昨年6月初めて高松を訪れた際、店構えを見て「これは只ものでない」との直感し飛び込み結局二晩続けてお世話になった。料理の素晴らしさ、食器の洗練もさることながら主人の話は奥が深くまだまだ聞きたいと心残りがあった。
でも今回は盆の真っただ中、店を開けているわけがないと半ば諦めていた。
金毘羅代参の汗をホテルで流し、駄目もとで電話してみたら嬉しいことに開いていた。
「では今から伺います」と長い長~い高松市のアーケードを歩くこと20分余り。
カウンターは一席だけ空いていた。それも前の客と私の時間差は恐らく1分程度。
空いていた端の席は通常体形の人には座るに問題ない。でも私にはきついものだった。すぐ横に家具が迫り後ろには土産のしょう油豆の包みが積み上がっておりまっすぐ座るには私の腹をねじ込むしかない、窄まった不等辺四角形の空間しか残っていなかった。まっすぐ座ろうとすると背は直立せず15度程後ろに倒すことになる。そうすると足が地に付かない。腰も十分に曲げられない。呼吸がし辛い。隣の若い衆、気を利かせて代わってくれんかいなと思っていると、その若い衆が見かねて「少しこちらに向きを変えられたら楽になりませんか?」と言ってくれた。言葉に甘えて椅子を右30度程彼に方角に向けると腸撚転になりそうだが呼吸は何とかできるようになった。序に椅子自体を彼の方に5センチばかり平行移動すると何とか腹を収める空間が確保できて落ち着いた。
主人に昨年6月伺ったものですと名乗る。「あ~やっぱりそうや、さっきから家内とお見かけした顔やがと話ししとったんです」あ~良かった来た甲斐があった。
「お盆だから駄目だと思ってました。」「いやあ盆には海外からも含めて珍しい客人がいらっしゃるので休めないんです。」
カウンターの一番遠い処に座っている老人は常連で香川大学の教授だったが、大衆文化論を酔いに任せて喋っている。上方落語を余りに貶めるのを聞いているのが少々不愉快で「それは違うでしょ」と論戦を挑もうかと攻撃的モードになりかけるも隣の若い人が「東京からおいでになったんですか?」と話しかけてきたのを幸い、その若い人と主人と3人の実りある会話を愉しもうと意識の方向転換を試みる。
思ったよりいいテンポで会話が弾み出す、バイクで四国を回っているという若い衆なかなか会話の繋ぎが上手い。若い人はこのように謙虚な話し方が一番と尚話していると、京大工学部大学院生の彼は修学院離宮の側に住んでいるという。
「いやあ私も修学院離宮は思い出ありますよ。大学生の時、外人観光客のお供でよく行きました。そうそう明日からの講義の先生は確か貴男の先輩だよ、NECで研究者としてGROPUPWAREの開発に携わり京都大学に戻って京大大学院助教授から香川大学教授に転身した人ですよ」少々自分の大学生時代の蘊蓄も述べる。といっても・・当然学生生活の蘊蓄ではなく、村上改進堂の菓子とイノダ珈琲・・・そこの別館は湯川秀樹を始めとする京都学学のサロンだった・・・・百万遍にある進々堂のフランスパン・・そして当時あったの市電に烏丸今出川から7時45分頃に乗ると大文字送り火が3つ見れた話・・・嵐山のトロリーバスの話・・・蘊蓄には違いない。
主人が穴子を出してくれる、えらい肉厚の穴子である。「これは銀形穴子ていうんです。滅多に獲れん珍しいもんです。」主人の蘊蓄に話題が移る。
鱧と穴子の自然交配という説もあります。これはちょっと怪しいが噛みごたえのあるとびきり旨い穴子であることは確か。

器の話に移る。厨房の後ろにうず高くこのような器が重ねあげてあるのだが、店に置いているのは一部で2階にはもっとたくさんの器が置いてあるのだという。凄い。
器の収集はイサム・ノグチと一緒に窯元、骨董店を巡って集めたという。
由来は以下のような次第である。イサム・ノグチは実質3年間の短い結婚生活を
李香蘭と北大路魯山人の鎌倉の別邸の一室で送った。離婚後高松に住んでいたとき主人はイサム・ノグチと知り合った。イサム・ノグチのConceptで店を設計し、その際買い求めたという。店は随分前に移転してその当時の造作で残っているのはカウンターの厚さ20センチはあろうかという見事な松の一枚板のみなのだが、近年、主人夫妻が魯山人の展覧会を見に行く機会があり鎌倉の魯山人亭の離れの写真がありびっくりしたという。襖の造作等いくつもの箇所がイサム・ノグチが作らせた主人の前の店と同じデザインだったという。
初日は「明日は大歩危小歩危にいきます」というバイク旅の大学院生に激励の言葉を掛けておしまいにした。
当然ながら翌日再訪した。
冒頭の写真はこの時期にしか使わないというマナガツオの焼き霜造り。マナガツオを刺身で食べるのはもちろん初めて、個性ある歯のアタリと凝縮した旨みの見事な一品であった。そしてこの日聞きたかったのがカンカン寿司の事。
主人の言によれば正統カンカン寿司は作り手がおらず絶滅料理となりかけていたのだが香川県志度に90歳を超えたおばあさんが製法を知っていると聞き主人は志度に通って教わったのという。鰆で作る一種の熟れずしで締める時に木槌でカンカン叩くのだそうだが、今は時期でないという。戻りの鰆で作るのが一番うまくて11月の末頃が最高ですとおっしゃる。
何とか11月に来る算段をしないとな~。1週間位前に予約をいれて絶対食べてみたい!そしてイサム・ノグチと同じく主人が人生の師匠と仰ぐ世界的彫刻家 流政之と由来話をじっくり聞かんとな~。

店の棚の一番高い所に流の小品が鎮座している。