法事が終わってほっとしているclausewitzです。
それにしてもいつも思うのですが親戚付き合いって気を遣いますね。
時々嫌になったりもします。
我が家には総本家が一軒、分家が二軒あります。
父方の叔父が一人、母方の叔父が三人、祖父の兄弟姉妹が六人(五人生存)
祖母の兄弟姉妹が七人(近所の人は二人生存)いらっしゃいます。
これに総本家から別に分かれた分家が一軒。
最後に姉の嫁ぎ先と妻の実家。
これくらいが「我が家の親戚」としています。
祖父がなくなって九年、祖母が亡くなって六年経ちました。
それで祖父や祖母の兄弟とは縁が薄くなったので正直遠い存在でした。
でもその遠い存在の親戚って意外にどう接したらいいのか迷います。
どの法事に呼んで、どの法事に呼ばない方がいいのか、など。
でも最近半年くらいは別の見方をするようになりました。
祖母の兄弟は別として、祖父の兄弟に関しては我が家には責任があるのです。
一度嫁いだり分家したりすると、なかなか会う機会がない。
やはり兄弟姉妹なのでみんなでわいわい騒ぎたいと思うのです。
そして「その場」を提供することが我が家の責任だと思ったのです。
昔の人は、実家に帰るのも難しかったのです。
嫁いだらもう他人、嫁ぎ先の家からすれば嫁が実家に帰るのは「出戻りだけ」
って思われるか、よくても「盆と正月だけ」でした。
そこで祖母は気を遣い、なるべく公的にそういう人を集めたものです。
「お寺で報恩講があるので」といったりです。「法事」はもちろんそういう場ですし。四月と九月には「お祭り」の時にも御膳を囲み20人ほどで騒いだものです。
その事を思い出したり聞いたりしたときに「あぁ、そうだよな」って思いました。
妻も「もっと呼ばないと」って思ったみたいですし。
そこで来年からは「おひなまつり」をすることにしました。
我が家から嫁いでいった方々をお招きして女だけで騒ぐそうです(笑)
法事でこの話をしていたら、みんな生き生きとしていました。
残念ながら男子禁制なので僕は関係なさそうですが今から楽しみです
それにしてもいつも思うのですが親戚付き合いって気を遣いますね。
時々嫌になったりもします。
我が家には総本家が一軒、分家が二軒あります。
父方の叔父が一人、母方の叔父が三人、祖父の兄弟姉妹が六人(五人生存)
祖母の兄弟姉妹が七人(近所の人は二人生存)いらっしゃいます。
これに総本家から別に分かれた分家が一軒。
最後に姉の嫁ぎ先と妻の実家。
これくらいが「我が家の親戚」としています。
祖父がなくなって九年、祖母が亡くなって六年経ちました。
それで祖父や祖母の兄弟とは縁が薄くなったので正直遠い存在でした。
でもその遠い存在の親戚って意外にどう接したらいいのか迷います。
どの法事に呼んで、どの法事に呼ばない方がいいのか、など。
でも最近半年くらいは別の見方をするようになりました。
祖母の兄弟は別として、祖父の兄弟に関しては我が家には責任があるのです。
一度嫁いだり分家したりすると、なかなか会う機会がない。
やはり兄弟姉妹なのでみんなでわいわい騒ぎたいと思うのです。
そして「その場」を提供することが我が家の責任だと思ったのです。
昔の人は、実家に帰るのも難しかったのです。
嫁いだらもう他人、嫁ぎ先の家からすれば嫁が実家に帰るのは「出戻りだけ」
って思われるか、よくても「盆と正月だけ」でした。
そこで祖母は気を遣い、なるべく公的にそういう人を集めたものです。
「お寺で報恩講があるので」といったりです。「法事」はもちろんそういう場ですし。四月と九月には「お祭り」の時にも御膳を囲み20人ほどで騒いだものです。
その事を思い出したり聞いたりしたときに「あぁ、そうだよな」って思いました。
妻も「もっと呼ばないと」って思ったみたいですし。
そこで来年からは「おひなまつり」をすることにしました。
我が家から嫁いでいった方々をお招きして女だけで騒ぐそうです(笑)
法事でこの話をしていたら、みんな生き生きとしていました。
残念ながら男子禁制なので僕は関係なさそうですが今から楽しみです
