ようこそクッキー 中山本店 

毎日食べたもの、飼い猫のことなどを綴っています。

ありがとう、しろ。バイバイ、しろちゃん。3

2009年01月24日 | ねこ・散歩
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昨日はしろとの別れの日。朝の5時前には目が覚め、しろの脇でワインを飲みながら思い出を辿っていた。家の周辺を一巡して最後に景色を見せてあげたかったけれど、外はあいにく雨がパラついていて寒かった。お気に入りの出窓では何時間でもごろごろしていたものだが、そこから臨むいつもと変わらない筈の景色も寂しく映る。

ほんの1週間前にはこんなことになろうとは予測もつかずに無防備でいた自分が情けなく、何よりしろに申し訳ないという自責の念でいっぱいだ。何かまだしてあげられた事があったかも知れないという漠然とした後悔だ。そして、火葬の予定も2日前に決まって分かっていた筈なのに、いざとなると胸が締め付けられる思いは堪え難さを増し、指先の関節まで病む感覚を覚える。ボトルが空き、ほどなく定刻が訪れ、いよいよ家を起つことになってからも躊躇してしまった程だ。

午後3時にはお骨を拾い、家路に就いた。朝よりは心の靄(もや)が晴れている気がしたが、同時に、車に差し込んでくる日差しも、ここ数日にない程、強く燦々となっていた。ようやく家に着くと、ポッケは骨壺の入った袋の白い房で遊んでいる。するとたまにカチャッと壺のふたが擦れる音に驚き、慌てて体を引っ込める。涙目になりつつも笑みがこぼれる。ねこはやはり、愛すべき生き物だ。

しろはねこにしては珍しく悪さをしなかった。もっとも、一度神経性の病気を煩って以降は人の膝にジャンプする事も出来なかったし、歯はとうに無かったし、アクティブに動かないので爪もとんがらない。つまり、何に対しても反撃出来ないことを自覚しているかのようだった。だから、ボクも過保護にするきらいがあった。ポッケはさっきコップを割った。そういうのがある度に、しろの良さがいよいよ際立つのだ。

こうしてブログに幾ら思いを綴ったところで、それは飼い主の自己満足のほんの足しに過ぎないが、それは或る意味において人間にもいえる事かも知れない。だからこそ、生あるうちに、なるべく悔いの残らないような接し方を心がけるのが肝要なのだろう。それは、相手に対してだけでなく、必ず自分に還って来るという事だ。

ねこは人間に言葉を介して意思を伝えるすべがない。もっとも、それ故のもどかしさも魅力の一つであるわけだ。が、そういう事情を抜きにしても、永遠に解り合うことなど無いのかな?と考えるようになった。表層的な部分にのみ終始して解り合っていると思い込むのは飼い主の勝手であろうし、ボクもかつてはそのように思っていた。その方が自分にとって都合が良いからである。しかし同時に、真の意味で解り合うという事の困難さにも気づくようになった。そのような思いは、この十余年の間にボクにとってのねこの存在というものが、単なる愛玩動物ではなく家族の一員であるという意識が強くなればなる程、強くなっていった気もする。互いの求めるものの位相はまるで異次元で、まさに援助交際の如き絶妙にバランスしているだけなのかも知れない。繰り返すが、分からない事だらけだからこそ愛おしいのだ。冒頭で後悔していると書いたが、ひょっとしてそれさえ何も思っていないかも知れないし、或いは不条理な別な事で腹を立てているかも知れない(w。

はっきりしているのは、お互いずっと楽しかったという事だ。しろもまんざら居心地が悪ければウチに居すわる事もなかっただろう。そう、ボクはしろに選ばれし者だったのだ。これからしばらくは色々な忘れかけていた事も次々と蘇ってきて、ボクは辛い日を送る事になるだろう。でも、しろが安らかであればそれで全てが救われるよ。

長い間ありがとうね、しろ。ゆっくりしてね。じゃぁねバイバイ、しろちゃん。

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(2009.5.23 転載)

ありがとう、しろ。バイバイ、しろちゃん。2

2009年01月22日 | ねこ・散歩
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今年も正月早々からネコに翻弄されているけど、ボクにとっての試練であり責務かと受け入れている。「今年も」と書いたけど、実は11月に別のネコの失踪事件があって、そのけりも付いていないのだ。それについては、追々書くとして・・。今日は明日午後にお別れになるしろとの出会いを綴りたい。

しろはボクが飼うまで野良猫だった。正確には、捨てられた飼い猫だった。ここに越してきた13年前当時、仕事を終えた後、ほど近いマンションから少しずつ荷物を運び込んでいた。その時に、階段の下を2匹の成猫がうろうろしているのに気が付いた。が、気にも留めず淡々と荷物を運び入れていた。その時、ボクは机の脚に弁慶を強打し階段にうずくまった。そこに近づいてきたのがしろだった。どう見ても白猫というにはほど遠い、雑巾を煮染めたような汚い灰色の猫だった。「痛ってー」と言いながら手を伸ばすと、ひょいと逃げてしまった。

数日後、初めてここに移った日にもやはりその二人組の姿はそこにあった。ボクはそれまで猫など飼った事も飼う気も無かったのだが、やがて、2階の部屋のドアの前で佇んでいる日が多くなった。お腹が空いているから来るのだろうと、ある晩、コンビニで調達した猫ご飯をあげた。まだこの頃は警戒心があり、近寄ると逃げるので、そっとドアの前に置くだけだった。2匹は同じ青い首輪をされていたので、どうやら同じ飼い主の飼い猫だったようだが、それまでの経緯など知る由もない。2匹がご飯をもらうのはどうやらウチだけではなかったのだが、いつも満腹になるとどこかへ去っていった。

援助交際も2ヶ月ほどになったころであろうか、ある昼過ぎに、ドアを開けるとしろだけがいた。もう一匹は塀の上で鳴いていた。故意に、開け放ったドアの内側へご飯を置いた。すると、恐る恐る足は外に置いたまま上半身だけがごはんの方へ伸びた。それからは早いもので、警戒心も薄らいでいったようで、すぐに床を共にする関係になった(笑)。もう一匹は決してなついてくれなかった。

布団に入れると、足元まで潜っていって一晩寝た。そうしたら、たちまち体中がかゆくなった。どうやらノミがついていたようだ。当たり前だが、その当時はノミを見た事すら無かったのだ。早速、風呂に入れると見違えるように綺麗な洋猫になった。それから暫くして、病院の世話になった時、避妊も済んでいるようで、歯石の具合からしても歳はある程度とっているようだという事はわかった。

事の顛末、しろとの出会いはこうだった。野良猫を拾ったのではない。捨てられた飼い猫が勝手にやって来たのだ。前の飼い主が捨てたという行いは決して許されるものではないし、事情がどうあれボクには理解しがたい事だが、それについては後に言及することもあろう。とにもかくにも、猫のいろはを教えてくれたしろと出会う事ができたのは本当に幸せで毎日が楽しかった。今は悲しみのどん底にあるけれども、それでも決して不幸だとは思わない。しろの相方のもう一匹は残念ながらボクには縁が無かったが、気になっていたのでたまに思い出す事があった。今頃、互いの人生を語り合っているのかな?

猫は刹那的で、自分勝手で、打算的だ。そしてそれこそが魅力とも思う。そして、猫それぞれに個性があるのも確かだ。しかし、人間のフィルタリングで優劣をつけてもあまり意味を成さない。何故なら、自分の飼い猫はどんなにおバカでも愛おしいからだ。一般に、人が思う程猫はバカではない。しかし困った事に、それ以上に賢くない。今、ボクが涙する姿をしろはどういう風に見ているであろうか?今だけを必死に生きている猫にとっては過去も未来もないだろう。だから、理解出来なくてもいいよ。でも、少し寂しいと思っているかな・・。いや、思って欲しいな。やはり、人間の方が勝手だな。

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(2009.5.23 転載)

ありがとう、しろ。バイバイ、しろちゃん。1

2009年01月22日 | ねこ・散歩
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13年程前のしろ。

その日の関東地方は4月並の暖かな1日でした。2009年1月19日大安吉日午後3:25頃、ボクの初めての飼い猫であるしろ(本名しろいの)が天に嫁ぎました。苦しむ事も無く、大変穏やかな最期だったことがせめてもの救いと思う一方、まだ自分の愛情や力量の不足があれやこれやとひっかかってくるところがあるのも事実です。でも今は、ただただ、安らかに眠って欲しいと願うだけです。もう、まずい薬もでかい注射もないよ。しろと一緒で本当に楽しかったよ。ありがとう。

昨年の3月にも危篤状態にありましたが、どうにかここ半年以上は保ち直していました。その時に悪かった肝臓、肺は検査での数値も回復しておりました。しかし、暮れの検査では腎臓が弱ってきているようでした。ご飯も然るべきものに変えましたが、なかなか食べてくれませんでした。一見、元気になっているようにも見えましたが、少し体調を崩すと症状はどんどん悪化し、その状況はきまって前よりも悪くなるようでした。そんなわけで、病院へはずっとお世話になっておりました。高齢という事もあり、回復は芳しくなく、特に体重は亡くなる一週間前には1.5kg程でした。病院で投与される皮下注射が命を細々とつなぎ止めていたというのが実情でした。食欲が回復するに至るどころか、今回はうんちを踏ん張る力さえ無くなっており、病院で出してもらっていました。そんな状況で体力の衰えは進む一方でしたが、これまで何度かそういった逆境を乗り越えてきたしろですから、今回も密かにそれを期待し念じておりました。でも結局、今度ばかりはそれも叶いませんでした。

数歩歩いては倒れ込む様子は、見ていても痛々しいものでした。ここ一週間程は体温も低めになっていましたから、なるべく膝の上に置いて生活していました。この十数年間、あまりボクに甘える仕草を見せないしろでしたが、珍しく胸に這い上がるようになっていたのは、何か言いたい事があったのかな?少し目を離すと寒い風呂場の前などでうずくまっており、今思うと人目を避けたところに居たかったのかも知れませんが。息を引き取る数分前には肉球を撫でると握り返してくれましたが、どこを見ているのかその視線の先は恐らくボクではないような気もしました。でも或いは、視線の定まらないながらも、必死でボクに旅立ちの挨拶をしてくれたのかも知れません。いつもだと頑張れと声をかけるところですが、こんなに頑張っている姿を目の当たりにして、これ以上そんな事は言えませんでした。握り返してくれたその力は、か弱いながらもしっかりとしていました。何度もそれを繰り返してくれました。

夕方の診療時間が始まる時刻が近づき、さて、そろそろ病院へ行こうかなと支度を始めた矢先、そのか細い息と小さな心臓の鼓動はふっと止みました。物静かで性格の穏やかなしろらしく、少しの間、気が付かない程静かな最期でした。ヒーターと彼女の嗚咽だけが響く部屋で、まだ暖かいしろをずっと抱きしめていました。もういくら呼んでもしっぽがぴょいとも動きません。やせ細ったからだからとうとう力が抜けていました。

23日が火葬なので、亡きがらに会えるのはあともう数日です。でも、ずっと一緒のような気がします。なのにずっと涙が止まりません。次から次へと楽しい思い出が蘇ってきます。さて、しろは今度は何に生まれ変わって僕らの前に姿を現すんだろう?また会えたらいいね。

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お葬式
日時 1月23日(金)午後1時
場所 動物苑(柏霊園)

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(2009.5.23 転載)

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2009年01月21日 | ねこ・散歩
しばらくお休みしておりましたが、再開しようという矢先、
今度は療養中のしろが他界致しました。
クッキーの捜索は継続しておりますが、
まさに泣きっ面にハチです。
ネコの話題だけを別ブログとして立てましたので、
よろしかったらそちらもご愛読下さいませ。
まあ、暗い話題が続くかも知れませんが・・・。

http://blog.goo.ne.jp/pocket6464/

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