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心のたねを言の葉として

大阪「子どもの家」 補助削減

2012-05-20 03:36:45 | 教育
しんどい家庭事情「行き場ここしか」

子の最後の「家」風前

 親の育児放棄、経済苦、障害-。生きる困難を抱えた子どもの最後のセーフティーネットになってきた、大阪市内に点在する「子どもの家」が廃止の危機にある。市が無料で開いてきたが、橋下徹市長の指示を受け、補助金を大幅に滅らす方針を打ち出したためだ。 「ここがなけれは生きてこられなかった」という子らの行き場はどこにあるのか。

無料預かり大阪市補助削減

「必要性知って」署名開始




 91人が登録する最大規模の「こどもの里」は日雇い労働者の街、西成区の釜ケ崎にある。

 黄金週間まっただ中の4月30日、館内は約50人の子でいっばいだった。床でごろごろ寝転ぶ子、遊び相手を探す子、けんかする子。連休中も親は仕事や病気で面倒を見られず、この居場所に集まってきた。

 43人の家庭が生活保護世帯。日誌には「父、逮捕」「母、統合失調症」などの記述もある。荘保共子館長(65)は「この街の子どもに必要なことをやってきた」。先月も女子高校生が「母がまた薬を大量に飲んで病院に運はれた」と午後8時過ぎにやってきた。ぎりぎりまでガマンして最後にかけこんでくる子たち。追い返したら、行き場はもうない。

 職員のだれかが常に待機し、24時間態勢で子どもの相談に耳を傾ける。原則夜7時までだが、時には深夜まで預かり、タ食も用意する。家に戻れない事情があれば宿泊も可能だ。土日も祝日も開いている。年間経費は約1170万円。大半を市の補助金約800万円が支えてきた。約780万円が常勤職員2人とパートの人件費に消える。

■ ■ ■

「こういう場を必要とする子がいることを、どうすれは偉い人に分かってもらえるのか」。同じ西成区の「山王こどもセンタ一」に通う女子高校生(17)は、存続を求めて橋下市長に手紙を書き始めた。

 幼いころ両親が離婚。母は病気で失職し、パチンコと買い物の依存症になり、食事も用意しなくなった。高校生はいま、自らと似た境遇の子と遅くまでセンターで過ごし、ボランティアとして支える側にいる。 「ここで育ててもらった子は、皆そうやってセンターを支えてきた。その思いをわかってほしいんです」 生野区の「じゃがいも子どもの家」は、利用者の半数が障害のある中高生。地域で自立して生きていけるよう指導員と他の子どもたちが支援する。10年前から通う自閉症の高校生の母(48)は「地域で生きていくすべは全部ここで教わった」。

■ ■ ■

 高度成長期に多くの労働者が集まった大阪では、親だけでは育てられない子を地域で育てようと、地元の人たちが預かり保育を行ってきた歴史がある。

 そこに23年前、大阪市が補助金を出したのが「子どもの家」事業。約2千人が通う市内28力所の「家」への年間補助額は1億2400万円。市は補助額の低い学童保育事業と統合することで、再来年度から6700万円を削減する計画だ。

 学童保育に統合されると、現在2人いる常勤職員は1人しか雇えず、午後8時以降の利用や食事の提供は難しくなる。18歳ま受け入れているが、中高生は断らざるを得ない。保護者からは月2万円の保育料を取ることになるが、おやつ代の支払いが滞る家庭も多い中、厳しい金額だ。

 「子どもの家」の中でもしんどい背景を持つ子を多く受け入れているこどもの里、山王、じゃがいもなどの5施設が14日、合同で事業の存続を求める署名を集め始めた。30日までに1万筆を目標に集め、市議会議長に提出する。こどもの里の荘保館長は「学童保育の枠内では支えられない子が現実にいることに目を向けて欲しい」と訴えている。

(金成隆一、阿久沢悦子)

安全網 市は考慮を

大阪の子育て支援策を調査研究している広島県立広島大の松宮透高(ゆきたか)講師(社会福祉)の話

しんどさを抱えた子が必要としている支援は、行政の制度に合わせて「障害」「貧困」などと区分けできるものではない。多様な問題を抱えた子が支え合う居場所をなくせば、子どもたちは「社会から排除された」と感じ、必要は助けも求められなくなろだろう。子どもにとって最後のセーフティーネット。その意義を大阪市はもっと考えてほしい。

大阪市の放課後事業

「子どもの家」(28力所、無料)のほか、共働き家庭の小学校低学年の子を午後7時まで預かる民間の「学童保育所」(105力所、月2万円)と、空き教室で午後6時まで児童を預かる市営の「児重いきいき放課後事業」(298力所、無料)がある。財政難の市は「学童保育」と「子どもの家」はいずれも留守家庭の児童が通っており事業が重複するとして、学童保育に一本化し、「子どもの家」への補助金を半減する方針。貧困や障害などの問題には生活保護や障害児のデイケア利用など、既存の医療・福祉制度で対応する、としている。

2012年5月17日 朝日新聞 大阪版 朝刊 14版 第31面
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給食費:大阪市で未納4890万円 法的措置は4%

2012-03-04 02:05:17 | 教育
給食費:大阪市で未納4890万円 法的措置は4%


2012年3月3日 15時0分 毎日新聞







 大阪市立の全297小学校で10年度末現在、保護者に支払い能力があるのに未納となっている給食費が計約4890万円に上っている。催促しても、保護者が「ケータイの支払いが先」「義務教育なので無料のはず」などと渋るケースが続出。市教委が支払い督促の申し立てなど法的措置を取ったのは4%の約215万円にとどまっており、市の外部監査を担当した公認会計士は積極的に請求するよう求めている。


 市教委によると、02~10年度の累計未納者(児童)数は延べ2447人。市教委は、生活保護受給世帯など経済的に困難な家庭に対しては給食費の支払いを免除しており、未納者には支払い能力があるとみられる。しかし実際には、電話や文書で督促しても応答がない▽督促に対し「学校に行く」と返事したのに現れない▽夏休みに職場まで行ったが払わない--などの例が相次いでいる。


 市では10年度に市税などの滞納者への徴収を強化するチームを結成し、給食費の滞納についても法的措置を取るようになった。市教委のガイドラインでは、3カ月以上の未納で校長が保護者と面談して請求。応じない場合は督促状を交付し、未納期間が6カ月を超えれば「校長意見書」を市教育長に送付して法的手続きを求める。


 だが、保護者との関係悪化を恐れる校長のところで手続きがストップしているのが現状。「給食制度に反対」だとして拒む親もいるという。市内のある小学校長は「子ども手当の支給日に支払いを催促したり、目の前で計算機をたたいたりしたこともある」と苦労を打ち明ける。


 10年度末現在で支払いを督促された保護者は13人(最高額で約46万円=延べ7年分)。監査報告書で「納付している保護者の納得が得られずモラルハザードの温床になりかねない」と指摘された市教委は「法的措置のハードルを下げるなど対策を考えたい」としている。


 民法は、債権は請求しなければ原則10年で消滅すると規定。例外的に1~5年の短期消滅時効を定めており、「生徒の教育や衣食にかかる債権」は「生産者や商人が販売した商品についての債権」などと並んで2年で時効になる。【林由紀子】


 ◇05年度は全国で22億円


 文部科学省が給食を実施している全国の国公私立小中学校約3万2000校を対象に行った06年の調査では、05年度の給食費の未納は約1万4000校で発生し、総額は約22億3000万円に上った。


 このうち、提訴や差し押さえ、支払い督促の申し立てなど法的措置に踏み切ったのは全体の約2%に当たる約280校。10年に全国の公立小中学校610校を対象に行った抽出調査では5.3%となっており、法的措置を取る例は増加傾向にあるとみられる。


 近畿の政令市では、大阪市の他、神戸市も09年度から法的措置を取っており、10年度までに発生した未納給食費754万円のうち、81万円について支払い督促を申し立てた。京都市と堺市は法的措置を取っていない。
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教育基本条例について

2012-02-27 06:16:59 | 教育
教育基本条例についてその1
2012.02.07 ( Tue ) 18:58:54 | 元おちぶれ教員 | URL | Edit



教育基本条例については、すでに多くの人々から意見が出され、反論がつきている感がありますが、私なりの観点で記してみたいと思います。ツイッターのような短文は苦手で、少し長くなりますので、何度かに分けて投稿します。内容の乏しい私の意見で貴重なネット空間を使うことの失礼をお詫びします。
 意見は主に一般高等学校を視野において述べています。ただ、私は長く一般高校で勤務した後養護学校(近年支援学校と名称変更)で7年勤務、一昨年退職した経歴のため、近年の一般高校の様子から遠ざかっており、少し的はずれの部分があるかもしれません。
 私が主張したいことの第一は、日本の学校はあまりにも多くの任務をかかえすぎているということです。ざっと考えても、1、教科指導(国語・数学・体育など)、2、人格形成指導(人権教育、自治集団づくりなど)、3、学校行事づくり(修学旅行、文化祭など)、3、部活動、4、生活指導(遅刻・欠席、服装、髪型などより飲酒・喫煙等の違背行為への対応など)、5、進路指導(就職生への企業斡旋、進学先情報など)、6、生徒間の人間関係(いじめ問題など)、その他いろいろ。とにかく、学校の教員のすべき任務は多彩です。日本にもいろいろの職場がありますが、これほど多彩な任務を同一人がしている(一部任務分担はあっるが)職場はあまりないと思います。そのため、正直なところ、「教育目標」どころの話でなく、毎日、目の前の課題に追われ、それをこなすのが精一杯といったところです。
 橋下氏は「教育は2万パーセント強制」と仰ったそうですが、教員にとって、子どもたちにいろいろと強制して教育をすすめられたら、そんな楽なことはありません。「自律的な市民」となることを期していろいろと要求をするのですが、なかにはそれに従わない子どももいて心の葛藤を感じながら厳しくしかりつけたりする毎日です。ある集会で「橋下氏は自身が高校生の時清掃当番を徹底してしなかった」という噂話が語られていましたが、事実なら、担当の先生はどんなにか歯がゆかったでしょう。逆に、橋下青年が「強制」されていたら、青年どういうふうに成長していったのでしょうか。
 「教育は強制」どころか、社会の動きによって教育現場がふりまわされている現実があります。ケイタイを例にとります。子どもたちを販売先としかみない業者によってここ十数年でケイタイはほとんど全員といってよいほど子どもに普及しました。社会の全貌もまだ十分わからず、メディアリティラシーも不十分なまま、子どもは通話・メールだけでなくさかんにウエブ利用をしています。ケイタイをめぐって学校は困りはてています。学校は「ケイタイ禁止強制」したいところです。

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大阪教育基本条例 アメリカ落ちこぼれゼロ法 イギリスサッチャー教育改革

2012-02-19 06:18:14 | 教育
http://youtu.be/kR5V2fn4Lws



大阪教育基本条例はアメリカのの落ちこぼれゼロ法、さらにはその前のサッチャー教育改革に酷似している。

アメリカの教育が落ちこぼれゼロ法でどうなったか。学力テストの結果が悪かった学校は閉鎖され、教師はクビになったが、教育の質はますます低下した。テストの正解を覚える教育では、創造力は育たない。一方、学ぶ喜びが重指される高校が力を伸ばしている。

イギリスでのサッチャー教育改革は失敗だったと認められ、既に多くの地域で国の学力テストをやめている。

アメリカの落ちこぼれゼロ法制定に携わった教育学者ラビッチ教授(ニューヨーク大学)は、現在ではあの法律は間違いだったと断言している。

ラビッチ教授に去年10月の教育基本条例案を見せる。(ちなみに見せる時点で教師の相対評価は絶対評価に変わるかも知れないことを告げている)

ラビッチ教授は条例の半分近くが教員の懲戒や免職に規定で占められていることに驚く。

①学力テストを実施、結果を公表し学校どうしを競争させる

②教員の評価を厳しくし、校長の命令に背いた場合免職もあり得る

などの教育基本条例の特徴は、落ちこぼれゼロ法と共通している。

落ちこぼれゼロ法下でのやり方、情報を集め教師を処罰するという懲罰的態度、成績があがらずダメ学校の烙印を押されたら閉校、こういうやり方では教育改革は成功しない。

「大阪は同じ轍を踏むことになるだろう。せっかく教育改革する機会があるのなら私たちが歩いてきた10年間を繰り返して欲しくない」



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日本の学校には朝鮮人も中国人もいる    一歩

2012-02-05 06:39:27 | 教育
日本の学校には朝鮮人も中国人もいる    一歩



 卒業する生徒から、「先生、これからも言葉の美しさを生徒に伝えていってください」というお礼の手紙をもらったことがあります。
 それは、在日三世の朝鮮の女子生徒からでした。
 私は彼女が朝鮮人だということを知りませんでした。在日朝鮮人であるという事実は、その手紙に書かれてあったのです。
 私は中学校で国語を教えていますので、彼女が「言葉の美しさ」に触れてくれたことはとてもうれしく感じました。しかしそれ以上に、彼女が朝鮮人であることを卒業の手紙で教えてくれたことがショックでした。
 朝鮮人であることを隠しながらこの日本に生きていて、日の丸や君が代を前に日本の学校を卒業することはどんな気持ちだったのだろうと、複雑な気持ちにさせられたものです。


 私は、中国人の生徒を受け持ったこともあります。ある日の技術家庭科の授業で起きたトラブルも忘れられません。
 その生徒はエプロンを忘れてきてしまいました。その日は調理実習の授業でした。各自がエプロンと三角巾を用意してくることになっていたのですが、エプロンを忘れてきてしまったのです。調理の授業では、エプロンなどを忘れたときのペナルティも決まっていました。五分間ほど正座をして、反省の言葉を言う、というものでした。
 その日、エプロンと三角巾を忘れたものは数人いましたが、中国人のその生徒もふくめていつものようにそのペナルティを課せられました。ところが、その日の夜、その生徒の父親からクレームの電話が入りました。罰として「正座」をさせたことが問題だというのです。中国人とはいっても、日本語は堪能でした。父親は冷静でしたが、静かな言葉の中に怒りは伝わってきました。
 後日、父親に来校を仰ぎ、技術家庭科の先生とも会っていただきました。詳しい話を聞いていただくことで理解を得ることができましたが、「正座をさせられた」ことが許せなかったのは、中国人としての憤りなのだろうと思いました。


 子どもたちに罪はありません。どこの国籍であろうと、日本にいる子どもたちを、歴史や政治の隘路に陥らせてはなりません。教室で芭蕉を学ぶことも、英語を学ぶことも大切なことです。国際社会の中の日本が、世界の果実となる子どもたちに対して、国籍によって差別するようなことはあってはなりません。


 最後に中国人の生徒が中学三年生の時に、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」について、書いた感想文を載せます。

 例えば「夏草や」の「や」の切れ字。夏草をただ想いうかべると、ただの草だけど、その夏草の草原の上をサーと風が通りすぎてゆくと、草の白く反射した部分がきれいに横一列に移っていくのは誰でも見たことはあるはずです。最初に光っていた草もすぐに光を失い、次の草、次の草へと移っていきます。そして、その間の時間はほんの一瞬の出来事です。もしかしたら(本当にもしかしたら)夏草にはこんな意味があったのかもしれません。
 地球から見たら、こんなに小さい草原(夏草)、この長い歴史から見たらこんなに小さい藤原三代の出来事、だけどそのどちらもこんなにも感動を与え、人々を圧倒させる。ただ人の世のはかなさに涙を流したのではなく、この小さな物、事がこんなにも長く、大きく人を感動させていたことに感心し、この句を詠んだのではないだろうかと思います。
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2年4組の皆さんへ 本田技研のお話    一歩

2012-01-25 06:38:30 | 教育
2年4組の皆さんへ 本田技研のお話    一歩



 本田技研のお話です。新聞やテレビのニュースに出てくる大人たちは、子供たちを失望させることばかりしています。では日本で一流、子供たちに誇れるものは何でしょう?一部の企業、早くから国際競争にさらされ鍛えられてきた企業がそれに当たるでしょう。本田技研という会社はまさにそういう企業の一つであり、日本の多くのお父さん達が尊敬している会社です。

 「本田の歴史をひもとくと、ずいぶんメチャクチャをやってきた、いろいろ失敗をしてきたが、目的の正しさにおいて成長してきた、と言える。目的こそ企業、個人の生存の要点であり、目的による連鎖を確立したい。」と本田技研の創設者本田宗一郎は述ています。企業は目的先行、はじめに目的ありきで経営を続けていきなさい、と言っているのです。では、本田という会社の目的は何なのでしょうか?
 「全世界の18%の車好き、へそ曲がりに対して廉価で機能の優れた車を、夢を提供すること。造って喜び、売って喜び、乗って喜べるような車を提供したい」これが本田宗一郎が会社を作ったときの目的です。できたばっかりの小さな会社。朝礼でミカン箱の上に上がり、2、3人の社員に向かってこう語りかけたそうです。

 わずか数人から始まった本田の会社が、現在のような企業にまで成長しできた理由の一つは、社員の一人ひとりが「目的・目標」を持つことでした。そして、「下が上に対等の立場でものを言えるシステム」を作ったことです。
 本田では上から下まで皆が「目的・目標」を毎年書いています。社長も部長も下の人も。会社としての方針もありますから、個人の目的・目標と異なる仕事を要請されることは当然あります。目的・目標が個人の目的・目標と違うと、つまらない、イヤになる。それではいけないので議論が始まる。「おかしいじゃないか」「あなたこそおかしい」。議論をやるときは対等の立場でやろう、仕事の方向性に関する議論に上司も部下もない。この葛藤が組織のエネルギー。組織がナアナアではダメ。ぶつかり合いこそエネルギー、活性化です。意志を持った分子と分子がぶつかり合う組織にしていこう。一人一人が目的を持ち、議論するところから、本田のエネルギーは生まれました。

「組織がそうであるように、そこで働く人、個人も自分の目的先行で仕事に臨むことが大切である。企業と言っても人の集団。個人がまず目的をしっかり持たないといけない。あなたは何をしたいの?あなたは本当に何をしたいの?これが原点となって、このあなたが何をしたいのが積み重なって、企業の目的と連動する。」

「大切なのは、計画+無理。無理が本当の活性化の原点になる。できることだけやっていても活性化にならない。高い目的・目標があるから当然無理が出てくる。活性化とは変化の取り込みとも言えるし、その変化は企業の命運を賭けた変化でなければならない。」

 このような本田宗一郎の言葉に、本田の哲学がうかがえます。
 本田は、42%もの市場占拠率を持っていた軽自動車からあっという間に撤退、トヨタ・日産も諦めたCVCCエンジンに経営を賭けて取り組み、他社に先駆けてオハイオに工場を作り、F1にチャレンジ、こういうことをドンドンやってきました。この意思決定に会社の全員が興奮する、とんでもないことだ、と言って興奮する。それをやるために神経がすり減る。「こういう状態をムンムンカッカというんです。」「分からないのか」「そっちこそ分からんかい」と激しくぶつかる。こういうことをやりながら、これが目的・目標に繋がっていきます。
 
 本田は、こんなふうに成長して、世界のHONDAになったのです。
 
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山田洋次とメディアリテラシー   関川宗英

2012-01-21 17:14:37 | 教育
山田洋次とメディアリテラシー   関川宗英







撮影所システムの監督 山田洋次

 山田洋次は、松竹に入社以来、松竹大船撮影所のみで仕事を続けた。同撮影所の閉鎖後は松竹京都撮影所に移る。撮影所を拠点とし、「山田組」とよばれる固定したスタッフや常連の俳優を使って映画を作ってきた。

 撮影所システム(スタジオ・システム)はアメリカのハリウッドにおいて確立される。サイレントからトーキーへの流れは、資本の増加を伴った。つまり、映画を作ることは多大な金がかかる事業を意味するようになった。映画は、近代的な企業の資本の投入を受け、巨大な映画産業として発展していくなか、撮影所システムは出来上がっていった。

 日本において撮影所システムができあがるのは、1930年代である。日本もアメリカ同様に、監督からスタッフ、俳優もスターから端役に至るまで専属であった。各映画会社には、売れっ子のスターがいて、そのスターを目当てに観客は映画館に足を運んだ。1958年には映画人口が11億人を突破するなど、映画は娯楽の殿堂として不動のものとなる。

 山田洋次は1954年に大学を卒業して松竹に補欠入社する。そして、1961年、監督デビュー作、『二階の他人』をつくる。山田洋次は、日本映画の絶頂期に映画界入りした。

 しかし、テレビの普及に伴い映画人口は激減、映画館数も1970年には半減する。1970年代になると、映画産業の斜陽によって各社は軒並み自社の撮影所を貸スタジオ化し、独立プロやテレビドラマ、CFの撮影もできるようにした。一方、専属スタッフや俳優も解雇していく。撮影所システムは崩壊していくことになる。

 21世紀の今、現存する日本の映画撮影所は、東宝スタジオ、松竹京都撮影所、東映京都撮影所、東映東京撮影所、日活の日活撮影所など数えるほどしかない。その中にあって、山田洋次は撮影所で映画を作り続け、2010年の『京都太秦物語』まで82本の映画を作る。

 「山田洋次」という作家性を語るなら、それは撮影所が映画の宝庫であった幸福な時代の延長線上に位置する。山田洋次は、日本映画の黄金期を源泉とする、撮影所システムの、最後の映画作家かも知れない。



映画の文化的価値

 山田洋次を企業内監督と批判する向きもある。退屈なメロドラマを作り続ける松竹の中にあって、「庶民をユートピア的に賛美する」映画を作り続けたと明治大学院教授四方田犬彦は切り捨てる(『日本映画史100年』四方田犬彦)。しかし、この冬の新文芸座の「山田洋次監督映画祭」は期間中ほぼ満員であり、場内は連日のように笑いに包まれた。その笑い声は、昭和へのノスタルジーなどという揶揄を払いのける。映画を巡る饒舌はつきない。

20世紀を刻んだ映画は、今も人々を楽しませる。一方、映画を娯楽とは違った視点から見る人もいる。民俗学、歴史学、ある人は比較文化学…、またこれから先、多くの人が映画を娯楽とは違った見方で見ていくだろう。

ところで、映画は20世紀の人々を「戦争」に駆り立ててきた、という事実もある。アメリカ、ドイツ、そして日本…、世界の多くの国々は映画をプロパガンダとして利用してきた。映像の持つ力は、何億という人を一度に、いとも容易く騙す。映画が権力と結びつき、20世紀の悲劇を生んできた。

今私たちは、映画やテレビなどの映像メディアを受け身ではなく、批判的に受け取り、自らの判断で情報を選択する力(メディアリテラシー)が求められている。



高度情報化社会とメディアリテラシー

映画をいかに見るか。映像メディアの氾濫する今、いかに情報を読みとっていくか。高度情報化社会といわれる今を生きる私たちには、メディアリテラシーという新しいスキルが必要不可欠である。

学習指導要領は、明確にメディアリテラシー教育をうたっていない。メディアリテラシーの考えは、「国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高める」いった表現に表れていると言えなくもない。また、インターネットの利用や携帯電話の使い方、著作権など情報モラルとしての学習を指摘することも可能だ。

しかし、現代社会に氾濫する情報メディアは、私たちの生活全般への影響にとどまらず、「情報化による生活世界の再編」という新たな現代的な課題を投げかけている。情報メディアは、社会構造、文化的内容をも規定する装置として機能している。

なぜなら、「わたしたちは、情報メディアが作り出す環境(メディア環境)がもたらす情報の網の目の中で、そして、情報メディアによって評価され方向付けられる傾向のある社会文化の中で、否応なくメディアに依存して生活している。」(『変わるメディアと生活』児島和人/橋元良明)からであり、さらに、

「メディアは、世界の出来事をありのままわたしたちに伝えるのではない。さまざまな事象を特定の視座から切り取り、一定の意味を付与してわたしたちに提示する。現在、わたしたちが構成する認知的世界は、こうしたメディアのフレームに基づいて形成され、また話題にのせるテーマ自体が、メディアによってすでに用意された議題リストに上がっているものの中から選ばれる。」(同上)とも言える。新たな情報技術が日進月歩で進化する情報メディアは、実態として社会の各領域に浸透し、社会的にも文化的にも大きな影響をもたらす装置として機能しているのである。

そのような映像メディアに囲まれた、高度情報化社会を生きている私たち。その社会の中でこれからさらに生きていく子どもたち。今、必要なスキルとは何なのか。学習指導要領のどの切り口からメディアリテラシーを実践できるか、考えていきたいと思っている。
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ノーマライゼーション    一歩

2012-01-21 15:11:44 | 教育
ノーマライゼーション    一歩





 私の勤務する中学校には、授業中に、自慰行為をしてしまう男子生徒がいます。
 彼のIQはとくに低いわけではありません。教師の言葉は理解できますが、授業にはほとんど参加せず、妄想にふけり、奇声を発したりして周囲の生徒を驚かせたりします。もちろんノートはとりません。ノートをとろうねと注意すれば、書き始めますが、1分と続きません。性的なことに対する執着が強く、小学校では授業中に性的な言葉を発して、授業を混乱させるということが頻繁にあったということです。中学ではそれはほとんどなくなりました。しかし、思い通りにならないことがあったり、強いストレスにさらされると、他の生徒がいる授業中に、自慰行為を始めます。
 この生徒は、注意欠陥多動性障害(AD/HD)、広汎性発達障害(アスペルガー)、などいくつかの診断が下されています。本来なら、特別支援学級に進み、彼のような生徒をサポートしてくれる環境で力を伸ばしていく方がいいのですが、普通学級にいます。普通学級で学習したいという本人と親の意思を尊重することが第一に求められているためです。

 ノーマライゼーションという言葉があります。障害を持った人も健常者も一緒に生きていくという社会福祉の理念です。わが国では、1993年(平成5年)にノーマライゼーションの思想に基づき障害者基本法が制定されました。学校でもこの理念に立ち、教育活動が進められています。しかし、ノーマライゼーションを実現するためには、サポートする人、施設設備の改善、法的な整備などまだまだ不十分なことが多いのが現実です。
 ノーマライゼーションの名のもと、AD/HD、アスペルガーなどの障害を持った子どもたちへの教育が現場の教師の新たな課題として突きつけられるようになったのは、10年くらい前のことです。
 今私たちは、授業中にぼーっと外を見ている子どもを頭ごなしに怒れないことがあります。その生徒がAD/HDであれば、授業中のよそ見は障害のためだからです。そんな生徒が授業に集中できるように、その授業の目標や流れを視覚化して把握させること、時間の区切りを明確にすること、そして個々の能力に応じたきめ細かな指導が求められます。
 授業中に自慰行為をしてしまうような生徒は特殊な例です。私の勤務校でも彼だけです。しかし、程度の差はともあれ、AD/HDやアスペルガーなど教師の指示を一回で理解できない、周囲の生徒とコミュニケーションがうまくとれない生徒は各クラス4,5人はいます。

 ノーマライゼイションを学校で実現するためには、まず教師を増やすことです。各授業に最低二人の教師が必要です。
 そして、イギリスの「特別な教育的ニーズコディネータ-(SENCO)」のような、特別支援のためのスタッフが必要です。障害を抱えた生徒をどのように指導していくか、その生徒にあった特別な指導計画を考えていく、特別支援のためのスタッフです。
 特別支援のスタッフは、専門的な立場から、その生徒の障害の中身を診断し、指導計画を立てます。そして、その指導計画の共通理解を担任、副担任、保護者、本人とではかりつつ、担任、副担任、教科指導の教師がチームとなって指導計画を具体化します。このような流れで、特別支援の生徒が普通学級で他の生徒と一緒に学習を進められれば、きめ細かい指導が可能になるでしょう。
 しかし、特別支援のスタッフの計画を2次、3次と修正しても、指導がうまくいくとは限りません。そうなったときは、養護学校など専門的な教育機関への転学も検討しなければなりません。それは、特別支援のスタッフと、地域のソーシャルワーカーが判断していくことになります。このスタッフは、校内の支援体制を調整するだけでなく、外部教育機関、福祉・医療機関との連携をはかっていくことも役割に含まれます。
 このように、通常の指導が困難と判断される特別支援の生徒が出た場合、その生徒の指導を特別支援のスタッフが引き受けるという制度を作る必要があります。

 教員の数を2倍に増やし、特別支援のスタッフを各学校に常駐させること。これだけでも、かなりの人とお金が必要です。
 しかし、日本の公的な教育予算は、欧米に比べてかなり低いものとなっています。OECDの調査「公財政教育支出の対GDP比(2006年)」 http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/education/20090908eag.pdf
によれば、GDP比は欧米の5%に対し、日本は3.3%にすぎません。
 
 普通学級の特別支援について長々と書きましたが、公立の小中学校が抱えている問題の一端をおわかりいただけたかと思います。しかし、学級には、知的障害や情緒障害の生徒の他に、心臓やぜんそくなどの健康面の不安をもっている生徒、リストカットしている生徒、家庭が不安定な生徒、警察のお世話になっている生徒など様々な生徒がいます。一人ひとりの抱えていることを解決していくためには、それぞれの専門分野からのサポートが必要です。

 そして、学力の問題。基礎学力の定着と、より高い次元の知的能力を向上。文系、理系のあらゆる分野に対応できる、多様で、専門的な教育を実現するために、「人」「お金」が どれくらい必要なのか。私は、特別支援のケースの2倍から、3倍は必要かと思います。




 ノーマライゼーションの導入が、「生徒たちのツケ」となっているのではないか。それは、現実として、否定できません。「~ちゃんと違うクラスにしてください。」そんな声が学校に寄せられるれることもあります。

 ノーマライゼーション導入にあたり、私たちも「人」の増加、「施設」の向上、「法」的な整備を求めました。しかし、「特殊教育」から「特別支援教育」に変わり、学校教育法や学校教育施行規則は改正されましたが、教師の人数は増えませんでした。特別支援の学級はそれまでの特別教室をつぶしてつくる、これが今全国どこの小中学校でも行われています。

 文科省は、特別支援教育推進のために、「特別支援教育コーディネーター」を置くこととしましたが、これも教員が増えたわけではありません。学校内の誰かが、それまでも仕事に加えて、「コーディネーター」になっているというのが現場の姿です。

 学校教育の改善には、人を増やしも金をかけることが必要です。こどもたちは勿論、教師にとってもゆとりのある環境が大切です。



2011年8月
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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf