ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

小町座次回公演 2022.3月 「四月怪談」へむけて

2022-01-20 | 小町座
アラフィフメンバーからなる劇団、小町座、昨年、12月から次回公演の稽古をしています。3月26,27日の土日に公演予定です。オミクロン株の蔓延で、現在、奈良市内の稽古施設が、演劇や演奏に関して使用制限が出ているので、立ち稽古も中々、ままなりません。が、先ほど届いたチラシを掲げ、なんとか、公演開催に向けて、力を蓄えたいと思っています。
今回は、少女マンガ界のレジェンド、大島弓子氏の「四月怪談」を令和版として、脚色したものです。大島先生に関しては、その作品に出会い、はまってから40年以上たち、書きたいことが山ほどありますが、それはまた別の機会にします。
今回8月にオーデションした、中学生、高校生、大学生のメンバー四人が参加、内、3名は初舞台です。ところが初舞台なのに、なんとも堂々と、芝居の中に入ってきてくれます。読み方の指導をしても、中身や背景を考えてくれます。本当に楽しい稽古!…が、ここしばらくは、いつも通りにはいかない様子です。
が、以下のチラシから、本番をイメージしながら、気持ちをあげていけましたら。今回も私がデザインしましたが、もう、若手のパワーをそのままに、カラフルに作ってみました。本当に、こんなカラフルな感じの稽古場なんです。小町座メンバーもとても刺激を受けています。引き続き、レポートを続けますので、皆様、よろしくお願いします。








二人の作家 松本一哉&今野裕一郎~奈良町にぎわいの家展示企画から

2022-01-06 | アート
2022年となりました。コロナが再び勢いを増しそうで、3月に公演を予定しているので、とても心配ですが…できることを続けようと思う新年です。2022年、2が並びますね。2222年にはお目にかかれそうにないので、「2」が並ぶ年は今年だけ。私ごとですが、「2」はちょっと気になる数字です。
芝居の世界へ入ることになった戯曲賞は「第2回キャビン戯曲賞」。あの別役実先生や、昭和を代表する劇作家、秋浜悟史先生など錚々たるメンバーが審査員でした。それと、第2子は双子を授かり、これも「2」。一人は生まれる前に亡くなりましたが、もう一人を見守ってくれていることでしょう。
「2」は1と1をつなぎ、何かしら生まれたりする気配もあり、また二つで反応をおこすような、イメージがあります。

2021年12月に開催された、奈良町にぎわいの家・つし2階アート企画は通算24回目となる展示で「松本一哉展 Pulse」。この関連展示として、江戸時代の蔵で、松本一哉出演のドキュメンタリー映像「あなたはそれを見ることができる」が上映されました。こちらは映画監督の今野裕一郎作品。この松本さんと今野さんの二人が、なんだか凄い展示を開催してくれたのです。

①松本一哉「Pulse」展
天井の低いつし2階は、空間の面白さもあり、毎回、現代アートの作家さんたちは、いろんな試みをしてくれます。松本さんは音楽家なので、「音」で空間をみせるのですが、今回、初のインスタレーション作品ということで、旧知の華道家の方も加わり、狭い2階の部屋が、ちょっと変わった形相になりました。
松本さんは、自然の音を聞き、採取しつつ、自分の音を作ります。打楽器奏者なのですが、一般的な奏者でなく、撫でたり叩いたりしながら、音を捜し作りだしていくのですが、その作業は、自然の中で自身が「立っている」といってよいか、そんな音なのです。
奈良町で活動する浅利大生さんが今回、キュレーターとして、松本さんを呼んでくださったのですが、当初、自然の中で音を出す、と聞いて、私は「環境音楽」?と思ったものです。これは好みによりますが、環境音楽がヒーリング系になってしまう嫌いはあり、実際、松本さんのCDも販売のカテゴリーとしては、ヒーリング、に仕分けされているとも聞きました。確かに、聞く人によっては癒やされる音なのでしょう。けれど、そもそも「癒やす」ことを目的に音があるわけではありません。逆にそのことを、明解に、今回の松本作品は語っていました。「音」は「音」であるということ。その当たり前のことを、これほどリアルに感じたことがなく、私は一種、何かしら経験したことのない感覚になったというか、私の「耳」が松本さんの音によって、目覚めた感覚がしました。
話が抽象的になったので、具体的に展示を説明すると、現在、活動拠点を知床にしている松本さんは、知床のイメージをつし2階に持ち込みました。階段から上がったところに熊笹を敷き詰め、そこを来館者に歩いてもらう。畳の部屋には天井から、木の根っこがうねるように吊り下げられている。奥の部屋には、鹿の頭蓋骨があり、北の大地のようなしつらえです。さて、これだけなら、自然の雰囲気を醸し出す空間となりますが、なにしろ、音楽家です。スピーカー等、音響技術が半端ではありません。電気がなければ成立しない音の展示は、将に現代社会を象徴するような、コードやコンセントがそのままの姿で畳の上にあり、それがまた妙に自然を模した空間と有機的に融合しているのです。この混在状態が何ともよくて、現代的でした。
音が立っていると思うのは、スピーカーの仕掛にもあります。スピーカーの上にはラップが貼ってあったり、石が置いてあり、スピーカーから音が出ると、その音の波で、
ぶるっと震え、石が動くのです。普段、音は目に見えないですが、実際は「モノ」なのだ、「波」なのだと、体感でき、この「具体」の力が呼び起こすモノの強さを、ものすごく感じました。一見、難解な展示に見えますが、現代の技術と松本さんならではの感性で、漠然と聞いていた私たちの「音」が別の次元の「リアル」に飛んでゆくのです。これは単に松本さんが作りだした「音」だけでなく、かつて私自身が聞いた音が引っ張り出され、重なり、肉体化していく過程とでもいいましょうか。この音の体験から、「具体」という言葉が、私の中に現れたのは、ちょっと不思議な発見でした。「具体」は今後、私の気になる言葉になりそうです。
スビーカーからの松本さんの音は、草の音、雷、鹿の声など聞き取れます。文字にすると自然の音の再生のようになってしまいますが、これがそうではなくて、松本さんを経由した音なので、フィクションといえば、フィクションなのです。が、この場所は自然を再現、礼賛するものでも、癒やしを目的とするものでもなく、「音」が「一人で立っている」(まるで寺山修司の「血は立ったまま眠っている」のフレーズみたい…)、その事実と現実の場なのです。そして、何より、音の間合いというか、デザインされている形というか、素晴らしくて。スピーカーから出る音を、絵にしたら、ものすごくいい感じで余白があったり、すごい高さで線があったり、すごく面白い絵になるだろうな、と思いました。私は芝居の演出で音楽を多用しますが、どちらかというと、松本さんの音は、舞台空間にいる役者の動きに近く、役者の動いた軌跡のようなデザイン性がある「音」である、と私は感じました。そう、今回の松本さんの音の軌跡は、立体的なんです。何しろ、センス、いいですよ。以下、展示写真から音が出たらよいのに…と思いますが、想像くださいませ。

 

②蔵展示 今野裕一郎作品「あなたはそれを見ることができる (You can see it) 」
映画監督として、今野さんのお名前は知っていましたが、作品を拝見するのはこれが初めてでした。今回の映像は、松本さんが野外で音を収録し、演奏する時間を撮影しているもので、なんと展示期間中に開催された「東京ドキュメンタリー映画祭」で今野作品が上映され、その作品の蔵展示特別バージョンという、とても贅沢なものなのです。展示レイアウトからして、すごい。2台のプロジェクターを使用し、その映像を正面でなく、それぞれ、左右の壁に映し出すので、二つ同時に見ることはできません。今野さんはバストリオというパフォーマンス集団を主宰されていて、演劇に映画にと多彩な方なのですが、蔵の空間構成は、舞台をしている方ならではと思いました。
それぞれの二つの映像は、違ったものが流れていますが、最後、同じシーン、松本さんの演奏で終わります。このあたりの構成も演劇的なんですよね、なんか、ほんと、惚れ惚れする感じです。ところで、今野さんの映像と音なんですが、松本さんが出演されているので、先の展示の感覚と近いのですけれど、こちらの映像も、すごく「モノ」がまま撮影されていて、その力がすごくて、私たちの目がなんと日々漠然とものを見ているのかを気づかされました。いや、ほんとに、何も見ていないのかもしれない…。今野作品の氷や雪の道や凍った木や空…。こうしたものは、テレビの中では、いかにも「自然」として撮られてますが、今野作品はそうじゃない。存在の中にあるものをママ見せてくれる感じになる。私がただの「肉」の塊であるということを突きつけられる感じ。これに「音」が来るので、もう、なんだか最高で、よくわからない高揚感がきてしまう。本当に稀有な作品と思いました。私が雪に近いところで生まれ、その冷たさや怖さや温さを知っているにも関わらず、現在、全くそういうものと関わらない中で生きているということに、唖然とした気持ちになってしまう…のを、更に自覚してしまいました。我が野生が、今野作品によって、復活したのかしら?!何しろ、全く知らない風景を見ながら、妙に懐かしく、妙に冷たく、寒く、嬉しく、ザクザクと氷上を歩きたい私がおりました。



以上、二人の作家にブラボーです。そして、キュレーターの浅利さんには、展示期間中の細やかな対応始め、本当にお世話になりました。
皆さん、ありがとうございました。