仏像の眼差しの焦点というのは
まず合っていないじゃないだろうか?
開眼、半眼、伏眼、憤怒でひん剥いていても
やっぱりバッチリ目が合うという事は
ないように思う。
何故か観るものの中を通り抜けて
彼方を見つめるか、
思慮慈愛の眼差しは現存するものを
見ているわけではなく空中に飛散してしまう
ように思う。
そんな中で、もうちょっとで会話が出来そうな
中身が鶴田浩二で
「実はね 古い奴だとお思いでしょうが」
とか語りだしそうな感じがしたのが
東大寺の弥勒如来。
身を乗り出して片手にちょっと重心を置いて
前に差し出した手のひらは
何かモノ言いたげに見えて仕方ない。
まず合っていないじゃないだろうか?
開眼、半眼、伏眼、憤怒でひん剥いていても
やっぱりバッチリ目が合うという事は
ないように思う。
何故か観るものの中を通り抜けて
彼方を見つめるか、
思慮慈愛の眼差しは現存するものを
見ているわけではなく空中に飛散してしまう
ように思う。
そんな中で、もうちょっとで会話が出来そうな
中身が鶴田浩二で
「実はね 古い奴だとお思いでしょうが」
とか語りだしそうな感じがしたのが
東大寺の弥勒如来。
身を乗り出して片手にちょっと重心を置いて
前に差し出した手のひらは
何かモノ言いたげに見えて仕方ない。