竹内好
「ヨーロッパでは観念が現実と不調和(矛盾)になると(それはかならず矛盾する)、それを超えていこうとする方向で、つまり場の発展によって、調和を求める動きがおこる。そこで観念そのものが発展する。日本では、観念が現実と不調和になると(それは運動ではないから矛盾でない)、以前の原理を捨てて別の原理をさがすことからやりなおす。観念は置き去りにされ、原理は捨てられる。文学者は言葉を捨てて別の言葉をさがす。かれらが学問なり文学なりに忠実であればあるほど、ますます古いものを捨てて新しいものを取り入れるのが激しくなる」
「こうした主体性の欠如は、自己が自己自身でないことからきている。自己が自己自身でないのは、自己自身であることを放棄したからだ。つまり抵抗を放棄したからだ。出発点で放棄している」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます