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ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

2025年度のご挨拶~奈良市音声館を中心に

2025-05-31 | その他
二月のホール公演の後、全くブログの更新をしていないにも関わらず、読んでくださる方も多く、感謝しています。ありがとうございます。
これまで、地元奈良町の施設(奈良市所有)の運営に関わってきました。
・登録有形文化財 奈良町にぎわいの家 2015年〜
・再現町家 ならまち格子の家     2024年~
・奈良市音声館            2025年~
この四月より、奈良市音声館も運営となりました。

にぎわいの家、格子の家は、文化観光施設ということで、日々、様々な方が訪れ、町家空間の良さと現代的な展示や発信も含めて運営してきました。
音声館は、小さなホールを持った施設であり、観光施設とは違い、貸館もあり、また同時に地域の文化力アップのための、事業発信も必要な館です。
ただ、音声館は、小町座の活動で約20年、公演もしてきた場所でもあり、馴染みの場所であり愛着のある館です。ただ、管理となると、奈良町家のように家ではなく、小さいとはいえ、ホールを持つ館でもあり、施設の維持等の予算も違います。
そういうことも含めて、私たちのような地元の団体が、果たして、運営できるのか?という問いもありつつも、悩むより走れ!ということで、今年一月の奈良市の指定管理の採択も受け、管理運営となりました。私が共同代表をつとめる、「奈良町くりえいと」が運営にあたります。

町家の二館と違い、日々、開けていれば観光の方が来るという施設でもないので、何とか、足を運んでいただけるように、無料の企画を春より開催しています。以下、発行物の紹介です。新しい館のイメージに、奈良町在住イラストレーターのChikaさんにイメージイラストを頼みました。おかげさまで
目をひくようで、「音声館、かわったね。」「素敵な絵に魅かれて入ってきました。」など、お声をいただいています。

奈良町にぎわいの家、格子の家、音声館、丁度、各施設は五分程度で移動でき、奈良町のよいトライアングルスポットになっていますので、どうぞ気軽にいずれの施設もお越しください。お待ちしています。










日曜の一日

2024-04-15 | その他
あまり一人で出かけることがないのですが、昨年、奈良町にぎわいの家で展示をされた、大和絣の作家、亀山知彦さんの作品が、日本伝統工芸近畿展に入選され、招待券をいただいたので、京都の高島屋へ。
亀山さんの「雪片」と名付けられた大和絣は、展覧会全体、華やかな作品も多いのですが、その中でも私は、別の輝きをはなっていると感じました。「雪」のはかなさが模様や色にあり、しかも、とけるまでの一瞬の時間を丁寧に表現されているような…そんな印象を受けました。
今後とも、伝統の織にご自身の美意識を反映されて、益々、良い作品を作られることを祈っています。

さて、そもそも、河原町と聞くだけで「こんでいる…。」と頭から思って、もうずっと河原町へ行ってませんでした。ただ、とても懐かしい場所で、京都に伯父や伯母がいたので、子どもの頃は高島屋の屋上に連れていってもらったり、レストランで食べたり、いわゆる「昭和の子ども」で百貨店が大好きでした。それに河原町通りに「京都書院」があって、学生の時は必ず「不思議な変な本」はここでゲット!80年代の演劇やアート、哲学書、いっぱいありました。今はそういう文化の場所というよりは、グローバル経済の代表的なブランドが軒を連ねているような…。

ところで、その日曜日の目的は、高島屋の展覧会でしたが、思わぬところでいろいろ楽しい休日になりました。
①電車のお嬢さん二人
演劇に関わっていると、「人」を見てしまう、というか、昔の写真の日本人が笑っている顔とかに会いたいな、などいつも思っているのですが、たまたま、一人の高校生か大学生のお嬢さんが、電車に一人乗ってきました。なぜ、目をひいたかというと、履いているadidasのスニーカーが、私と同じだったからです。そのスニーカーは、私は買ったまま、まだ履いていない、薄いピンクのものですが、それがその人にとても良く似合ってました。
長いシャツに短いキュロットに素足が長く伸びて、化粧はせず、目の輪郭だけきれいにかいてました。とても春らしくて、いいなぁと見ていたら、途中の駅で友達が乗って来ました。そして、二人で話をしていました。
乗ってきた友達もすっぴんで、サロペットに白のニューバランスのスニーカーがよく似合ってました。何より私が見てしまったのは、彼女がずっと笑顔だったこと。なんというか、おかしくて笑う、というのでなく、そこはかとなく、ずっと笑顔なんです。きっと何を話しても楽しいんだろうな、そういう時があったな、とも思いましたが、何しろ、普通の話でも、ほんのり笑顔が続き、それはおそらく、日々そんな顔なんだろうなと思うと、なんかいいなあ、こういうタイプの顔は、中々、いないなあ…と見とれていました。ファッションも笑顔も、いたって普通で何か突出してるわけでない、普段着の「春」の二人のお嬢さんが、楽しい時間を過ごしている…。いいものを見たなあと、これを思い出すたびにほんわかとなります。

②お昼ごはんのお蕎麦
奈良でもそうですが、円安もあるのか、外食の値段が跳ね上がっています。河原町でランチとなると…と覚悟してましたが、昔「田ごと」のお蕎麦が好きで、母とにしん蕎麦を食べたのが思い出ですが、なんかそんなの食べたいなあ…と思っていたら、烏丸駅の方へ四条通り歩いていた時、1000円で食べられるきつね蕎麦と五目御飯のセットのメニューをみつけ、店に入るべく地下に降りていくと…広い!しかも、すいている!ということで、
早速注文しいただきました。嬉しかったのが、小鉢の「大根のたいたん」。しっかり煮含められていて、歯ごたえもあり…。それから、お蕎麦の御出汁も私にナイス!また絶対来ます。

③京都文化博物館別館 クラウディア・アンドゥハル「ヤノマミ」展→
Programs: Claudia Andujar  |  KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

Programs: Claudia Andujar | KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

Claudia Andujar クラウディア・アンドゥハル ― ヤノマミ<br>
ダビ・コベナワとヤノマミ族のアーティスト In collaboration with Instituto Moreira Salles and Hutu...

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

 

何か展示があるでしょうとリサーチもなく入ったら、アマゾンの先住民の「ヤマノミ族」の写真と映像展があり、これがとてもよくて…何気に入ってこういうのに巡り合うとテンション上がります。
この展示は「京都国際写真展」の一環で、写真家のクラウディア・アンドゥハル「ヤノマミ」展です。今年で93歳の作家は、第二次大戦時にユダヤ系の父親がジェノサイドにあった背景を持ちます。ブラジルに住むようになってから、先住民の権利と住む地域を守る活動家としても著名ということで
今回、たまたまこの展示からこの作家を知ることができて、すごく良かった!と思いました。
映像は、「ヤノマニ族」のシャーマン、ダビ・コペナワとの出会いや会話、その一族との映像です。「精霊」たちを怖れ、敬い、共に暮らす中で培われた、ダビさんの言葉は…奈良の誇る、短歌の師、前登志夫と重なるところがあります。ユーモアたっぷりなところもね。
ダビさんと別れる前に、クラウディアは皆で記念写真のようにカメラに向かうのですが、クラウディアも一緒にとるのですが、ダビさんの手をにぎって、その手にいっぱいキスをすると「チッ、チッ」と音がするくらい、キスするんですが、するとダビさんが「(手)汚いのに。」と笑います。
このシーンは一緒に鑑賞している私の隣の人もくすっと笑っていました。そんな微笑ましいシーンであると共に、おそらく、高齢のクラウディアさんは、この時も車イスでの訪問でしたが、もしかすると、もう会えないのではという予感を、お互い感じているかのようにも見えました。
なので、ダビさんの手にした「キス」は、胸に詰まりました。
この映像を見た後に、写真作品を見ると、中々、理解が深まりました。アマゾンのにおいと吉野の山は違うけれども「森」の文化の中で生まれる精霊たちの「歌」の魂は何か通じているのです。前登志夫は短歌の世界だけでなく、こういう世界につながる特別な歌人です。と、先生の話でオチをつけてしまいました…。

④高倉通り
学生のころ、新京極、寺町京極、うろうろしていましたが、文化博物館の道中の高倉通り、楽しかったです。高倉小学校では少年野球の練習が、それからいろいろとお洒落な店もあるけれど、個人のお店なのですが、敷居が高くなく、値段も手ごろで、ショートケーキとコーヒーのセットが1000円なら、いい感じですよね。間口が狭く奥行きが深い喫茶は、メニューを出す前に「ようこそ、お越しくださいました」と声かけが。この一言もなんだか嬉しいですね。ただ、このあたりのマンション、高いだろうなあ…など、自分には関係ないのに気になったり。町中の小学校がしかし、残っていることはとてもほっとしました。

というわけで、日曜の一日でした。またなんとなく出かけて、なんとなく良い時間が過ごせたらなあ…と思っています。



新聞の一面に「戦後日本の安保転換」とあり

2022-12-17 | その他
本年、2/24のブログに、「戦争が始まった」と書いた。そして年末。昨日のテレビで総理が会見で語っていたのが、本日の新聞の見だしの言葉。
はっきりと「端的に申し上げれば、戦闘機やミサイルを購入するということだ。」と言われた。そして同時に「非核三原則や専守防衛の堅持、平和国家としての日本の歩みは今後とも不変」とも。さて、これをもし、子どもに説明するなら、どう言ったらよいのだろう。「ミサイルは買う。」けど「平和国家日本は不変」。この真逆の概念を両立させる「理屈」を作るのはとても難しい。難しすぎる理屈は誰も聞かない。考えるのも面倒だ。けれど、ミサイルは壊すもので、既にウクライナの戦場からは、そのミサイルがどんな効果をもたらすのか、私たちは目の当たりにしている。

日本国憲法
「第二章 戦争の放棄 第九条 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

本来ならば、ここに目をつぶったまま、本日の新聞の見だしのような文言にはならないのでは、と思っていたら、何のことはない、ここはすっとんでしまった。それは仕方ない。だって、この言葉が毎日、私たちの暮らしに見聞きするところには全くないから。私たちは、身近な言葉やメッセージで、なんとなく、世間の空気や流れを得てゆく。確かに、近隣諸国の動静は無視できないし、何をしているのよ、と腹もたつ。
一方で、私たちの国が法治国家だというなら、その大元にある言葉を文言を、無視していいはずがない。
少なくとも、「大変な国際情勢である」ことと、「日本は平和を希求し、戦力は保持しない。」という、二つの事実を、私たちが理解し、考え、発言し、それを伝える機会がなければ。それが、国民投票や選挙という形なのだろうが…。

とにかく、「閣議決定」で「戦後日本の安全保障」の大転換に関わることが決まる?ということに、驚いている。こんな大事なことが、あっという間に決まってしまう。この唐突感。いや、唐突ではないのだろう…。物語が複雑な伏線をひいて結果に導くように、この「大転換」を必然とする伏線を、長い間かけて作ってきたのだろう。そして、それを私たちが支持してきたとなる、というか、なっている。
「自分たちが選んだ人がきめている」のだから。

それでも、やっぱり、「ミサイル」は買わないでほしい。だって、戦争は始まったら終わり。それまでが勝負。ミサイル飛ばした時点で、もうどうなるのか、私たちは簡単に戦時体制に入ってしまう。そもそも、誰がミサイルを撃つのを決めるの?撃つと決める根拠は、いつ、誰が決めるの?
とまあ、平和な時には尋ねられても、戦時になったら、何とでもいえる。有事には言論の自由はない。ウクライナとロシアの言い分、その言葉を聞いて、戦時には、自分たちの都合の良いことしか、言わないということを、私たちはもう十分、知っている、それなのに…。

「私はこう思う」という、本当は一番大切なことが、主語が「国」になると、「私」の意見が全く否定されてしまう怖ろしさは、昭和のあの戦争で、文学やドラマ、映画で多々、伝えられてもきた。しかし、今「私」を主語に意見を言うことよりも、「なんとなく皆がいう方が」楽だし、否定されないし、という空気感がある。この空気をなんとうまく利用したものか、とこの度の「大転換」に思う。

戦争はおきたら終わり。国同士が「おまえの国が悪い」「こちらは悪くない。」メンツ、建前の世界で動く。両方とも、本当であり、嘘でもある。つまり、戦時にあって、言葉に真実はない。本当のことをいえない世界を、どうして支持できようか。
そして、その戦争の始まりとなるかもしれない「武器」を買うためにお金を出すのが国民の義務なんて言われたら…。

言葉をつくそう、もっと。日本の文化はリスペクトされていると思う。それは暮らしに身近な衣食住も含めて。だから、沢山の外国の方がやってきてくれる。観光立国は平和だからこそ。ミサイルでなく、花を、歌を。










2枚の写真から 

2022-07-26 | その他
朝からゆっくり新聞を読む余裕もなく、日々のニュースはテレビやネットから知る生活…。朝刊夕刊はどんどんたまり…そして、時間ができた時、一気に読み、気になる記事や書評は切り取っておく…というようなことを続けているのですが。
先日、整理をしながら、何のつながりもない写真が、そのシルエットが、自分の中で混ざり…それは混沌として、憐れで、なのになぜか不思議な力があり、それは前にいくような、振り返るような、大きく飛ぶような、なんともいえない感覚と感情があらわれて…生きているような、既に死んでいるような、私は何を見ているのだろうという気持ちになりました。
一つは夕刊の文化欄の写真です。マリオ・ジャコメッリというイタリアの写真家のものでした。不覚にも私は、この写真家を知りませんでした。東京都写真美術館にあるその写真のタイトルは『自分の顔を撫でる手もない』から。モノクロの写真で、雪の上で輪になって踊る、イタリアの神学校の生徒たちを写したものです。神学校の服は、牧師が着るような黒い服ですから、当然、雪の上の輪舞は、白と黒の世界であり、その動きが白い風景に溶けるような様もあり…。なのに、「踊っている」のにどうしてこんなに「死」の気配がするのか…。高度に演出された舞台を見ているような。ただ、それは、若い頃、テレビで見て目を奪われた、ポーランドの偉大な演劇人、カントールの「死の演劇」とも違う…「死」の感覚なのです。
二つ目の写真は、奈良は西大寺駅前で起きた事件の写真で、もう既にあらゆるメディアの渦中の男性を、SPがかかえている写真です。斜めに体を倒し、足が不自然に曲がっています。
もしか、この二つの写真をそれぞれに別々に見ていたなら、私は、先に述べたような、不思議な感覚を持たなかったかもしれません。たまたま、まとめておいた新聞を整理していたら、この二つの写真の新聞が近くにあり、同じような時間に、同時に目にしただけのことなのです。
その同じ時間に見た、全くもって、何の関わりもない、この二つの写真に、どうしてこんなに胸をつかまれ、ざわざわと揺さぶられるのか…。これは「芸術」の力なのか?私たちは「芸術」という形のものから、「死」を学ぶことが多い。それは歌でも絵画でも写真でも。その「死」が「生」と表裏一体であることも、作品を読んだり見たりしていると、「なんとなく」わかる…。というか、時間をかけてわかるようになっていく…。「死」を孕んでいない芸術はおそらくないし、「死」があるからこそ、なにかしら作品を生もうとするのかもしれない…。そして「死」の近くには「詩」があって、先のイタリアの神学校の写真には、確かに「詩」があるのです。「死」と「詩」の在処を問うことは、私たちの身近にはなく、問う術となる「芸術」を話題にすることも、暮らしの中で日常的とはいえない。でも、作品から、なにかしら「死」と「詩」を感じられたなら…それは、明確な言葉に出来なくても、いや…逆に、生きていけるかも、と思えるような気がしてならないのです。
報道写真の渦中の人となってしまった彼の写真を見るたび、この行為に到るまでに、言葉、歌、絵、もろもろ…こういったものが彼の中でどこかで何か意味を持つようなシーンがなかったのか、と、そんなことばかり思ってしまいます。芸術は、余裕がある人たちだけがやっていること、と言われても仕方ない現実…。私たちのしていることは何の役にもたたないのか…。
いえ…それでも、芸術が大事と思うのは、私がこの何のつながりもない2枚の写真が並んだ時に感じたものが、あってはならないこの度の事件を,少なくとも考え続ける始まりになる、ということです。
神学校の生徒の輪舞と事件の彼の硬直した体軀のシルエット…。
そして、前者の写真、ジャコメッリの写真のタイトルは『自分の顔を撫でる手もない』というのです。
このタイトルが、報道写真に重なる時、何かしら大きな大きな渦がおきて、答えを持ってきてくれるようなそんな気持ちになるのはなぜでしょう。
そしてこの関係ない二つの写真が自分の中で一つになってセリフになります。
「踊ろうか」
「踊りながら死んでいるね」
「死んでから踊る?」
「いや、誰か止めてくれたなら…」
「そうだね。でもやっぱり踊ろうか。」

…傷ついた人たちが皆、少しずつ落ち着いていけますように。
一方で、私の中におこった二つの写真のさざ波は、落ち着かなくて…いつか大きな波になって戯曲になれば…。


朝日新聞夕刊7/12




戦争の時代

2022-02-24 | その他
本日、夕方、ロシアがウクライナを攻撃開始とテレビのニュースを聞いた。画面には複数、硝煙が立ちのぼっているのが見えた。そして私はコタツの前で、ストーブをつけてそのニュースを見ている。遠く離れた温かい場所で戦争のニュースを聞いている…。ウクライナは寒いことだろう。沢山、人が死ぬ。それは確かなことだ。
こうした戦争の話をブログに書いたところで何になるのか、と思いつつも、書かざるを得ない気持ちになるのは、末端ではあるが、演劇や短歌や「書く」ということを続けているということもあるだろう。「戦争」に対して、自分がどういうところにいるのかで、書くものが当然違ってくる。戦争は反対。核の保有も反対。だって、日本は戦争によって「核」を使われた唯一の国なのだから。その悲しみやむごたらしさを、多くの作家や芸術家が伝えてきたと思う。そしてたそういうものに、私の子どもの頃は触れることが多かった。あの破滅的で壊滅的な昭和の戦争が終わって今年で77年。戦争のことなんか忘れていても仕方ないという年月…という感覚が、令和にはないだろうか。
この度のウクライナ関連の流れは、テレビニュースでしか知らないが、本日の軍事行動に至るまでの流れは、戦争状態になっていく時というのは、こういう「段取り」でくるのだなという感覚を持った。それは戦争になる理由、「大義名分」的なものだ。それぞれの国にはそれぞれの言い分があり、「だからやむなく戦争になったのだ。」という理屈で返す。これは、かつての日本が大本営発表の名のもとに、様々な理由をつけて「聖戦」という名で戦いを進めてきた理屈と同じだろう。そもそも、こういう状況ではどんな情報も、遠い場所にいるものには何が本当なのかわからない。どんなフェイクニュースも作られるだろう。そういうものと一緒に今、私たちは生きているのだから。
となると、何を信じるかいえば、とにかく「戦争が始まった」という事実のみ。武力による攻撃があったということは事実。これを前提とするしかない。
だから武力はいけない、戦争はいけない。これしかいえない。武力の下では「声」は聞こえない。無視される。そして一番弱いものたちが、一番始めに倒れてしまう。
そしてこの戦争で、利益を得るものも確かにいるだろう。有事に強い「金」はどんどんあがり、政情に振り回される石油はどんどん高くなり…。そして、日本の私たちの暮らしにもじわじわと影響がやってくるだろう。グローバル経済のつながりは、容易に「戦争」も引き起こす一面があることを、私たちはもっと暮らしのレベルで知っておいた方がいいと思う。そして、遠い地の戦の話は、全世界に飛び火しないとは限らない。同じ「理屈と名目」で、簡単に「戦」は始まってしまうのだ。
ならば、私たちは、この「理屈」を助けてはいけない。理屈は言葉なのだから、その言葉に対して、はっきりとNOを言わなければ。
とにかく「武力」で「戦争」が起きた。そこに関しては、はっきりNOと言おう。
一方、私はロシアの芸術文化が好きだ。数年前に知った、デカブリストの乱を描いた映画「The Captivating Star of Happiness 美わしき幸せの星」は、帝制ロシアの圧政に立ち上がった貴族たちの物語で、叛乱をおこした者たちの家族、女性たちの姿を丁寧に描いた大作で、音楽もキャストもロシアの風景も素晴らしかった。
そして抽象絵画の先駆者、カンディンスキーも、ニジンスキーのバレエ・リュスも、映画監督タルコフスキーも!幼い頃から大好きだった「12月物語」もみんな、ロシアである。そこには、武力に強いロシアでなく、あの広大な大地に、雪や森の世界に向き合う中で生まれたものの強さや、多民族ならではのそれぞれの文化の鮮やかさが際だつロシアがみえる。
かのロシアの文豪、トルストイの『人は何で生きるか』より天使のことば。
「わたしは、すべての人は自分のことだけを考えて生きているのではない、愛によって生きているのだと知りました。」(「世界名作選」より)