ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

年末に…われにかえる?!

2016-12-30 | その他
先日、関西系の深夜テレビでたまたま、ビートルズの特集をしていました。そういえば…このところ聞いていなかったビートルズ。ビートルズとの出会いはかれこれ四十年前!小学生の後半だったような…。初めて買ったLPレコードが「4人はアイドル」つまり「HELP!」。流行言葉で言うなら、まさに「神ってる」ビートルズ。中学はべったり、ビートルズメインに、まだ当時日本でメジャーでなかったデビッド・ボウイに、クイーンに…。洋楽にはまっていました。
音楽のベースがビートルズだったのは、つくづく良かったと思います。彼らは解散までの8年の間に、目まぐるしく変化しました。私がのめり込んだ頃にはとっくに解散していたので、アイドル時代から、まさに「神ってる」、「アビーロード」まで、全部聞くことができたのですが、やはりローティーンの頃は、アイドル時代の曲、「抱きしめたい」「シーラブズユー」などが理屈抜きに好きでした。今も元気な曲ももちろん好きですが、「アビーロード」のB面のメドレーなんか、なんというか、「別格」な気がします。つくづく大天才、ビートルズは誰も越えられません。
10代の頃にのめり込んだ音楽は、まるで空気のようです。もちろん、全曲、どのアルバムのどこかもほぼ覚えてますし、曲の順番やLPの構成なんか、今思うと、よく考えられているなと感心します。ジャケットのデザインも。なので、耳にした途端、時間が逆流するというか、完全に別の方へ、つまり、夢見る10代へ行くような感じでしょうか。その頃、誰が奈良に住むと思っていたでしょうか。何にも縛られない自分は、妄想だとしても、大きな世界を見ていた、それが若いということかなと思います。
ビートルズを聴くと、そういった、何のしがらみもない、大きな世界に引きずり出されます。その大きな世界のことをすっかり忘れている「私」に、今更ながらに気づくのです。
ビートルズは時代の寵児ですが、音楽のみならず、いろんな世界への窓を開いた芸術家だなと思います。政治、文学、絵画…こういったものが、個別にその枠でおさまるのでなく、ビートルズの音楽から広がってきます。ビートルズを聴くというアクションは、私にとって単に音楽を聞く、というだけでない、大きな世界につながる始まりにある、音楽以上の事件なのかもしれません。
この4人の若者が、たった8年の間に、ルックスも含めて変貌し成長していく様は、奇跡です。彼らの王道を行く明るさと、イギリスならではのきついジョークをユーモアたっぷりに自分の言葉にするセンスや、当時の新しい音楽技術への挑戦は、この4人という複数形だからこその奇跡でしょう。若者が出会うべき物と人に出会うと、とんでもないことができるという、素敵な例ではないかと思います。
そもそも、彼ら四人だけで、こうなったわけではなく、やはりプロデューサー、ジョージ・マーティンの力が大きいでしょう。売り込みにいったマネージャーのブライアン・エプスタインの敏腕もありますが、正直、やんちゃな四人を音楽的に操縦?!した、プロデューサーの手腕も大きいでしょう。若者がノリだけでない、才能を発揮し、磨くためには、こうした「大人」の存在が大事なんだなと、この頃、特に思います。信頼できる大人に出会える若者は、幸せだと。
そんな若者の才能をうまく理解し、物を作る方向に持って行ける大人は?というと、とても難しい…。ブラック企業などのニュースを耳にすると、一体、この国は若者をどうしようとしているんだろう、と思ったりします。
ところで、われにかえった一つは、今年、先のビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンも、デビッド・ボウイも亡くなったのです。ジョージは天寿を全うしたとして、ボウイは本当に残念…。私は日本でブレイクした「レッツ・ダンス」の前の時代が好きで、映画「地球に落ちてきた男」のボウイは、やや暗い七十年代の象徴ともいえる存在でした。ビートルズとの「スタア」性とは全く違うスタア。三年前のあのヴィトンとボウイのコラボなんて、まるで映画のヴィスコンティの世界で、目の保養になりましたよ。。
ビートルズを聴きながら「若者」だったころの何か尖ったものが蘇り、自分の今いる場所に「?」を送ってきます。そして、あなたはどこに向かって何を作ろうとしているのか、と揺さぶってきます。
ビートルズを聞いてわれにかえる。それから?
来年、何ができるかなと思いながら、ポールの傑作「夢の人」を聞いています。

なら学談話会~喜夛隆子著 『わたしの額田部』から

2016-12-27 | 短歌
12/26、奈良女子大学で行われた「なら学談話会」の講師、喜夛隆子先生のサポートとして参加しました。女子大文学部の寺岡伸悟先生にお声かけいただきました。なら学プロジェクト」の一貫である、この談話会は「学内スタッフによる研究だけでなく、スタッフ自身も「なら学」の学びを広げるため、学内外の研究者との交流し、さらに学生や地域の方ともともに学ぶ場」(女子大HPより)とのこと。参加された皆さんは、大学や民俗学の専門家の方でしたが、喜夛先生のお話は、実際の暮らしの歴史であり、興味深く聞いておられました。
話は飛びますが、喜夛隆子さんは、歌人として『系統樹の梢』他3冊の歌集を出され、私の所属する短歌結社「ヤママユ」の編集委員であり、また民俗学の視点から『わたしの額田部』『フォークロアの畦道~前登志夫のうたとともに』を出版されています。私が前先生の歌の講座で初めて参加した時、隣の席が喜夛先生で、そこからのご縁です。(このあたりの経緯は、小野小町事務所HPをお読みください。http://komachi-office.saloon.jp/?page_id=251)
喜夛先生には、今年出版した、歌集『ラビッツ・ムーン』はじめ、本当にお世話になっています。私が図々しく、母のように、姉のように?!頼ってしまうのは、喜夛先生の独特の空気が好きなのだと思います。それは喜夛先生が理系出身である!というところからくる空気かもしれません。
民俗学の浦西勉先生が、喜夛先生の著作『わたしの額田部』について言われたこともまさにそうでした。理系出身であるということが、客観性や観察眼を持つということ。女性歌人では珍しい存在かもしれません。
さて、「なら学談話会」は、喜夛先生『わたしの額田部』から、実際に先生が関わった、額田部の祭りの様子や、伊勢講の話を、当時の映像を紹介しながらのお話でした。
先生は堺から、大和郡山は額田部に嫁がれたのですが、代々の医師のお家で、古いものが沢山あったとのこと。県立民俗博物館にも寄贈されたそうですが、古文書類はまだ沢山おありのようで、参加の先生方も興味をもっておられました。
方言の話も出ました。富山大学から来られた、中井精一先生から、奈良の方言を楽しくまとめたファイルをいただき、とても嬉しかったのですが、方言に関して触れながら、喜夛先生が言われたことが印象に残りました。言葉が消えるということは、人間の微妙な感情も消えてゆく。言葉が「白」か「黒」かでなく、その間にあるいろんなものを表現していたのに。それがなくなっている現実は残念、とぃつた内容であったかと思います。「民俗」はそうしたことを振り返り、はたと立ち止まる機会になると、今日のお話を聞いて強く思いました。喜夛先生のまとまったお話を聞く機会をいただけて、有り難い会でした。
余談ですが、奈良町にぎわいの家にある赤、白、青の立派な蚊帳は、喜夛先生から寄贈していただいたものです。昨年、この蚊帳をNHKが取材しました。喜夛先生の家の大きな長持からその蚊帳を取り出すシーンをカメラにおさめ、放送されました。その蚊帳をにぎわいの家では夏に吊っています。子どもたちは見たことのない「蚊帳」で盛り上がっています。また年配の方は懐かしく、喜ばれています。
その蚊帳を歌った、奈良町にぎわいの家のために作って下さった、喜夛隆子作、二十四節気短歌を紹介しましょう。

蚊帳に一つほたる放ちてほの青き夢見る子ども小暑の頃か

蚊帳の中に蛍を放ち、独特のささやかな光を感じながら、夢うつつに寝入る子ども。「ほの青き」は、蛍の光でもあり、幼い時間を刻む子どもの夢の色でもあります。蚊帳という不思議な空間の詩情がよく伝わる、素敵なお歌です。

最後に、1/14(土)午後2時から、奈良町にぎわいの家で喜夛先生をお招きして「はじめて短歌」講座を開催。はじめて短歌を作る方の会、ぜひご参加くださいね!

    なら学談話会

 NHKで紹介された喜夛先生の蚊帳(奈良町にぎわいの家)






「ならのはこぶね」~東アジア文化都市2016奈良市 高校生と創る演劇を見て

2016-12-24 | 演劇
今年、奈良では「東アジア文化都市」イベントして、メインに八社寺を中心に現代アートの展示があり、奈良町にぎわいの家で行われた様子はもこのブログでも何度かお知らせしてきました。さて、その演劇部門の地元参加型の企画が、「高校生と創る演劇」です。指導、作、演出は、青年団の田上豊さん。で、結論から先にいうと…良かったです。奈良時代をテーマにした芝居は、カムカムミニキーナや地元の劇団が、藤原家の四兄弟や長屋王をモチーフにした芝居を見ましたが、本日の芝居が1番よくわかり、しっくりきました。
田上さん自身が奈良の人間でない、というところが良かったのかもしれません。奈良時代をテーマにとなると、地元では我が里なので、平城京はまずは素晴らしい都という前提からドラマは始まってしまうきらいがあります。以前、平城遷都1300年祭の前に、大仏をテーマにした芝居が何かできないか、というお話がありました。その時、私は「大仏は素晴らしいが、書き手としての気持ちは、大仏を作るのにどれだけの人間の力がいったか、苦労したか、そちらの方に気持ちが向く。」と伝えたことがあります。これは書き手の価値感によると思いますが、文字に残った歴史はある種、為政者側の物語である側面は否めません。けれど、国の民の多くは、ほとんどが名も無き人であったのです。既に歴史が書かれたものとしてあるなら、少なくとも、書き手としては、物言えぬ人たちの声の方が魅力的だし、そちらの声が聞けたらいいなといつも思います。
今回の芝居の骨格が、「素晴らしき平城の都」でなく、万葉集の憶良の「貧窮問答歌」をイメージの主軸において、ざっと奈良時代の特徴を漫画チックに解説し、しかし、根底として、本当に生きるのに大変な時代だった、ということを演劇を通して知った高校生は、とても意味のある体験になったと思います。
さて、個別に見ていくと、いろいろ気になるところもあります。こういった、時代を解説しながらドラマを進めていくスタイルの芝居が難しいのは、一人一人の出演者の顔がなかなか見えないので残念というところです。高校生の皆さんは、よくこの短時間で声も動きも磨いたと思いますし、これは指導者の力量ゆえと思います。ただ、ある一定の形にするためには、最低のレベルの発声や発音がいるでしょうが、みんな同じ声になってしまうのは、なんだか残念な気がします。もちろん、高校生がそれぞれの独自の「ま」を持てるはずもないのですが、それぞれの高校生の面白みが欠けていたように思います。一人、「白鹿」役の子は、面白かった。役が美味しいというのもあるけれど、演劇的に矯正されない個性があって、それが面白かった気がします。
そして、話の展開ですが、細かいところでツメの甘いご都合主義的な話の展開は、いくつもありました。それが演出のうまさであまり気にならなかったので、それはそれで成功かなと思います。ただ、こうした、現代から古代へワープするお話の場合、過去へ遡るためのきっかけ、その道具だてには、かなりの配慮がいると思います。今回、主役級の女の子が突然倒れ、そこから過去に行くのですが。この「倒れた」だけでは、物語としてはかなり甘くなります。何か、一つ、必然がいります。この場合、最後まで出てこなかった「鑑真」こそが、過去へのきっかけとなると思いますが、そういう構造にはなっていなかった。つまり演出のテンポで時代とシーンが変わるのを見ていく感じになります。これだと、
シーン展開は面白いけれど、一体、この主人公たちは、行き当たりばったり、何をしているのだろう、といった感覚になります。ドラマとしてはこのあたりが弱かった。
「構造」という言葉を書いたので、さらに書くと…。この芝居は、現代の高校生が奈良時代の芝居を作る中で、過去の奈良時代に入るという、時間軸の構造が一つあります。もう一つは、時間軸と関係無い普遍的な構造があり、これこそが、この芝居の1番、大事なところでした。それが「鑑真」です。「鑑真」は遣唐使たちにとって、日本を救う聖者として、何度も芝居の中で言われますが、実際には最後まで出てきません。この芝居の始めのシーン、現代の高校生たちが奈良時代の芝居を作るというシーンのキャスティングに、誰が鑑真かというと、不登校で学校に来ていない人物が、鑑真とわかります。ところが、この不登校の子が鑑真という役回りであるということは、さらっと流されてしまって、あまり強く印象に残りません。けれど、この「不登校」の子が「鑑真」であるという構図が、非常に現代的であり、遣唐使たちの「光」の存在につながるというところが、何よりのオリジナリティを感じました。ただ、これは私が感心しただけで、正直、この芝居の流れの中では、この構図は描き切れていないし、記憶にも残りません。なぜかというと、高校生の生身の身体に圧倒されて、情緒や観念が薄らいでしまうのです。この元気さがなければ、高校生ではないけれど、やはり「不登校」と「聖者」を結びつけるためには、肉体のみでない、何かが必要でしょう。それは高校生たちの内部の表現力の問題にもつながる難しいところです。
それにしても良いものが見られました。奈良で演劇をするものとしては、どうか、これからも「演劇」に興味をもち、生きることの大切なものの一つになっていってほしいなと思います。






大阪へ~梅若六郎玄祥師カレンダー

2016-12-22 | 演劇
年末も慌ただしくなってきましたが、本当に久しぶりに、大阪のリーガロイヤルホテルのダンスウエスト事務所にお邪魔しました。梅若先生の能を始め、バレエ他、舞台芸術をプロデュースする、プロデューサーの西尾智子先生のことは、前に書きましたが、本当に久々にお会いして、竹馬の友?!のように、「このケーキかわいい、美味しい!」などと二人合わせて三桁?!の年齢ですけれども、ころころ笑っておりました。相変わらずのご活躍で、今日、お名前聞いたのは、建築家の安藤忠雄さん、画家の絹谷幸二さんの話。絹谷さんは奈良の方ならよくご存じですね。元林院にお宅があります。(ちなみに、私が「たまゆら劇場」というドラマを書いているラジオ番組、「たまゆらα~奈良の響き」のお正月ゲストが絹谷さんとのこと!)その絹谷さんの美術館が梅田のスカイビルに出来たとのことで、そのパーティーで安藤忠雄さんにお会いしたとのこと。大物キラー?!の西尾先生、安藤さんにもしっかり本音でお話されたよう。本音で話すと相手も本音で返してくださる。安藤さんのパワフルさとユニークさ、西尾先生のお話から伺えました。また、比叡山でのあの「千日回峰行」!を成し遂げられた阿闍梨様とのお写真なども。リーガロイヤルのスィートが先生の事務所なんですが、美味しい紅茶をいただき、奈良の「和」とは違った空間でくつろいでいました。
さて、年末といえばカレンダーですが、先生のダンスウエストは毎年、玄祥先生の舞台写真のカレンダーを発売しています。私もいくつかお送りしますが、昨年はパリオペラ座バレエ団のプリンシパルと共演された舞台の写真があり、タイスの瞑想曲で玄祥先生が舞うのですが、その舞の美しい写真もあり、お送りした方は本当に喜ばれていました。今年はといえば、「鉄輪」「葵上」など有名な能の演目の舞台写真、迫力ありますよ!下の写真は、そのカレンダーを持って西尾先生と。「私は顔が小さいのに、あなたは顔が大きいのね。」と先生。うーん、確かに。来年は、町家で能のお話を!とお願いしてきました。奈良で、西尾先生のパワフルなお話を聞く機会も近いことでしょう。




12/14毎日新聞「なら歳時記」でにぎわいの家が紹介

2016-12-15 | にぎわいの家・奈良関連
おかげさまで、このところ、にぎわいの家関連、取材いただいています。今回は、大きく取り上げていただき有り難いことです。町家空間をどう楽しむか、古いものや昔の感覚を楽しんで暮らしに取り入れるヒント、といった切り口で書いて下さいました。記事には、地元の小学生のかまどの火吹き写真もあり、いろんな人の声が掲載されていたのも嬉しかったです。古いものに触れる楽しみ…。
「伝統文化」というと、ちょっと堅苦しくなってしまいますね。短歌もそうです。けれど、自分がひかれるところから、どんなところからでもいいので、ちょっと気にとめてみるようになると、いろんな発見や気づきがあり、そこから、楽しくなってきますね。そもそも、私たちは奈良町にぎわいの家のような、伝統的な町家建築に住んでいるわけではありません。けれど、天候、夕陽や水の冷たさなどは、日々感じることができます。町を歩いてお寺に入れば、なんだかほっとしてます。この「ほっとする」というのが、観光や町並のキーワードになると思います。なんだかほっとするな、あ、花がいけてある、お湯のわく音がする…そんなとりたてて豪華なことではないけれども、ふと味わう、昔の人も感じていただろう「ほっ!」に、奈良はつながる場所ではないかと思います。にぎわいの家が、若い方にもそんな「ほっ」と「へえ、なんかいいなあ。」と思ってもらえて、そこから、花や歌や私たちの風土ならではの魅力のはじまりに、この空間がなっていってくれたらなあ、と思っています。