ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

小町座 6月最後の稽古

2017-06-29 | 小町座
7月22日、ならまちセンターでのホール公演、6月は本日、最後の稽古です。第2部の稽古をしました。今回、第2部には、芝居の骨格に、歌人、前登志夫先生の歌を使わせていただいています。
「たましひは尾にこもるかな草靡(なび)く青草原に夕日しづめる」
が核となる歌です。この歌を、写真家で元お笑い芸人のピン前川さんが声にします。
宮中の歌会始めの披講など、年に一度テレビで聞きながら、長く母音を残す読みに「へえ」と思ったりしますが、舞台でとなると、こうした古風な読みともまた違います。今回、時代ごとの母親の一人芝居のため、歌を父の視点におきました。父は登場しないけれど、「歌」で母を見つめる、そんな構造です。この構造がいかされるような演出に、果たしてなっているのかどうか…。いろいろ考えます。
その「父」ですが、生身の父でない、時間を超越した、人というより時間の象徴が「父」なので、表現が難しい。ピン前川さんはとてもいい声をしていますが、こういった舞台は初めて。歌の中味にも心を寄せなければならない、かといって、心を寄せすぎると「人」になるのでそれではダメ。時間を超越した「歴史」の証言者としての「父」の声って、どんなでしょうね。「わたくしをなくし、まっさらによむ」…こんな読みを聞いてみたい…。ピン前川さん、頑張ってください。
さて、第2部の芝居は、一人芝居。今回、効果音も多用しますが、この効果音とのタイミングをあわせるのが中々、難しい。鳥の声、羽ばたきにどう反応するか、目に見えない人が走ってきてそれを阻止するのに、どうしたら大きく見せられるか…。小町座の面々、音を聞きながらの繰り返し稽古になることでしょう。来週はホールにたてるので、どうなりますか…。
皆様には、まだまだ、チケットございますので、どうぞおいで下さいませ!



帽子のこと

2017-06-19 | その他
帽子が好きです。外に出る時の必須アイテムは帽子と手袋。お洒落を意識して、というよりも、かぶると安心するような、落ち着くような…。立派なものは持っていませんが、普段使いの帽子はわりと持っている方かも。
小さい時から、出かける時には、母が「帽子」と言っていました。といっても、お洒落というより、海に出かける時の麦わら帽。母は「山高帽かぶって。」と言っていました。山高帽は男の人の帽子ですが、その子どもの時かぶっていた麦わら帽子は、山高帽のような形をしていたからでしょう。冬の帽子の思い出は、母の手編みの薄いイエローの頭にフィットする帽子。耳の上に、女の子の顔を毛糸?で作ったものを
つけてくれていました。今でも懐かしく思い出します。なので、夏と冬は出かける時には、いつも帽子がありました。特別に意識もしませんでしたが、そんな延長で、今も必ずかぶってしまうのかも。
もう一つ、帽子が好きな理由は、大好きな女優さんの帽子姿にうっとりして。小学6年の時に、初めて買った映画の本、「グレタ・ガルボ」と「マレーネ・デートリッヒ」。当時、レトロな映画上映が盛んだったようで、NHKの教育テレビでも、白黒のトーキーを特集していて、よく見ました。「嘆きの天使」「モロッコ」「ミモザ館」「うたかたの恋」「肉体の悪魔」「椿姫」などなど…。私の親の世代よりもっと上の世代が見た映画にはまっていました。中でも、美の権化、グレタ・ガルボは特別で、なるほど、こういう完璧な顔もあるんだなあ、と、今でも時々、惚れ惚れと見てしまいます。先の初めて買った映画本には、あのフランスの哲学者、ロラン・バルトが、こう書いていました。「ガルボの顔は観念であり、ヘップバーンの顔は事件である。」さすが…!の形容ですね。確かに、ガルボの顔は記号を愛でるような感覚があります。「顔」って何?という根源的な問いを投げかけてくるような…顔なのです。
そのガルボのコスチュームの素晴らしさは、ハリウッドそのもの。絢爛の1920年代のファッションも楽しく、この年代のデザインのラインが、とても好きで、今、NHKで放送している「ダウントン・アビー」は、本当に目の保養になります。話を戻して…そのガルボの帽子、絵の額縁でないですが、あの顔をさらに引き立てる、輪郭の切り取り方をしてくれるのが、帽子です。ベレーに鍔の広い帽子に、トーク帽…。本当にどんな輪郭で帽子がガルボを隠しても、顔が新たな物語を湛えてくれるんですから。
帽子は基本、外でのかぶり物ですが、小さいものだと部屋でも良いとのこと。ただ、着物…となると外でもどうでしょうね?でも、着物に似合う帽子があってもいいな、と思っています。とまれ、暑くなるので、これからは帽子の出番!
ところで、ガルボそのものは、映画のように凝った衣装からほど遠い、シンプルで男性的な?方だったようです。ガルボという映画の神話は、本人とは関係ないところで、輝く虚構の中で残っていく…。それは本人にとっては、幸せなのか不幸なのか…。ただ、作品として「顔」は残り、その「顔」が歪んだり笑ったりするのを見ながら、「顔」って何だろうと考えています。
以下は、そのガルボ。流石の帽子スタイル、ご堪能下さい。

  





人間国宝・梅若実 後援会発会パーティー

2017-06-06 | 演劇
新聞各紙で既に発表されていますが、日本を代表する能の梅若六郎玄祥先生が、梅若実を来年襲名されます。朝日新聞5/11によると以下の通り。

観世流シテ方能楽師で人間国宝の梅若玄祥(うめわか・げんしょう)さん(69)が来年3月、能楽界で重要な名前の梅若実(みのる)を四世として襲名することになった。玄祥さんは、明治時代に名人といわれた初世のひ孫で、二世の孫。三世は、父の故五十五世梅若六郎に追贈されるという。」

初代梅若実は、玄祥先生の曽祖父にあたり、明治期、能が大変な時期にその才覚で乗り切った、近代の能にとって恩人ともいえる名人です。その名を継ぐ玄祥先生。その後援会ですが、哲学者の梅原猛先生が名誉会長、宝塚の顧問、あのベルばらの植田紳爾先生が顧問…と、関西文化の御大が並びます。こうした人脈の要にいるのが、梅若先生のプロデューサーである、西尾智子先生。西尾先生のことは、既に二度ブログで書きましたが、なんというか、今日のパーティーの参加者を見ながら、芸術文化を応援するために、人と人をつなぐということは、どういうことなのか、それをつくづく感じました。財界の方始め、藤間勘十郎さん、桂南光さん、君島十和子さん(さすがの美しさ!)など、華やか皆さん、またいつも先生の舞台に駆けつけてくださる、西尾先生の友人に、各新聞社の記者さん…。そんな中に私も座りながら、美味しいお料理をいただきました。神戸吉兆の祝い膳!にリーガロイヤルのビュッフェ…。日頃、自分の料理ばかりの主婦としては、この機会に味わいましょうね。
いえ、お料理より何より、素晴らしかったのは、皆さんのご挨拶。梅原猛先生は92歳!その声の張りのあること。梅原先生は、玄祥先生の「鵜飼」という能を見た時の感動を述べられました。「鵜飼」は差別されるものの悲しみがあり、その悲しみがなんともいえず伝わってきた、そのようなことを梅原先生は言われました。そして「さびた花、老いの華を咲かせてほしい」とも。「さびた花」…なんと素敵な言葉でしょう。若いころの体力や力わざとは別の「花」を年月がもたらしてくれる…。アンチエイジングなんかいらないですよ、本当に。真実の「美」は老いてこそ。さすが梅原猛先生です。
さて、挨拶の中で、玄祥先生は古典芸能に対する危機感を述べられました。この後援会も、後進の育成につながるものにとの願いを言われました。確かに、普段の暮らしに「能」「歌舞伎」など出てきません。奈良は「能」発祥の地で、気をつけてみると身近なところに「能」はあるのですが、それでも一般には縁遠いです。玄祥先生と、西尾先生のコンビは、これまで、能とバレエ、バイオリンや歌などとのコラボで、新たな能の地平を切り拓いてきました。ジャンルは違っても「美」の共同作業は、全く「能」に縁のない人たちにも、新たな機会を与える作品を生んできたのです。その最新企画は…なんと「マリー・アントワネット」を能で?!公演するのです。玄祥先生がアントワネット!どんな舞になるんでしょうか!もちろん、こんな企画は西尾先生でなければ思いつきません。
その西尾先生の挨拶。いつもすごいなと思うのは、本音、ユーモア、感謝、愛…に満ちていること。大いなる仕掛け人でありながら、童女であり、たくましく、お茶目で、エレガント…。お話の中で思わず可笑しかったのは、あのバレエの熊川哲也を世に出した時、彼が珈琲のCMに出てブレイクしたから、玄祥先生もCMにと。実際、いろいろオファーがあり、カーボーイ?!役なんてのもあったり…でも人間国宝がそれはいかんでしょう、と実現しなかった…とか。そんな楽しいお話も含め、玄祥先生との強いつながりを感じました。
その「梅若実」後援会は、個人、法人問わず、入会できます。いろいろ特典もあるので、是非、皆様、梅若実の至芸をご覧になる機会をどうぞ!
(写真は、梅若先生、西尾プロデューサーと)





小町座「お、あるひとへ」稽古から①

2017-06-01 | 小町座
今回の公演は第1部、第2部と2本、お芝居を見ていただける、お得?!な舞台ですが…。第2部は、チャレンジ?!企画ともいえる、短い一人芝居が3本続きます。小町座のメンバーが一人ずつ、舞台をしきるのです。私は戯曲賞をいただいたことから演劇に関わったので、本当に書くことは好きというか、日常の一部というか、苦になりません。イメージを持ったら、だーーっと知らないうちに書けている、そんな感じなのです。「仕事」としてラジオドラマなど書く時は、かなり自分から「ひいて」、距離をとって書きます。「商品」として形になっているかどうか、ということです。でも、小町座の演劇は、もう自分の世界全開で…だから演技にも厳しくなります。
さて、今回の一人芝居3本、ようやく本日、全て演技をつけました。一人で舞台を背負うので、本当に大変、しかも、私がとてもうるさく、細かい。小町座のメンバーは私の早い指示についていくのが必死です。今日は、戦争中の母をざっと芝居をつけたのですが、いつも口うるさく言うのは、「必然」ということ。こういう気持ちがあるからこそ、次の動きが出て、その動きの間だから、次はこうなる、といった感じ。例えば、言われたことに「え?」と思う時、それは相手によっても、対象との距離によっても、体が思わず動くか、動かないか、「え?」と言ってから、次にどれだけ「ま」をとるかで、人間関係がわかったりもする…となると、その人の感性からの役作りはあるとしても、そもそも、どういった人物に仕上げるか、そこは演出の醍醐味になります。特に私は自分で本を書くから、おかしな読みをしたら「ちょっとそれは違うでしょう。」とまあ、わがままになってしまうわけで…。でも、それは、こう言った方がわかる、面白いというイメージがあり、それに近づいてくれると、ほぼ、間違いはない…。このことは、小町座のメンバーはよくわかっていて、いつも言ってくれるのは、自分たちだけで読んでいると、ある種の「パターン」読みになってしまうが、演出がはいると、全く違う人物になる、と言ってくれます。(そうでなければ、私の役目もないですしね。)
ただ、演技をつけると、ほとんど私自身も芝居をしている感じになり、この年になると、かなり疲れます…。書くことは一生できても、このやり方では中々、体力が続かないでしょうねえ…。
以前、テレビで見た蜷川幸雄さんの稽古風景も、絶えず、叫んでおられました。そんな御大と比ぶるべくもないけれど、その叫ぶ気持ちはわかります、なんだか、もうそうなるんです。力が抜けない…。演劇が好きなんですね、だからもう真剣になってしまう…。
今日、小町座のメンバーに伝えたことは「あなたの声を知って出しなさい」ということ。「あなたが、あなたの声で舞台に立ってもらわなければ困る」。
それは、変わりがきかないということ。日々の暮らしの中で、変わりのきかない「母親」という役目を果たしながら、演じることから「変わりのきかない」自分をさがす…。四十代の出演者が、母にもおばあさんにも子どもにもなります。その暮らしの「リアリティ」に私は胸をうたれています。