chuo1976

心のたねを言の葉として

「一篇」   谷川俊太郎

2013-02-13 06:08:23 | 文学
「一篇」   谷川俊太郎




一篇の詩を書いてしまうと 世界はそこで終わる
それはいまガタンと閉まった戸の音が
もう二度と繰り返されないのと同じくらい
どうでもいいことだが

詩を書いていると信じる者たちは
そこに独特な現実を見出す
日常と紙一重の慎重に選ばれた現実
言葉だけとか言えばそうも言えない
ある人には美しく
ある人には分けの分からない魂の
言いがたい混乱と秩序

一篇の詩は他の一篇とつながり
その一篇がまた誰かの書いた一篇とつながり
詩もひとつの世界をかたちづくっているが
それはたとえば観客で溢れた野球場と
どう違うのだろうか

法や契約や物語の散文を一方に載せ
詩を他方に載せた天秤があるとすると
それがどちらにも傾かず時に
かすかに 時に激しく揺れながら
どうにか平衡を保っていることが望ましいと
ぼくは思うが
もっと過激な考えの者もいるかもしれない

一篇の詩を書く度に終わる世界に
繁る木にも果実は実る
その味わいはぼくらをここから追放するのか
それとも ぼくらをここに囲い込んでしまうのか

絶滅しかけた珍しい動物みたいに
詩が古池に飛びこんだからといって
世界は変わらない

だが世界を変えるのがそんなに大事か

どんなに頑張ったって詩は新しくはならない
詩は歴史よりも古いんだ

もし新しく見えるときがあるとすれば
それは詩が世界は変わらないということを
繰り返し僕らに納得させてくれるとき

そのつつましくも傲慢な語り口で
コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
詩の出典について (夜子)
2021-03-18 03:14:50
chuo1976さん、初めまして。
素敵な詩を紹介してくださってありがとうございます。
すみません、こちらの詩は、谷川俊太郎のどの詩集に収録されているものなのか教えていただけないでしょうか?
気になって検索をかけてみたのですが、なかなか出てこなくて……。
詩の出典について (chuo1976)
2021-03-18 05:24:44
コメントありがとうございます。
この詩は2013年当時、ネットで拾ったものです。
残念ながら出典はわかりません。
Unknown (夜子)
2021-04-02 16:46:32
返信遅くなりまして申し訳ありません。
わかりました。ありがとうございます。

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