の教授だったが、大衆文化論を酔いに任せて喋っている。上方落語を余りに貶めるのを聞いているのが少々不愉快で「それは違うでしょ」と論戦を挑もうかと攻撃的モードになりかけるも隣の若い人が「東京からおいでになったんですか?」と話しかけてきたのを幸い、その若い人と主人と3人の実りある会話を愉しもうと意識の方向転換を試みる。
思ったよりいいテンポで会話が弾み出す、バイクで四国を回っているという若い衆なかなか会話の繋ぎが上手い。若い人はこのように謙虚な話し方が一番と尚話していると、京大工学部大学院生の彼は修学院離宮の側に住んでいるという。
「いやあ私も修学院離宮は思い出ありますよ。大学生の時、外人観光客のお供でよく行きました。そうそう明日からの講義の先生は確か貴男の先輩だよ、NECで研究者としてGROPUPWAREの開発に携わり京都大学に戻って京大大学院助教授から香川大学教授に転身した人ですよ」少々自分の大学生時代の蘊蓄も述べる。といっても・・当然学生生活の蘊蓄ではなく、村上改進堂の菓子とイノダ珈琲・・・そこの別館は湯川秀樹を始めとする京都学学のサロンだった・・・・百万遍にある進々堂のフランスパン・・そして当時あったの市電に烏丸今出川から7時45分頃に乗ると大文字送り火が3つ見れた話・・・嵐山のトロリーバスの話・・・蘊蓄には違いない。
主人が穴子を出してくれる、えらい肉厚の穴子である。「これは銀形穴子ていうんです。滅多に獲れん珍しいもんです。」主人の蘊蓄に話題が移る。
鱧と穴子の自然交配という説もあります。これはちょっと怪しいが噛みごたえのあるとびきり旨い穴子であることは確か。
器の話に移る。厨房の後ろにうず高くこのような器が重ねあげてあるのだが、店に置いているのは一部で2階にはもっとたくさんの器が置いてあるのだという。凄い。
器の収集はイサム・ノグチと一緒に窯元、骨董店を巡って集めたという。
由来は以下のような次第である。イサム・ノグチは実質3年間の短い結婚生活を李香蘭と北大路魯山人の鎌倉の別邸の一室で送った。離婚後高松に住んでいたとき主人はイサム・ノグチと知り合った。イサム・ノグチのConceptで店を設計し、その際買い求めたという。店は随分前に移転してその当時の造作で残っているのはカウンターの厚さ20センチはあろうかという見事な松の一枚板のみなのだが、近年、主人夫妻が魯山人の展覧会を見に行く機会があり鎌倉の魯山人亭の離れの写真がありびっくりしたという。襖の造作等いくつもの箇所がイサム・ノグチが作らせた主人の前の店と同じデザインだったという。
初日は「明日は大歩危小歩危にいきます」というバイク旅の大学院生に激励の言葉を掛けておしまいにした。
当然ながら翌日再訪した。

冒頭の写真はこの時期にしか使わないというマナガツオの焼き霜造り。マナガツオを刺身で食べるのはもちろん初めて、個性ある歯のアタリと凝縮した旨みの見事な一品であった。そしてこの日聞きたかったのがカンカン寿司の事。
主人の言によれば正統カンカン寿司は作り手がおらず絶滅料理となりかけていたのだが香川県志度に90歳を超えたおばあさんが製法を知っていると聞き主人は志度に通って教わったのという。鰆で作る一種の熟れずしで締める時に木槌でカンカン叩くのだそうだが、今は時期でないという。戻りの鰆で作るのが一番うまくて11月の末頃が最高ですとおっしゃる。
何とか11月に来る算段をしないとな~。1週間位前に予約をいれて絶対食べてみたい!そしてイサム・ノグチと同じく主人が人生の師匠と仰ぐ世界的彫刻家 流政之と由来話をじっくり聞かんとな~。

店の棚の一番高い所に流の小品が鎮座している。

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寿司ダイニングSUZAKI  空のコース 鹿児島市

2007-04-21 16:43:02 | 地方グルメ 南の方角
知人とゆっくり昼飯する約束をして朝10時に車でpick up してもらった。どこへ行きますかと尋ねられたが観光する積りはないので取り敢えず1991年に離任して以降に水族館ができたりして再開発が進んだ桜島桟橋方面へ。
信号待ちの時に横断歩道を犬を連れて花粉症完全武装?をした女性が通り過ぎた。「もしかしてあれはチー!」とドライバーが言う。チーというのは私が勤務していたころに一緒に居た女性だが。
そんな馬鹿な・・・確か彼女は結婚して国分か加治木かに住んでいると聞いていたし・・・・顔はマスクで全く分らないし、黒くてか細くて、小型犬に振り回されているようにすら思える女性がどうして彼女だと分るのだろう。・・・「でも体の動きがチー! 私は眼力だけはあるんです」
信号が変わり車は曲がって女性を追う。窓をあけるとその女性が振り向いた。お互い手を振る。へ~凄い。
豆柴犬の散歩をさせていた彼女は歯医者の予約が午後に変更できれば飯に加わるという。
我々は桟橋近くのドルフィンポートという桜島の眺められるテラス風のカフェで暫し待つことにした。
上手く予約変更ができて彼女は30分後位に現れた。たぶん彼女とは16年ぶりの再会である。「いやあ信じられないなあ・・・市内に移ったとは知らなかったし、目の前をトコトコと黒い影が通り過ぎただけで分るとは・・・そもそも君たちの年代だと体形が変わってああいうか細い体である筈がないと思ったし。」
相変わらず余計な事を言ってしまう。顰蹙の意を現して二人は目で見交わしている。髭も生やして少しは重みのある人間になったつもりが年相応の思慮分別は身に付かない。
昼食は彼女達の行きつけの寿司ダイニングに行くことになった。といってもカフェから直線で200メートル前後だろう。倉庫街だった地区の倉を改装した洒落た店である。
在勤時代彼女達を昨日の「たぬき」に何回か連れて行っているのであるが「あそこに連れて行ってもらったおかげで私、魚が食べられるようになったんです。」思わぬところで彼女から感謝の意を表される。ま~確かに鹿児島在勤時代は一人で食べるのがつまらなくてとっかえひっかえ若い女の子を連れてあちこちの店に行ったのであるが多少功徳を積んだことになりまするな。

まだ開店してそんなに経っていないのか店内も清潔で食器も綺麗。
積る話に花が咲く、普段無口を強いられている私は一方的に喋りまくり食べるペースが相手より遅れるという奇怪な状況が時に起るのだが、ほんの一口の料理なのでほおばりながら遅れることなく話が弾む、それに今回は私の方が彼女たちから聞きたいことが山ほどある。

寿司屋だが次は和牛にフォアグラ、まっこれもほんの一口だ、このあと汁物と茶わん蒸しがでる。そのあとに写真の寿司が出たわけで合わせれば結構満足な量があった。

まだまだ話していたかったのだが今回の鹿児島訪問の本来ミッションに立ち戻らなければいかん。
彼女達とのショットを機嫌のいい桜島をバックに。
今度はチーさんの車に乗せてもらって県庁跡の国際交流センターへ。今回の旅の主目的は放送大学での「腹腔鏡手術のスクーリング」参加である。少し遅れ気味だが出席点呼に間に合えばよい。
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抜け雀? たぬき 鹿児島

2007-04-20 23:30:17 | 地方グルメ 南の方角
私の記憶では店にはいつもジャズが流れていた。なぜかモーツアルトが流れている。「音楽変えたの?」「イライラせんようにってうちの奥さんが変えたんです」
確かに主人は目に入らない座敷の料理の進行具合まで気になって気になって若い衆に小声で指示を出している。前回ついていた若い衆はちょっとぼーっとした雰囲気があってイライラしているのが察せられたのだが、今回ついている若い衆は機転が利きそうに見えるが、主人は会うたびに体も細くなり繊細さが増しているから奥さんが子を使って変えたのがわからないでもない。でもモーツアルトがいいんですかね?これはわからん。
生ビールを2杯、三千盛の冷酒を一合まで行ったところで「どうなさいます?」と聞かれて「あと一合はきついか知らん」というと「じゃ半分ね。それで収まるかどうかわからないけど」今日は徹底的に鯛で攻めるらしい。ご飯は鯛飯
順調に飯も半合も胃に収まると「焼酎もせっかくだから少し飲みます?、珍しいのがあるけど」・・・このへんから私の集中力が少し落ちてきたのだが、「警官を辞めて焼酎造り始めたんだそうです。」主人が「森伊蔵でも地元で三千円だけど、これ五千円なんだよね」「なんでそんなに高いの?」「いやわからんけどとにかく飲んでみんね」
とにかく試すことにする。

長寿庵 なんで東京の蕎麦屋が焼酎なの?」「どう?」「おいしいけど日本酒の後だと余りインパクトないね~」失礼なことを言ってしまった。
主人が座敷を見ていきなさいという。襖に版画家が字を書いていったのよ。
「雪に舞い、月に舞い、風に舞い」へ~なんかわかったようなわからんような話だ。
さえき竹春とかいう京都在住の版画家だそうである。どうして書いてもらったの?と聞くと店に来て版画家っていう名刺をもらったからなんか書いてもらえませんかといったらいきなり襖に字を書いてくれたのよ。「何かしん生の落語の抜け雀みたいな話だな~」「いつ書いていったの?」「先週の金曜日」なんだ出来たてなんだ。
座敷の一行が帰ったので奥さんが案内してくれた。
書のことはなんにも知らないのでなんとも褒めようがありません。中央の襖の一番下の何か赤い点が。奥さんに「これ何?」と聞くと私が口紅でちょこっと書いたんですよ「だから合作ですって」
いや~もう何が何だかわかりません。おまけに主人は元気付けて帰らんにゃ」といって

鵜骨鶏の卵を割って下地を入れて飲ましてくれて今回の久々の充実の夕餉が終了したのでした。
店を出る前「まだ店辞めないよね」気になって聞いた。「今六十歳だけど、まだ新しい料理を考えるのが楽しいから辞めないよ」安堵して店を出た。
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