弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

参院選を「イベント」で終わらせないために

2007年07月18日 | アクション
 ようやく昨日、退院できた。今日からまたダラダラと書いていきたい。
 とはいえ、なんだかテンションが上がらない。体調や生活の変化に気ぜわしくなっているせいもあるけれど、それ以上に何か、選挙に向けて気ぜわしくなっているムードに対して、あえて知らん顔していたいという、天邪鬼の気分が頭をもたげているせいかも知れない。

 僕が天邪鬼だろうとどうだろうと、チャンスが近づいているのは確かだ。政策とかイデオロギー云々以前に、史上稀なほどシンプルに「人としてだめ」な内閣と決別できるチャンスが。
 長かった。コイズミ時代から数えれば、足かけ7年に渡る民主主義の劣化。その前の政権がまともだったとはとても言えないが(中でもコイズミ時代直前の森内閣は、「何かの間違い」としか表現できない)、政治が威勢のいいスローガンのかけ合いとパフォーマンスに終始し、内実コドモのオモチャのように扱われている、この7年ほど露骨にひどくはなかった。
 無論、コイズミやアベという個人のアナクロニズムにすべての原因を帰することはできないだろう。「9.11」という外的条件なければ、党内でもどちらかと言えば「みそっかす」の立場にあったこの連中の台頭はなかったかも知れないし、あってももっと控えめな自己主張で済んだかも知れない。しかし、あいにく内外の情勢はこのバカどもに味方した。
 かくしてアメリカのネオコン追随路線から、厚顔無恥なる「美しい国」へと、そのアナクロニズムによる環境汚染は、知的生命体にとっての環境基準をとっくにオーバーするまでなった。これまでの人生の中で、日本人であることがこんなに恥ずかしいと思った年月はなかった。だがそれも、コイズミ以下の閣僚個人個人の振る舞いを見て、というよりも、こんな連中を野放しにできる国民の感性ゆえに、である。おまえらイモだぜ。太陽の下おぼろげなるまま右往左往であくびして死ね!(エレファントカシマシ「奴隷天国」)─というのが根底にある気分だった。

 もちろん、これらを過去形で語れるかどうかは今後の政局次第である。願望を込めて過去形で書いてみたものの、本当に参院選を機に流れを変えることができるのか、僕はいまだに半信半疑だ。ここら辺、少し前に書いたことと重なるけれど、あえてくり返したい。
 ネット上ではたくさんのブロガーの方が、自公を叩き落すべく精魂込めたキャンペーンを張っている。僕もその末席の末席にぶら下がっている者として、なんとかこのチャンスを結果に結び付けるべく貢献したいと思う。ただ同時に、この国の抱えている問題の根深さは、この参院選の結果だけで好転するようなものではない、という感覚がいつもつきまとっている。そして、それは普通の感覚だと自分で思っている。
 参院選ですべてが好転するなんて誰も思っていない、いちいちそんなこと言うな、と怒られるかも知れないけれど、どうも報道から予測される投票結果として、自公が負け、民主が躍進するのは織り込み済みであって、それ自体はニュースとも言えない──かといって、その後に何かポジティヴな変化が起きる筋道が見えるわけでもない。本当は、その筋道をつけるのに国民の声が反映されるべきなのだが、その時には自公にNOを突きつけた有権者の大半が、すでに政局に関心を失っている可能性が高い。それだと、結局もとのもくあみではないか。
 以前の自民党大敗の時にキャッチフレーズになっていた、「自民党にお灸をすえる」というような感覚でいいものか。それを第一歩にするのはいいとしても、第二歩はどうするのか。そこまでの戦略が野党になければ、結局はしばしの混乱の後、自公と民主の一部からなる「新保守」政治(「新」には何の意味もない)への予定調和的収束、ということになるだけではないのか。
 それでも年金問題など、焦眉の課題のいくつかが解決できれば結構オッケーじゃん、という見方もできる。だが2007年という年に、この国に求められている変化とは、その程度の内向きな変化なのだろうか?

 僕自身、漠然とした言い方しかできないけれど、必要なのは与党にお灸をすえるだとか、ここまでの方針を見直す機運だとかいった微温的「改革」なのではなく、何か本質的に新しいこと、日本の舵を取っているのは政治家ではなく日本市民そのものである、という事実を内外に見せつけるようなしるし、ではないかという気がする。そして、それは参院選の投票結果だけからは、見せようにも見せられないものではないか。少なくとも議席配分の変化それ自体からは。
 せめて投票率の大幅な増加、それが政権交代につながった、という現象があれば、その時点で「見えた」ことにはなるだろう。普段投票に行かないような人を、どれだけその気にさせられるかが鍵だと思う。日常の中に「非日常」的イベントとしての選挙があるのでなく、日常の一つとして選挙がある、という当たり前の感覚を取り戻す──そんな当たり前の感覚が失われていることこそ、民主主義の劣化の証拠でもある──それは他のメディアよりも、ブログなどネットでの言論活動において効果的に働きかけることができるに違いない。ただ、生やさしいことではない。勢いとして野党有利になっていることと、マヒしてしまった感覚を呼び覚まし・根付かせることとは全然別だ。
 そういう意味で、この参院選がヤマで後はなだらか、というわけではなく、この後に続く連戦シリーズの一つに過ぎない、という感覚を持つべきだろう。選挙を「イベント」で終わらせない感覚を、できる限り多くの人と共有したい。


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2 コメント

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Unknown (羅閃)
2007-07-19 00:54:45
退院おめでとうございます!お待ち申し上げておりやした!快気祝いコメントにしては毒が入っていますが、右から左へ受け流してほしい~♪



私自身は国政選挙においては与党も野党(特に民主党)も信用する気はさらさらありません。ただ、野党勢力が拡大して後々に政権交代となったとすれば、諸問題に対してコンセプト共有できるかという点は気にかかりますな……。連立ならではの命題ですね。



政治で議論される各個の分野でバラバラの達成目標はうんざり、教育・生産・経済・福祉など全てのフィールドを組み合わせて網羅して「10年後にはあんたらと生活をこうする」っていう確たる目標を、一回でいいから政治家の口から聞いてみたい。
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こんちわっす (レイランダー)
2007-07-19 09:08:25
まだあまり「快気」でもなくて、もう2、3日病院で寝てた方が良かったかも、と思い直さないでもないんですが・・・・ムーディ勝山の濃い顔にパワーをもらいたいところです(なんのこっちゃ)。

「10年後はこうする」以前に、現在がどうなっているか把握できてなかった・・・・未来のことはアメリカに考えてもらって、国内では脅威を煽ったり「日本人は偉い」っておためごかしで国民を操縦した気になっていたのがここのところの与党ですから、まずこの連中に降りてもらうだけことだけでも、精神衛生上必要だな、というのが本音だったりします。
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