ようこそクッキー 中山本店 

毎日食べたもの、飼い猫のことなどを綴っています。

<ほろ酔い日記 vol.26>「チェ・ゲバラ」vol.5

2014年01月15日 | ねこ・散歩


それから2日後のこと、アッと思わず声が漏れそうになるくらい驚きました。
チビクロが戻ってきていたのです。そして案の定、横たわったそのお腹の周りには
小さな生命体がモゾモゾしていました。予想していたとはいえ実際にそれを
目の当たりにすると、いよいよ何かが始まってしまったんだなという思いに駆られました。

若い子が子猫は全部で4匹いるようだと教えてくれました。チビクロは入り口に置いてある
置き傘の林立する傘立ての中で子猫と寝ていました。よりによってそんな窮屈な場所に。
会社の置き傘などどれも価値のない同じようなビニール傘ばかりです。ビニール傘とは
所有者に所有権があるようでいて実は誰にも無いも同然なんだよ、などと無茶な理屈をこねて
20本程捨てただろうか。苦情がないのはまんざら間違ってもいないってとこだろう
いずれにせよ、だいぶ居心地が良くなったはずだ。次にそこを訪れると誰かがタオルを敷いてくれていた。

今までにもこういう場面には何度も出くわしているけれど、だいたいは同じ筋書きで話が
展開されることになるのだ。このつかみどころのないどんよりしたロシア映画みたいなのを
どうにかしてハッピーエンドのハリウッド映画みたいに出来ないものだろうか?
誰かスピルバーグに頼んでくれよ。
根拠こそ不明ですがノラ猫の子供の1年間生存率は10%程度だという話しを巷で目にします。
この数字の真偽の程を問われると、僕にもなんとなくやはり当たらずといえども遠からずかも?
などという実感があります。

心を覆い尽くすこの悲観的な気分はもちろん過去の辛い経験に因るものなのですが、それとは別に
生まれたばかりの子猫は掛け値なしにかわいいものです。まぁ猫に限ったことではないでしょうけれど。
このかわいさにはとにかく有無を言わさないものがあります。同時に、それを懸命に育てる
母猫の姿にも心をわしづかみにされます。そしてやがてそこに自分の母親の姿を
投影してしまっていることに気付くのです。母親とは愛おしくも有り難い存在なんだよね。
なんてなことを普段の生活ではマジメに考える機会などそうそうあるものでもないのですが、
そのときばかりは猫たちをみていたら自然とそんな心持ちに至っていたのでした。

実は僕はその生まれたばかりの子猫たちの写真を撮りました。けれども先述の通り、
生き延びる確率は極めて低いという現実を思うと、後になって見るのも辛い写真を
今まさに撮っているのだという自覚、覚悟のようなものがありました。
ラブラブでディズニーランドで撮った写真ほどフラレた後に見て始末の悪いものはないだろ?
まぁ強いて言えばそれに似ているかな。
逆に毎日眺めては泣き暮らすという荒療治でその窮地から脱する人もいたけどさ。

おいしいものを食べたいという積極的な欲求とマズいものを食べたくないという消極的なそれは
似ている様でいて実は意味が違うんじゃないかと思うよ。
賢明な悲観論者であれば自分を不幸せにするかもしれないものをことごとく排斥するのだろう。
例えそれが幸せに導くかもしれないものでさえ犠牲にしてね。
それが僕にはなかなか出来ないところをみるとやはり愚かな悲観論者なのかもな。
心のどこかでそれを写真に残しておかないのも落ち着かないのだ。
それは言い換えるなら、そういうハッピーな状況が少しでも長く続いてほしいという
願望に他ならないのかも知れないな。かなわないだろうって知ってるから。
不謹慎な言い方だけれども、不幸と幸せの振れ幅、ダイナミクスを楽しむってことが
なんか人間には必要なのかも知れないぞ。なんてふと思った。今。

<to be continued>

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<ほろ酔い日記 vol.25>「チェ・ゲバラ」vol.4

2014年01月14日 | ねこ・散歩


ハイ♪ 久々にチビクロの話題。だいぶvol.3から間をおいてしまいましたが、
あれからも色々とありました。曲がりなりにもノラ猫ですからないハズもありません。
今日からこのブランクの間に起こった出来事を書こうと思います。

先ず、チビクロはvol.3をアップして間もなく姿をくらましました。
僕は気付いていましたが、まだ1歳だし元が小さいだけに単に太っただけだと思い込んでいる人も
周囲には多かったようです。とにかく子猫を産むのはこの週あたりだろうという
僕の予想は見事に当りました。お前の子じゃないの?と笑うヤツもおりましたが
出産の際には安全を期して人目につかないところに移動するという習性がありますが、
そのためここ数日姿を見せなくなったのであろうことはほぼ間違いないと想像がつきました。
けれども毎日そこに寝そべっていたやつが今日もまたいないとなるとやはり不安で
仕事中も気に掛かって仕方がありませんでした。

姿を見せなくなって一週間程が経ったある晩、普段とは違う経路で帰ろうと思って
いつもいた駐車場から50mほどにある焼き肉屋の近くの坂道を歩いていました。
梅雨を抜けきっていない時期特有のジメッとした日。街灯もまばらな薄暗い住宅地とはいえ
日が長くなり、そこに猫がいればたぶん気がつかないこともないような時刻。
でも時折小雨が舞ったりしていましたのでさすがに水に濡れるのを嫌う猫が
そんな中を歩いているとも思えませんでした。
勿論、会えたらいいなと心の隅では思っていましたが、仮に子猫を産んでいたとすれば
そこから離れられないのは尚更のことですからまず期待などしていませんでした。

ところがあっけなく出くわしたのです。ニャニャと途切れ途切れの小さな鳴き声をあげながら
ちょこちょこと薮から小走りで出てきました。さっそく頭を少し撫でてからお腹に目をやると、
やはり元の華奢な体型に戻っていました。たかが一週間、しかもノラ猫相手に
一日千秋の思いと言ったら大げさかもしれませんが、しゃがんだ僕の膝に執拗に
頭をこすりつける姿を見ると懐かしさと嬉しさがこみ上げてきました。
あまり長い時間子猫たちから遠ざけるのも気がひけたので、
バッグの中にまだ少し残っていたドライフードを雨のあたらないコンクリートに置くと
それを食べ終えるのも見届けず、ガンバレよーとだけつぶやいてその場を後にしました。
帰り道、嬉しいという気持ちもある反面、不安の方が遥かにそれを凌ぐ大きさに
増幅していっていることに気付くとため息をついてしまいました。

<to be continued>

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