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ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

Wordswings第1回企画「なゐのことばよあれ」報告

2020-03-26 | 演劇
コロナウィルスの終息は中々、時間がかかりそうですが、3/21、奈良の画廊カフェ、アートスペース上三条で、小さなイベントをしました。「地震の言葉よ生れ」(ないのことばよあれ)です。今回、積極的に告知や案内を行わず、近しい方のみ声をかけての開催。コロナ関連でメディアはほぼ一色ですが、3月は東日本大震災のおきた月であり、当月に振り返りたく、今回の朗読会となりました。
さて、タイトルの「なゐ」(ない)は古語で地震のこと。短歌の世界に入って初めて知った言葉ですが、「なゐ」はそもそも大地の意で、それが大地が揺れることが「なゐ」となったようです。リーフレットにも書きましたが、震災のことがまるで「ない」ことのように風化していないか、という自戒も込めて、このタイトルとしました。東日本大震災は、原発事故という、未来へ大きな課題を残す、難しい問題を含んでいます。そのあたりも、言葉を通して一緒に考えたいと思いました。内容は以下の通り。朗読出演は小町座。
①エッセイ「福島ノート」(立花正人氏)
歌人、前登志夫が主宰した短歌結社の歌誌「ヤママユ」で2012年から連載されている、震災に関してのエッセイを朗読。筆者の立花正人さんは、福島生まれ。現在も、震災でトラウマを抱えた子どもたちと向き合っておられます。エッセイは、震災直後の被災者の様子が書かれ、参加者は当時を改めて振り返りました。
②いすものがたり3・11(作…小野小町)…「海ちゃん」という名前の小さな女の子が座る椅子が、地震によって海に流され、波にもまれて形がなくなるほど小さくなりながら、長い年月を経て懐かしい海辺に帰ってくるという短編戯曲。小町座、西村智恵が朗読熱演しました。
③絵本「いすものがたり」 (作…小野小町/絵…川田葉子)
13年前の小町座第1回公演の「いすものがたり」の劇中に登場する絵本で、先の「いすものがたり3・11」の原点となった作品。
④「とびうおのぼうやはびょうきです」(作…いぬいとみこ)
アメリカの水爆実験の死の灰を浴びた、まぐろ漁船、第五福竜丸を振り返り、1982年に出版された有名な絵本。いぬいとみこさんは著名な児童文学者ですが、朗読すると、その言葉が更に輝きます。稽古のメンバーも、とびうおのぼうやとお母さんの健気なやりとりが、心に迫ってきたと言っていました。
⑤わたしが感じた「ふっこう」 (「新しい東北」作文コンテスト入選作より)
小学三年生の女の子の書いた言葉は、いかに大切な人たちとの普通の暮らしが大事かを伝えてくれる内容でした。
⑥短歌「アトムの子」  (小野小町 歌集『ラビッツ・ムーン』より)
原発事故の後、外で遊べない子どもたちのニュースを当時聞きながら作った歌をオープニングに「鉄腕アトム」の歌を流し朗読。「鉄腕アトム」の歌詞(谷川俊太郎)に「心やさしい科学の子」「心正しい科学の子」とあります。日本を代表する詩人の「やさしい」「正しい」という「科学」こそを、令和の時代にと思います。

さて、前後しますが、Wordswings ワーズウィングスという団体を立ち上げました。個人的な話ですが、現在、演劇を始め、施設運営や短歌なども含め、活動が多岐に渡っています。いろんな活動の核に、「言葉」があり、この言葉を、もっと声が間近に届く距離で交流でき、私たちの暮らしや社会と積極的に関わりながら活動できたらと立ち上げました。ワーズウィングスは造語で、「言葉はばたく」となるでしょうか。この名前を決めるのに、ある有名な詩人の名前がヒントとなりました。英国の桂冠詩人、Wordsworth、かの、ワーズワースです。名前を分けると「言葉・価値」となる?!なるほど、詩人が詩人たる名前だと感心した次第です。
そして、現在のコロナウィルスですが、「人と距離を置く」「近くで接触しない」など、人と人の関わりがNGである、厄介な病気のことを考えると、現代のネット社会の特徴を後押しするかのようです。私たちは交流も仕事も、こうしてパソコンに向かうことでできるのですから。
その一方で、演劇やライブなど、一番被害をこうむるアナログな世界が、1日も早く、普段の状態になりますようにと願っています。



2020年2月 町家館内移動劇「花しまい」中止、延期のお知らせ 他

2020-02-22 | 演劇
今般のコロナウィルス関連への対応として、奈良市の施設である奈良町にぎわいの家では、市からの要請もあり、「花しまい」の公演を中止、延期としました。尚、他の主催イベントに関しても、3月末まで全て中止となりました。3月は、茶会に味噌作りに…沢山の企画をしていたので、本当に残念です。
さて、花しまい、先週、町家で二度目の稽古をして、キャストも町家空間になれてきていました。おかげさまで満員御礼でしたが、お客様に中止の連絡をすると、「楽しみにしていたのに本当に残念。」「公演の連絡、待っていますので」など温かい言葉を沢山、いただきました。良い時期に必ず公演しますので、どうぞ皆様、お待ちくださいね。

ところで…コロナウィルスに関しては、毎日の報道がほぼそれで一色です。こういう非常事態?では、イベント、歌舞音曲は中止の傾向が多々です。リスクを避ける故に必然、必要のないことはしない、というのはわかります。一方で、私たちは仕事をし、生業を続けていくのですから、満員電車にも乗り、仕事場にも行くでしょう。人との接触は避けられません。例えば、公共交通機関での人との距離を考えると、イベントの参加の距離は?そんなに変わらない?前者と後者のリスクはもしかすると、違いはないのかもしれません。「正しく怖れる」という言葉を良く聞きますが、テレビやネットでこれだけ情報がある中で、自分にとって信頼できる情報をを選べる力がないとかえって危機を煽ってしまうだろうなと感じます。この「選べる力」を、演劇や短歌を初め、表現のジャンルが日頃から醸成していっているのだろうか、と、こうした非常事態?になると考えます。これは震災の時にもまさにそうでした。「危機」に対して考える力…知識の深さと心の在りようが、こうした事態にいつも問われると感じます。

そして、私もイベントを企画運営しているので、以下は自分に全てはねかってくることですが、常に二つの気持ちがあります。
世の中にはイベントが多い!何かをしていないと心配なくらい?多量なイベントがあり、なので今回のことで、中止となる数も膨大です。平和で余裕があるからこそ、イベントができる…。そのことにつくづく感謝します。私たちが表現でき、それを楽しむ機会は、普段の暮らしがあってこそ。その普段の暮らしを支えるものは、平和で自由と責任がいいバランスで保たれている社会ということでしょうか。
一方で、「よし、家に籠もって本を読もう、出かけられないからこそ、静かに考えられる!」という気持ち。他者とのコミュニケーション、交流を押すためのイベントも多いことでしょう。けれど、私たちは「自分とのコミュケーション」する機会を日々の多忙さから失っています。イベント中止ならば、「籠もる」ことで見えてくるものもあるでしょう。文学や短歌は、そんな機会にとても有効だと思います。
お祭りは日々の静かな暮らしがあってこそ、特別に生き生きするのかもしれません。かつての日本の村の祭りが、厳しい日々の労働を慰め、また、若者たちが日頃、押さえられた力を解放するような、特別の場でもあったという側面からも感じます。毎日がお祭りでなくても良い、ということをこの度のことで改めて考えた次第です。
コロナウィルスが治まりますように、今は祈るばかりです。

町家全館移動演劇「花しまい」稽古

2020-02-08 | 演劇
2/23に奈良町にぎわいの家、全館を使っての公演「花しまい」。2/1に初めて、実際に町家を使って稽古しました。3人の姉妹は、町家の別の部屋からそれぞれ芝居が始まり、出会ったり、1人になったりします。ある程度、時間配分を考えて、セリフの分量を書きましたが、実際やってみると、
移動に時間がかかったり、芝居の内容やテンポでシーンの時間が変わってきます。ですから、今回はそうした移動や芝居と時間配分をまずはみながら、
通していきました。次のシーンに行きたいけど、別の部屋ではまだ芝居が進んでいるし…といったところで、出演者の3人姉妹はいろいろアドリブをしたり、語りの小町座メンバーは、お客様を連れて移動するので、そちらの気遣いもいります。本番当日は、奈良町にぎわいの家には、一般のお客様もいる中での公演になりますので、予期せぬこともあるだろうな…とか、考えることが多い公演なのです。
ただ、姉妹たちが着物姿で町家の中で話をすると、何というか…演出の外輪くんも言ってましたが「もうそれで、半分できている」空気は確かにあります。家は人がいてこその「家」ということを感じながら、2月の寒い町家を出演者が駆け回っていました。本当に、2月の町家は寒いので、お越しの方は
温かくしてお越しください。本番まで、後少し。皆様もお体を気をつけて、お会いできますよう。

 花姉妹3人

 出演者集合 




町家移動演劇「花しまい」2/23開演!

2020-01-08 | 演劇
2020年となりました。小町座公演終わってから、すぐとりかかったのが、奈良町にぎわいの家で上演する「花しまい」です。学生時代、一緒に芝居を作っていた、演出家の外輪能隆さんと作ります。外輪くんのアイデアで、町家全体を舞台に見立て、しかも移動して、登場人物は同時進行でドラマが進み、お客様はその後をついていくという…こんな戯曲、書いたことない!というわけで、年末まで四苦八苦していました。A3縦のレイアウトに3段、登場人物の三姉妹の段を作り、時間や場所の移動を考えながら、三人それぞれのセリフを書き込んでいく作業…。戯曲を書くのは好きですが、今回は中々手強かったです。演出は外輪くんに任せるので、とても楽しみです。彼のアーティスティックで文学的な演出には定評があります。それにしても、稽古はタイトで、実際に町家全体を使っては直前のみ。はてさて、どうなるでしょう!小町座は、語り部、誘導役として参加します。チラシができましたので
皆様、どうぞよろしくお願いします。かなり変わった演劇になりますよ!


小町座公演12/1へ向けて

2019-10-19 | 演劇
毎週木曜日の午前中が、小町座の稽古タイムです。元々母親劇団なので、この時間帯は納得?!なんですが、今回、大学生や仕事されている方の初参加もあり、中々、全員が揃いません。週1、午前2時間で、本公演の稽古してるんですから…どれだけ皆が集中し、帰宅後努力しているかがわかります。
こんなタイトな状況で、二本立て公演企画です。それも、小町座には初挑戦企画。
一本目の「母帰る」(このタイトル見て「父帰る」という、菊池寛の戯曲を思い出した方は、私と同じ旧世代?!)この芝居は10年前、私が京都でカルチャーセンターの演劇講師をしている時に、稽古台本として書き下ろしたものです。ですので、いつもの私の芝居のように、時空が飛んだりしません。誰が見てもわかりやすい、とある家庭の物語です。こういう芝居は、小町座ではしたことがありません。今か昔か夢かまことか、みたいな芝居は皆さんから「小町ワールド」と言われていますが、「りんご姫」でデビューした二十歳の時から、そういう作風でしたので、そのあたりが全然成長してないのかも。日常に異空間が入り込むスタイルは、小劇場独特の雰囲気で、元々好きなのですが、今回の「母帰る」は、きちんとしたリアル時間の芝居なので、まあ、それがこんなに芝居にするのに大変だなんて!と、現在、四苦八苦しています。何の変哲もない、会話劇です。ところが、だからこそ、ウソっぽくならないためには、役者の力量がいります。「普通」が一番難しい、ということを、今回、稽古をしながらつくづく感じています。キャスト7名のアンサンブル!正直、今から、一からです。どうなるんでしょう!でも、小野小町初喜劇!ですので、是非、ご覧くださいませ。
二本目は「五輪ものがたり」。最新作です。こちらは、世代の違う四人が、自分の時代の思い出を語るドラマで、長いモノローグが続きます。これを書くのは楽しくてあっという間、キャストが覚えるには苦行の台本…。「五輪」と書きましたが…この「五輪」の意味は最後にわかります。
以上2本、全くおもむきが違う戯曲で、二度楽しめるけれど、キャストの苦労はもう大変…。しかも毎回、怒鳴られる…。
本番まで、後何回、経過報告できますかしら…。以下、リーフレットです。是非、12/1は奈良市音声館へご予定くださいね。