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(台湾は)日本に二度捨てられた        27.12.2

2015-12-02 20:31:28 | 台湾旅行

(台湾は)日本に二度捨てられた        27.12.2

 

私自身、少し驚いたが、そういえば、確かにそうだ。

大変なショックが二度だ。

 

《 東洋経済オンラインの記事 : 二度捨てた、というのは、1945年と、1972年のことだ。前者は日本の敗戦による台湾の放棄、後者は日華断交である。前者も後者も、日本にとっては、かなりの部分、自力ではどうしようもないものだった。  》

 

この思いを十二分に理解して、台湾旅行をしたい。

 

* 東洋経済オンラインの記事

今なぜ台湾で「懐日映画」が大ヒットするのか 戦後70年、無視されてきた「人間の歴史」

東洋経済オンライン

野嶋 剛7 時間前

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台湾で今年最も話題を集めた映画の一つが、終戦後に台湾から日本に引き揚げた人々を追ったドキュメンタリー映画「湾生回家」である。

「湾生(わんせい)」とは、戦前、台湾で生まれ育った日本人のことを指す。映画の日本語タイトルは「故郷-湾生帰郷物語」。ドキュメンタリーとしては、興行収入1億円を超える台湾で異例のヒットとなり、来年には日本でも公開される予定だ。

この映画は、「回家」という言葉が示すように、湾生たちは日本に帰った後も、忘れようとしても忘れられなかった「台湾=故郷」に、戦後70年を経て、深い感慨とともに戻っていく物語を描く。映画のなかでは、高齢に達した湾生たちが、それぞれの「故郷」で懐かしい人々や景色と再び出会い、台湾への愛惜や戦後の人生を語り尽くすところが見どころだ。

なぜ、湾生たちを取り上げた映画が台湾でヒットしたのか。それは、近年台湾で広がる「懐日(日本を懐かしむ)」ブームと深く関係している。

台湾には、 1895年から 1945年にかけての日本統治時代の多くの建築物や産業遺跡が残っているが、これらの保存・再活用を通して、「日式」を台湾に残そうという取り組みが各地で活発化しているのだ。

昨年は日本でも公開された、戦前の日本統治下の台湾から高校野球・嘉義農林チームが日本本土の甲子園に出場し、準優勝する活躍を描いた映画「 KANO」も大ヒットした。台湾には、戦前に日本語教育を受けた人々もいるが、いまの「懐日」ブームを担うのは20代、30代の若者だという点が特に興味深いポイントだ。

私は映画「湾生回家」を台北市内の映画館で見たのだが、観客の年齢層が意外に若いことに驚かされた。隣に座った20代の女性は、映画の最初から最後まで、涙をハンカチで拭い続けていた。

「湾生回家」は一カ月以上も上映が続くという、台湾では珍しいロングランとなり、私が見に行った日も平日の午後というのにほぼ満席。11月21日に受賞発表式があった台湾アカデミー賞「金馬奨」でも最優秀ドキュメンタリー作品にノミネートされた。映画と同じタイトルの書籍も5万冊を売り上げ、「湾生」はにわかに台湾で注目される存在になった。

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ドキュメンタリー作品は、実は台湾では根強いマーケットを持っており、しばしばドキュメンタリーがロードショーの映画館で上映され、「湾生回家」のように億超えのヒットとなることもある。台湾の人々が社会問題に対する高い関心を持っている背景もあり、また、優秀な人材がドキュメンタリー界にひしめいていることも関係しているようだ。

こういった環境が「ドキュメンタリーは単館上映」と相場が決まっている日本といささか違うのは確かだが、いずれにせよ、「湾生回家」は娯楽性とメッセージ性を兼ね備えた優れた作品だと高く評価されている。

湾生とは、どういう人々なのだろうか。

敗戦によって日本は台湾の領有権を放棄し、中華民国政府は日本人(当時台湾では内地人と呼ばれた)を全員、日本に帰す方針をとった。1949年までに日本人の帰還事業は完了。当時、台湾から引き揚げた日本人は軍民あわせて50万人と言われる。台湾生まれではなくても、台湾で長期にわたって少年期や青年期を過ごした人々も湾生である。

「湾生回家」の作品の価値は、激動の歴史を歩んだ台湾の近代史のなかで、「台湾から日本に戻ったあとも、台湾を忘れず生きてきた」という湾生の物語を、戦後70年という節目に新たに発掘したところにあるだろう。

台湾社会のなかで、1945年以降に台湾を去った日本人たちが、これほど台湾を深く懐かしみ、思い続けたことは、これまでほとんど語られなかった話だった。そればかりでなく、むしろ日本人は「台湾を捨てた」と広く受け止められてきた。

李登輝との対談で知られる司馬遼太郎著「台湾紀行」では、司馬遼太郎が、台湾である老婦人から「日本は台湾を二度捨てた」と詰め寄られ、答えに窮したところが描かれている。私自身、台湾で暮らしている間に、何度か高齢の方々にそう言われ、心のなかに罪悪感が残った記憶がある。

二度捨てた、というのは、1945年と、1972年のことだ。前者は日本の敗戦による台湾の放棄、後者は日華断交である。前者も後者も、日本にとっては、かなりの部分、自力ではどうしようもないものだった。

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前者については降伏の条件として台湾放棄を約束させられた。後者もまた、日本の国益のため、世界の潮流に乗り遅れないよう、やむを得ない判断だったと、いまからすれば言うこともできるだろう。しかし、台湾にとってみれば「捨てる」という言葉で言いたくなる気持ちも理解できる。

終戦当時、台湾にいた日本人のなかにもいろいろな考え方があっただろうが、「台湾を離れたくない」という気持ちでありながら、国家が定めた運命によって無理矢理台湾から引き離された人々がいたことは、この作品を見れば十分に伝わってくる。

こうした人間レベルの関係は、戦後の日台関係のなかで政治的に隠されてきた部分がある。台湾では国民党の「中国化教育」によって日本への思いは「皇民意識」として克服すべき対象となった。日本でも、台湾統治という植民地領有行為そのものが批判の対象となった。

その結果、国家の領有や放棄というレベルとは本来別次元であるべき湾生たちの「人間の歴史」までが忘却され、軽視されてきたのである。

しかし、台湾では近年、「中国は中国、台湾は台湾」という認識が完全に定着し、その分、台湾へ向ける人々の郷土愛が盛んに強調されるようになっている。「愛台湾(台湾を愛する)」というスローガンは、もはや独立志向が強い民進党支持者だけでなく、国民党の候補者も語らなければ選挙に勝てない状態だ。その意味では、この湾生回家のヒットは「日本人も愛した台湾」という点が、より台湾の人々の涙腺を刺激するのだろう。

記憶は環境によって育てられる面はある。台湾における日本時代への懐かしみは、国民党の苛烈な統治や弾圧が強化したものであろう。

日本での湾生たちの台湾思慕も、敗戦によって焦土となった日本は当時の台湾に比べてはるかに暮らしにくかったことや、日本で引揚者が受けた差別的視線なども関係しているはずだ。戦前の台湾の経済水準は、日本の地方都市を大きくしのぎ、給料面でも東京に遜色ない金額を得ることができた。日本に戻った「湾生」たちが台湾での生活をより一層懐かしんだことは疑いようがない。

だが、やはり重要な問題は、人間にとってのアイデンティティは、必ずしも教育やイデオロギーだけで決まるものではなく、個々人が抱いている実体験によってしか本当の意味で形成されないということだと思う。

映画のなかの印象深いセリフに「(湾生たちが育った台湾東部の)花蓮のあの自然、景色をそのまま日本に持って帰りたい」という言葉がある。彼らには、そんな気持ちにさせられる景色は花蓮以外に存在しないだろう。そこに経済的豊かさがあろうがなかろうが、国籍が日本であろうが中華民国であろうが、それはひとりの人間にとって絶対的な体験なのである。

映画で湾生たちは、口々に「私の故郷は台湾」と語っていた。そして、戦後の日本でずっと他人に語れない「台湾の私」を抱え込んで生活してきた。その感覚を映画の主人公のひとりである老婦人は「自分がいつも異邦人のような気持ちだった」と明かしている。

「湾生回家」は、そうした湾生たちの思いを、いまを生きる台湾の人々に「懐日」というトレンドのなかで、より深く理解させ、共感を得られたからこそ、ここまでの大ヒットになったに違いない。


胃がん治療  3  27.12.2

2015-12-02 17:23:27 | 胃がん治療

胃がん治療  3    27.12.2

 1. 術後1年3ヶ月経過の検診を受ける。

  ➀ 血液検査とCT検査:27.11.25

 ② 同上結果による問診:27.12.2

 

 異状なしで安心。

 胃開腹手術の主治医、転勤交代となっていた。

 


2. 術後5年経過観察し、サイクルは次のとおりと告げられる

 ➀ 3月ごとに血液検査

 ② 半年ごとCT検査

 ③ 1年ごと胃カメラ検査


3. 次回は次の予定となる。

 ➀ 血液検査:28.3.2

 ② 同上結果による問診:28.3.9

 

 


連続テレビ小説「あさが来た」 - 47  第10週 「お姉ちゃんの旅立ち」

2015-12-02 16:59:54 | NHK連続テレビ小説「あさが来た」

連続テレビ小説「あさが来た」 - 47  10週 「お姉ちゃんの旅立ち」

 

+++++前日の終わり

襲名披露にあさなど金屏風の前に並んで、つづく。

 

+++++今日の始まり

襲名披露にあさなど金屏風の前に並んだシーン。

 

水曜日  27.12.2   10週   57

 

あさが襲名披露にならんでいるため、招待客おどろく。

ここで五代一括、英語で黙れ・・・・・・。

あさは立派な一人の重役と。

舅、口上。

8代目三男、次男後見役と・・・・。

弟、「8代目としてよろしく」と。 

加野屋、徳川3代将軍時創業250年になります。

嫁のあさにも石炭商をやってもらいますのでよろしく。

ええもんは、何でも取り入れていきます。

 

舅、五代に頭が堅いと言われたので、あさを披露宴に出したと。

五代、英断として褒める。

 

舅と姑、奈良に出かけるので、姉を呼んでゆっくり話なさいと。

 

< 姉の夫、妹の家に行ってきなと勧める。   >

 

炭鉱の支配人から手紙あり。

サトシの組も働きだしたと。

あさが炭鉱に帰って来てほしいと皆が言っている。

 

夫と談話

琴は売れなかった。姉との思い出などなど・・・・・。

 

夫どうしの談話・・・・・露店で。

天王寺屋の跡地の話になり、姉を井戸から救い出したことなど・・・・。

姉の夫、一つだけ心残りがあると、夫新次郎ならば探し出せるのではないかと?

 

舅夫婦奈良へ旅経つ。

 

姉と子供が、加野屋に泊まりに来て、つづく。

 

明日は、どのような展開になるか楽しみだ。


27年 秩父札所巡り  34   秩父市立浦山歴史民俗資料館

2015-12-02 08:34:26 | 27年 秩父札所巡り

27年 秩父札所巡り  34   秩父市立浦山歴史民俗資料館

 

昨年、秩父市立浦山歴史民俗資料館を眺めながら28番橋立堂(はしだてどう)に向かいました。

今回、立ち寄り、休憩を兼ね見学(おむすび1個食べる)。

入館は無料でした。

私1人なので、エントランスの中央の椅子を利用させていただきました。

 

 

 

昨年も道を間違え、今年も間違えてしまいました。

昨年は、秩父市立浦山歴史民俗資料館の直前で・・・・・・。

今年は、工場正門まで進み、引返す。

またもや、地図を良く確認せず失敗。

 秩父鉄道の線路を渡り、また渡り返さなければいけません。

昨年は、  SL機関車の撮影待ちの人をみかけました。                       

 

27番発 0928 - 秩父市立浦山歴史民俗資料館着 0942・・・・徒歩 14分 ( 西武鉄道パンフ  ・・・・・・   舗装道 )

ここは、0943 - 1007 :  20分間いました。

 

ここは、浦山ダムに沈んだ地区の資料が、特に驚いたのは、「花火打ち上げの木の大きな筒」でした。

秩父では、祭りの際は。必ず花火をうちあげるとのこと。

なければならない大きな筒でした。

 

< 写真 > 

 

➀ 花火打ち上げ用の大きな木筒

 

② 多くの展示品

< 浦山獅子舞の獅子頭がメインの展示品でした。しかし、祭りのため貸し出されていて本物はなかった。>

 

 

 


自己責任の世界=株式投資    27.12.2

2015-12-02 05:43:41 | 投資

自己責任の世界=株式投資    27.12.2

 

リスクコントロール、損切りが出来るかと・・・・・・・。

確かにそうだとうなずくしかないが・・・・・・。

 

久方振りに、12月1日、日経225が2万円を回復。

朗報、朗報!!!!!

 

株価の上昇・下落、月ごとの勝敗の統計は、12月は良く、勝がほとんどのこと。

是非、期待したい・・・・・・?

とらぬ狸の皮算用か?

 

株式投資のパンフには必ず自己責任の言葉が記載され、また聞かされているので、耳にたこが出来るぐらいだが、私はコントロールをいつも失っている。

妻から、しっこく、「経験のないあなたは必ず大損すると。止めなさいと」・・・・繰り返し忠告?されている。

それでもこりないので・・・・・・ばかかもしれない。

大いに反省すべき。

 

 

* ZUU online の記事 

日経平均2万円から稼ぐ方法。「乗り遅れた人」がすべきことは

ZUU Online

8 時間前

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子や孫への資金援助 贈与税の節約法

日経平均が2万円台回復 3カ月超ぶり

12月1日、日経平均が約3カ月ぶり2万円台回復した。日経平均が2万円台で終了するのは8月20日以来。この上昇にうまく乗れた人もいれば、乗り遅れた人もいるだろう。乗り遅れた人はどう対処すべきだろう。

 

© ZUU online 日経平均2万円から稼ぐ方法。「乗り遅れた人」がすべきことは?(写真=PIXTA

日経平均2万円の意味

日経平均2万円には大きな意味がある。投資家にとって100円、500円、1000円という区切りは心理的に大きな節目となる。区切りの良い値段で買いたい。売りたいというのはごく当然だ。多くの投資家は1万9970円ではなく2万円で注文を出すだろう。

現在の相場環境にあてはめると日経平均2万円は単に区切りが良いというだけではなくより大きな意味を持っている。今年4月22日に日経平均株価は2万円を超えたのち、一時的に2万円を下回ることはあったものの8月まで2万円は下値抵抗線として多くの投資家が意識してきた価格だ。当然、この価格帯で株を買った投資家が多数いたことは容易に察しがつく。つまり、株価が現在の水準まで上昇した今、これまで含み損を抱えていた投資家がヤレヤレの売りを出してくる投資家が多数いることが想像される。

日経平均2万円は単に区切りの良い節目としてではなく、含み損を抱える投資家が売り注文を出してくるポイントでもある。

2万円から稼ぐ方法

まずは結論を述べよう。あなたが、「乗り遅れた」と感じているなら今回の相場は見送って何もしないことがベストだ。乗り遅れたと感じている時点で答えは出ている。あなた自身が無意識のうちに負けを認めているのだ。負け戦と分かりながら貴重な資金を投じることほど馬鹿げたことはない。相場はこれから10年でも20年でも続く。1度のチャンスを逃したからといって必要以上に悔しがり無謀な投資に走る必要など無い。

機関投資家や相場で生計を維持している人は常に利益を追い求めねばならない。どんな相場環境であろうと利益を出すことを求められる。しかし、利益が出せるタイミングと利益を出せないタイミングがあることは事実だ。利益が出せないタイミングで無理をする必要があるのがプロの投資家だ。個人投資家には利益を出す自信が無ければ「何もしない」という選択肢が与えられていることを最大限活かすべきだ。

結局のところ、投資家が取り得る選択肢は3つしか無い。

1 買う

2 売る

3 何もしない

「乗り遅れた」のだから何もしない。実にシンプルだ。しかし、それではつまらないので現実的に稼げる方法を考えてみよう。

インバース型商品の知識を持つことは有益

先にも述べたように日経平均2万円の持つ意味を考えると、2万円を突破すれば改めて相場の強さが認識され、2万円が再度強力な下値抵抗線として作用することは十分に考えられる。勢いよく2万円を突破してくるような場合には「買う」という選択肢もアリだ。

日経平均2万円の壁が厚く、ここが天井だと判断するのであれば売りから入るという選択肢もある。以前は売りで利益を出すには、カラ売りや先物取引による手法を取る必要があり敷居が高かったが、今はインバース(ベア)型上場投資信託も普及し、個人投資家でも手軽に利用できるようになっている。今回の相場でこの手法を取るかどうかは別として、投資に幅が広がるという点からインバース(ベア)型の商品についての知識を持っておくことは有益だ。

日経平均株価だけにこだわる必要も無い。例えば、マザーズ指数はまだ年初来高値の半値戻しを達成した段階だ。つまり日経平均株価と比較するとまだ戻りきっていないといえる。このように同じ日本株であっても、東証1部とマザーズとでは景色は違っている。時にはより広い視線で割安なマーケットを探す必要もあるだろう。

まじめに考えるほどうまくいかなくなる

投資というのは不思議なもので、実はマジメに考えれば考えるほどうまくいかなくなる。偉大な経済学者ケインズも株式投資では大きな損失を出している。

厄介なことにマーケットでは百戦錬磨のプロも素人も同じ土俵で勝負しなければならない。「元村上ファンド」代表の村上世彰氏が相場操縦の疑いで家宅捜査を受けたというニュースが伝わったばかりだ。我々はこうしたプロ集団と同じ土俵で勝負しているのだ。マネー雑誌やネット上で「2万円から稼ぐ方法」が紹介されれば、その前に既に誰かがその銘柄を仕込んでいて、あなたは利用されているだけということも十分にあり得る。

投資では利益をコントロールすることはできない。しかし、リスクをコントロールすることは可能だ。あなたはどれだけの損失なら耐えることができるだろうか。仮にそうした状況に陥ったとき、あなたはちゅうちょなく損切りができるだろうか。日経平均2万円から稼げる人はきっとこうしたリスクコントロールができる人だろう。

(ZUUonline編集部)