僕は昔から──記憶にある限り中学生くらいの頃から、死刑制度に反対の考えを持ち続けている。かといってさほど情熱を傾けてこの問題を研究したということはない。ネットで発言する活動を始めたここ数年ですら、実はそうなのである。
結局、広い意味での人権問題というくくりの中でしか捉えていなかったというか。人権問題であれば、死刑囚のようなごく限られた人間に対する侵害の問題より、もっと日常的で多くの人を巻き込んだ問題が現前にあるという意識のせいか、どうも「死刑問題は二の次」という態度から先に進まなかった。
ただ一方では、人を殺すことの倫理的な是非とは別に、国家体制がこの制度の護持にこだわる政治的意味というのは、頭の片隅から離れたことはない。むしろ近年になればなるほど、おまえらの安全を守ってやるから大人しく従えや、的な押しつけがましさが体制側に強まってきたせいか、この政治的意味のことを考える機会が増えたようなのである。
それは恐らく、死刑制度を「悪用」して反体制派を押さえる、というような次元で説明されることではない。「悪用」も何も、死刑制度を存置していることの中に、国家の本質(=暴力の独占)があらわになっているのである。
そんな流れから、このフランスの改憲──死刑廃止を盛り込むための──の話を聞いて、思わず興奮を覚えた。
少し前に『憲法は、政府に対する命令である。』のエントリーなどでも書いたが、現行憲法の「改正」そのものは別に悪いことではない。今ある憲法より、もっと民主的で平和主義を徹底した形に変えることだって、理論的には可能なのだ(というより、そのように健やかに発展させてくれることを、日本国憲法はその本来の性質から求めているはずだ)。
とはいっても、今この状況の中で、9条をより非戦的な内容に書き換えるとか、象徴天皇制を廃止するとかいうことは、いかにもハードルが高い。ハードルが高いから口にするべきではない、というのではもちろんないが、スローガンの正しさを信じることと、現実的な可能性を信じることとは別である。今の我々は、現行憲法をただ無傷で守りきるだけでも、大勝利とは言える。それも、決して消極的な意味ばかりでなく(こちらの書評も参考に)。
ただ、その目標のためにも、単に「守りきろう」というキャンペーンだけでなく、「改正するならむしろこの方向で」という主張を持つ方が、議論の質を深め、ひいては支持を集めることにつながるのは確かだ。そこで強力な援軍になってくれるのが、フランスの「改憲」なのである。
政府与党の十八番である言い方を思い出そう。「戦後60年を経過し、今の憲法では時代にそぐわないところも出てきた」。
おっしゃるとおり、現憲法には「時代にそぐわない」箇所がある。それは第一に、象徴天皇制という摩訶不思議な、民主国家にとって不必要な貴族制度である。第二に、先進国のほとんどがすでに廃止している死刑制度である。この2つは明らかに時代遅れである。逆に、軍事力の不所持は時代遅れではなく、時代の先を行き過ぎているだけなのだ。
しかし第一の問題については、現時点での大多数の国民感情を考えれば、(きっぱりと言い続けることには意味があるけれど)近い将来の廃止は望めないだろう。だが第二の問題、死刑廃止については、案外そうではないはずだ。
おそらく今、世論調査などを行えば、死刑の存続を支持する人の方が多数という結果になるだろう。だがそれは、世界の多数派はそう考えていないということを、日本人が知らないから、という面が大きい。知りさえすれば、つまり俺たちはこのままだと「遅れた少数派」だよ、という現実を知れば、大概の国民は「それはいやだな・・・いつの間にそんなことに?」と考え直すのではないだろうか。人目を気にする国民性につけ入るようでいやらしいかもしれないが、政府は“人目”を隠すのに必死なのだから、こちらは逆にどんどん暴くべきだろう。
その上で、我々国民は死刑制度からどんな恩恵を受けているというのか?ナッシングである。現に凶悪犯罪の抑制につながっていない──という事実まで上乗せすれば、それでもまだ死刑にこだわる国民というのは、かなり少なくなるのではないか。
しかも日本の国会内には、「死刑廃止を求める議員連盟」という超党派の団体までちゃんとあるのだ。そういったあたりを考え合わせれば、日本における死刑廃止は、現時点で国民の多数の意識に上っていないというだけで、将来には十分現実性がある。フランスの改憲の動きを、そのテコとして存分に使ったらいい。
死刑廃止の法制化自体は、日本においても別に憲法改正を必要としない。だから「改憲」と死刑廃止を必ずしも結びつける必要は、本来はない。ただ、今ある「改憲」の方向に対しての、「対抗改憲」として、死刑廃止は具体的でわかりやすいスローガンの旗頭になれる。そのスローガンの喚起力を捨てる手はないと思うのだ。
いったん旗頭として持ち出されれば、それは実際に憲法に書き加えられるにせよ、憲法には登場しないまま法制化されるにせよ、「改憲」のイメージに揺さぶりをかけ、転換をもたらす。この憲法に結びつけた形での死刑廃止の提起がなされた後でもなお、平和憲法を撤廃する「改憲」以外受け入れたくないという特殊な心情に凝り固まっている日本人がそうそう多いとは信じられない。多くの人は、「今の憲法では我々の安全は守れない」という誤ったイメージに幻惑されているだけだ。そのイメージ操作に対して、「死刑廃止のための対抗改憲」というイメージは、一定の解毒作用を持つと思う。
このテーマは引き続き考え足していきたい。
結局、広い意味での人権問題というくくりの中でしか捉えていなかったというか。人権問題であれば、死刑囚のようなごく限られた人間に対する侵害の問題より、もっと日常的で多くの人を巻き込んだ問題が現前にあるという意識のせいか、どうも「死刑問題は二の次」という態度から先に進まなかった。
ただ一方では、人を殺すことの倫理的な是非とは別に、国家体制がこの制度の護持にこだわる政治的意味というのは、頭の片隅から離れたことはない。むしろ近年になればなるほど、おまえらの安全を守ってやるから大人しく従えや、的な押しつけがましさが体制側に強まってきたせいか、この政治的意味のことを考える機会が増えたようなのである。
それは恐らく、死刑制度を「悪用」して反体制派を押さえる、というような次元で説明されることではない。「悪用」も何も、死刑制度を存置していることの中に、国家の本質(=暴力の独占)があらわになっているのである。
そんな流れから、このフランスの改憲──死刑廃止を盛り込むための──の話を聞いて、思わず興奮を覚えた。
少し前に『憲法は、政府に対する命令である。』のエントリーなどでも書いたが、現行憲法の「改正」そのものは別に悪いことではない。今ある憲法より、もっと民主的で平和主義を徹底した形に変えることだって、理論的には可能なのだ(というより、そのように健やかに発展させてくれることを、日本国憲法はその本来の性質から求めているはずだ)。
とはいっても、今この状況の中で、9条をより非戦的な内容に書き換えるとか、象徴天皇制を廃止するとかいうことは、いかにもハードルが高い。ハードルが高いから口にするべきではない、というのではもちろんないが、スローガンの正しさを信じることと、現実的な可能性を信じることとは別である。今の我々は、現行憲法をただ無傷で守りきるだけでも、大勝利とは言える。それも、決して消極的な意味ばかりでなく(こちらの書評も参考に)。
ただ、その目標のためにも、単に「守りきろう」というキャンペーンだけでなく、「改正するならむしろこの方向で」という主張を持つ方が、議論の質を深め、ひいては支持を集めることにつながるのは確かだ。そこで強力な援軍になってくれるのが、フランスの「改憲」なのである。
政府与党の十八番である言い方を思い出そう。「戦後60年を経過し、今の憲法では時代にそぐわないところも出てきた」。
おっしゃるとおり、現憲法には「時代にそぐわない」箇所がある。それは第一に、象徴天皇制という摩訶不思議な、民主国家にとって不必要な貴族制度である。第二に、先進国のほとんどがすでに廃止している死刑制度である。この2つは明らかに時代遅れである。逆に、軍事力の不所持は時代遅れではなく、時代の先を行き過ぎているだけなのだ。
しかし第一の問題については、現時点での大多数の国民感情を考えれば、(きっぱりと言い続けることには意味があるけれど)近い将来の廃止は望めないだろう。だが第二の問題、死刑廃止については、案外そうではないはずだ。
おそらく今、世論調査などを行えば、死刑の存続を支持する人の方が多数という結果になるだろう。だがそれは、世界の多数派はそう考えていないということを、日本人が知らないから、という面が大きい。知りさえすれば、つまり俺たちはこのままだと「遅れた少数派」だよ、という現実を知れば、大概の国民は「それはいやだな・・・いつの間にそんなことに?」と考え直すのではないだろうか。人目を気にする国民性につけ入るようでいやらしいかもしれないが、政府は“人目”を隠すのに必死なのだから、こちらは逆にどんどん暴くべきだろう。
その上で、我々国民は死刑制度からどんな恩恵を受けているというのか?ナッシングである。現に凶悪犯罪の抑制につながっていない──という事実まで上乗せすれば、それでもまだ死刑にこだわる国民というのは、かなり少なくなるのではないか。
しかも日本の国会内には、「死刑廃止を求める議員連盟」という超党派の団体までちゃんとあるのだ。そういったあたりを考え合わせれば、日本における死刑廃止は、現時点で国民の多数の意識に上っていないというだけで、将来には十分現実性がある。フランスの改憲の動きを、そのテコとして存分に使ったらいい。
死刑廃止の法制化自体は、日本においても別に憲法改正を必要としない。だから「改憲」と死刑廃止を必ずしも結びつける必要は、本来はない。ただ、今ある「改憲」の方向に対しての、「対抗改憲」として、死刑廃止は具体的でわかりやすいスローガンの旗頭になれる。そのスローガンの喚起力を捨てる手はないと思うのだ。
いったん旗頭として持ち出されれば、それは実際に憲法に書き加えられるにせよ、憲法には登場しないまま法制化されるにせよ、「改憲」のイメージに揺さぶりをかけ、転換をもたらす。この憲法に結びつけた形での死刑廃止の提起がなされた後でもなお、平和憲法を撤廃する「改憲」以外受け入れたくないという特殊な心情に凝り固まっている日本人がそうそう多いとは信じられない。多くの人は、「今の憲法では我々の安全は守れない」という誤ったイメージに幻惑されているだけだ。そのイメージ操作に対して、「死刑廃止のための対抗改憲」というイメージは、一定の解毒作用を持つと思う。
このテーマは引き続き考え足していきたい。