パラリンピックは中止を 関川宗秀
2021年も8月15日を迎える。今年は戦後76周年に当たる。
戦後日本にとって、「向上」とは、経済的な「成長」を指してきた。
「文化」よりも「経済」を重視して、あくせくして国づくりを進めてきた。
今の日本は、表面的には清潔で快適そうな暮らしが見える国になったかもしれない。
しかし、息苦しく、生きづらさを感じている人も多いのではないだろうか。
貧困や死が見えない、リアリティのない国になっている。
コロナ禍、2021年の東京オリンピックが終わった。
賛否両論、開催が不安視された中の強行開催だった。
このオリンピック期間中に日本のコロナ感染者は急激に増え、未だにその勢いは衰えていない。8月13日、新規感染者は2万人を超えた。今後の感染者や重症患者がどこまで増えていくのか、医療ひっ迫が懸念されている。8月24日にはパラリンピックが控えているが、再び開催の議論はかまびすしくなるだろうか。
戦後日本の東京は、文化的に時間をかけてゆっくりと成熟する都市ではなく、「より速く、より高く、より強い」東京を目指してきた、と吉見俊哉(吉見俊哉 『東京復興ならず』 中公新書 2021年)も書いている。
「世界都市」としての東京に、高密に機能を集中させていくために、「経済」を導いたものは「お祭り」だった。オリンピックや万博のような国際的なビッグイベントを軸とした成長戦略、日本の都市はこのお祭り主義、「お祭りドクトリン」によって都心や臨海部の大発展を図ってきたと吉見は書いている。
つまり、大規模な公共用地の取得とインフラ整備の予算を引き出す日本的政治技術が、この国独特の「お祭り」であった。戦後日本人は、かつて「軍」の決定を錦の御旗としたのと同じように、「五輪」や「万博」、あるいは「国体」や「地方博」のような「お祭り」を錦の御旗とすることで開発を断行してきた。そしてこのお祭りドクトリンは、既存のインフラや仕組みが廃止されていく際にも有効に機能した。とりわけ、1964年の東京オリンピックが目指した「速い東京」のために犠牲にされたのは、「ゆったりとした東京」だった。オリンピックに向けて高速道建設や道路拡幅、そして自動車交通の一元化に邁進する運輸省と建設省は、前者は公共交通の管理、後者は道路建設と狙いは異なっていたのだが、路面電車を路上から放逐することでは一致していたのである。(吉見俊哉 『東京復興ならず』 中公新書 2021年)
思えば、1964年の東京オリンピックで国際的な地位を取り戻した日本は、当時の池田内閣の下、驚異的な経済成長を実現していたが、そんな池田の高度成長政策を、当時、福田赳夫は「見せかけの繁栄は昭和元禄にすぎない」と批判した。
池田内閣の所得倍増、高度成長政策 の結果、社会の動きは物質至上主義が全面を覆い、レジャー、バカンス、その日暮らしの無責任、無気力が国民の間に充満し、"元禄調"の世相が日本を支配している。経済面では物価が高騰し、国際収支は未曾有の困難に追い込まれ、広い国民層に抜き難い格差感を植え付けつつある。(https://blog.goo.ne.jp/ryuunokoe/e/bf566d2c84817ed718b1aa2a3e670728)
福田赳夫の言葉は、自民党の激しいヘゲモニー争いの渦中の言葉に過ぎないかもしれないが、この言葉には大変貴重なもので満ちている。令和の今の首相にも、じっくりと読んでもらいたいものだ。
2021年の東京オリンピックも、日本の復興をアッピールする国際ベントとして、平成不況の日本のカンフル剤と期待された。しかし、今回は明らかな失敗だ。
東京ではコロナ患者が急増しているのに、PCR検査の検査数は一万くらいにしかならない。病院にも入れず自宅療養者が増え続けている。このような国民の命をないがしろにするコロナ対策を前にして、2021年の東京オリンピックの「人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証」というスローガンは虚しく響くばかりだ。
パラリンピックは中止するしかない。
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