新・仏像ワンダフル!

千年の時を超えて仏像との新しい出会い
いやいや街を見渡せばよく似た人がいたような・・

五百羅漢寺の面々 東京・五百羅漢寺 江戸時代

2011-09-29 14:32:16 | 旧仏像ワンダフル
あちゃー 昨日の像の方は釈迦の実子のラゴラさん、
16羅漢のおひとりでしたね。重鎮にご無礼をしてしまった。

五百羅漢寺
ちゃんと一体づつ名札が付いているようで、
現場で勉強しなさいという事でしょうか。

頭が人、体が牛、尾が虎の獏王が
「この未熟者~ 味噌汁で顔洗っておととい来やがれ」と
にらんでいるよう。

五百羅漢像-ラゴラ像 東京・五百羅漢寺 江戸時代

2011-09-28 13:26:41 | 旧仏像ワンダフル
人間の想像力は凄いですね。
仏は心の中に宿るを具現化しました。

こちらは都内にある寺に江戸・綱吉時代につくられた
五百羅漢像。
羅漢-阿羅漢というのは元来、悟りに達した者=釈迦
だったようですが、信仰の経過と共に修行者、
つまり一般の悟りを得ようとしている人に変化して
いったようです。

こういう真に迫った木像が5百対あり、各自いろんな
修行の最中で、様々な事をしています。

実際に現場に立つのを想像するだけで卒倒しそうです。

数の威力は別にしても、これだけの人間の姿形で
いったい何を訴えたかったのか?
人間臭いだけに気になります。

こういうのは見る人によって全然違うでしょう。

この、胸の穴に仏がみえる仏像。
不気味な笑みを浮かべ凄味があります。
もし人に問われれば本当に腹を掻っさばきそうです。
死もいとわない大義があります。
自己犠牲と覚悟が感じられる兄弟、なのかなぁ


一休禅師木像 京都・酬恩庵一休寺 室町時代

2011-09-27 11:12:50 | 旧仏像ワンダフル
この方も遠い昔教科書でお会いしたような気がするのですが、
実在の人物登場はお初となります。

風狂とか変人とかいろいろ語られていますが、
私の印象は「反骨とサービス精神の人」という感じ。



昔この肖像画を見ても何も疑問を持たなかったのですが、
和尚さんが髪の毛と髭をはやしているのは普通ではなかった
わけですね。今でこそ葬式で髪の毛のあるお坊さんも
見かけますが、やっぱりちょっと違和感がありますし。



小さいころに見たアニメ「一休さん」の主題歌
♪すき すき すき すき すきっすき~~あいしてる♪
が頭の中を流れる中で、木像を見てみます。

類人猿のような眼の落ち込み、八の字の眉、
一文字の口と握りしめた左手、木刀を握る右手。
自分の本物の頭髪と眉毛と髭を埋め込んだ力作です。

死の1年前に墓とともに弟子に作らせたそうですが、
何をや語らんかな。

権力(天皇家や武家)から排除されることもなく
財界(商人)からも人気があり
庶民には慕われたというその生涯。素敵です。




釈迦如来 深大寺・東京 飛鳥~奈良時代

2011-09-26 05:52:13 | 旧仏像ワンダフル
椅子に腰掛けるように台座に座り
両足をおろした形式の像を倚像(いぞう)と
呼ぶそうです。
ありそうで無い姿かもしれません。

深大寺は関東ではおなじみの寺ですが
飛鳥時代の昔、周辺は新羅からの渡来人が多く
製造技術も伝えられたのではないかということです。

蝋型鋳物による銅像で、ずっしりとした質感。
自然な姿勢と抑えた表情、手の印による信仰の表現。

静けさが聴こえてくるような感じです。
やっぱり遺伝子が落ち着きますね。

釈迦如来坐像 インド・マトゥラー(インド国立美術館) 2世紀

2011-09-25 08:28:11 | 旧仏像ワンダフル
あの~上と横と下が大変なことに
なってるんですが大丈夫ですか~~

サンバのリズムでも聞こえてきそうな有様
ですがここはインド。
しかも仏像はこっちが元祖なんです。

「は~い、みんな元気かな?」
と問いかける釈迦、
ミニスカポリスのような両脇侍像は
「載ってるか~い!」と合いの手、
上に多摩川の土手に寝転ぶような仏が2人、
下はノリノリで踊っています。

こんなんでいいのでしょうか。
いいんです。

ここから伝承されて、多種多様な民族に
その人たちにとっていちばん尊厳のある形が
創られていったんです。

でもこの全身から溢れるパッションを
今の日本にも欲しくないですか?
アホと呼ばれても。


大日如来像 大分・臼杵石仏 平安時代

2011-09-24 16:27:39 | 旧仏像ワンダフル
石を掘り出した仏像というのは
独特の存在感がありますね。
苔むす岩肌には時間を感じます。

岩の中から形を得て浮き出してくる感じ、
何もないところから輪郭が明らかになり、
必然のようにそこにある。

なんだか鉛筆のスケッチに似てるんです。

眼では認識しきれない線が現れてきたりして
わくわくする瞬間。

見えていても認識できていないことは
自分の身の回りにゴマンとあり、
はやく発見されるのを待っているんです。



空也上人像 京都・六波羅蜜寺 鎌倉時代

2011-09-23 15:48:28 | 旧仏像ワンダフル
彼が「南無阿弥陀仏」と唱えると
その一字一字が阿弥陀如来となって
口から現れた

その姿をそのまんま、再現するとこうなった。
やれば出来るもんです。

確か遠い昔、学校の教科書にあったような
記憶もある空也上人。

哀れみと苦悩のような表情が
俗世と対峙するという覚悟を語るようです。
醍醐天皇の第二皇子という説もあり、
釈迦を彷彿とさせますね。


持国天立像 京都・東寺 平安時代

2011-09-22 22:05:16 | 旧仏像ワンダフル
憤怒、怒りを赤裸々に表現する持国天。
私の仏像への興味を引き出してくれた元祖ともいえます。

ちょうど向かい側にあるソファに腰掛けて、その表情を
覗き込むように観ていました。
暗闇に浮かび上がる姿がなまめかしく
腰の入ったポーズは迫力満点。

触れることは出来ませんが、ガッチリ視線を
合わせてきました。

まだまだ全然足りませんが、こうして名残惜しくも
空海の仏像たちとお別れです。

貴重で贅沢な時間。

実物の仏像を前に見下ろされると、
感情移入が起こり、その訴えている意義を探りたくなる。
しかしもろもろの前置きをすべて取り払い
ただ「こういう奴もいるよな~」とか
  「こんな心境の事あるある」と眺めてみると
人に対して許容範囲が広くなったような気が
なんとなくしてくるわけで。

なによりも自分のふがいなさに対しても
寛容になれるような気がする今日この頃。

帝釈天坐像(右横) 京都・東寺 平安時代

2011-09-21 14:17:08 | 旧仏像ワンダフル
印象を記憶にとどめておくのは難しい。
どんなに驚嘆し感動しても、同じ感覚はもう二度と訪れない。
リアルな再現は出来ない。

良いことも悪いことも移り変わる、諸行無常です。

やっぱり帝釈天の本領というか、その麗しい姿と
息を飲むような横顔を描くべく壁に張り付いていたのですが
及ばず、無念。

そのうち「仏像と動物たち」のテーマでも作って
再登場していただくとしましょう。


帝釈天坐像(背面) 京都・東寺 平安時代

2011-09-20 19:27:34 | 旧仏像ワンダフル
なんら奇をてらうことも無く、人間そのもの。
現代の美的感覚からしても、仏像に定番の二重あごもなく
受け入れやすさはダントツです。

実物は写真よりも俄然イケメン。
凛とした知的な表情は下からの光に照らされて
妖艶、美しい・・

ま、そうは言っても後姿を見納めようと
スケッチをしていると、熟年夫婦の旦那が
「イケメンは後ろから見てもイケメンだな」
と加勢してくる。おっしゃる通り。

崇高な精神が後姿にもにじみ出てしまうんだな。