chuo1976

心のたねを言の葉として

CⅩⅩⅩⅥ「闇と沈黙の国」1971を見る聴く、  『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2024/7/1

2024-07-01 06:01:21 | 映画

CⅩⅩⅩⅥ「闇と沈黙の国」1971を見る聴く、  『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2024/7/1

  盲目の人々、黒画面、過去の思い出、ジャンプ選手の舞い飛ぶ姿、彼の口は丸く開いている、呼吸、叫び、丸、繰り返し飛ぶ選手、これは誰の思い出のシーンなのだろうか、監督の、盲目の人の、過去の思い出か、施設の中、聾唖の人々、彼らの語らい、指を使い、公園のベンチに座っての三人、見えない目を見張り、丸く、丸く、目が輝き、叫んでいる、こうして、聾唖の人々の、姿、暮らし、施設の様子を捕える、新たに出会った人々との語らい、同じ聾唖の人々と、動物たちとの語らい、言葉を語れない者同士、撫でさすり、動物との語らい、彼らにとっては、人も、動物も、生き物として、同じなのではないか、確かに、話された言葉としての会話ではないが、動物との語らいの中の、二つの生き物としての会話、それもまた、二人の、いや、人と動物との語られはしないが、言葉のやり取り、聾唖の少年、目を閉じている、彼は会話がいまだできないか、いろいろに試されて、そして、ラジカセで音楽が流されたか、すると、何を感じたか、目を開け、何かを聞いている、聞こえないのに、いや、ラジカセの振動ではないか、こうして、関係が、始まる、会話の始まり、だが、果たして、この教育とは、会話の世界に、招き入れることは単純に幸せか、例え、それが、一つの権力ではあっても、覚えることによって、その権力を手にし、同時に、その権力の外へまでも抜け出る、自由への、始まり、権力の我解体、関係とは、権力を根気よく、日々壊し続けること、問い掛け続けること、そこから開かれる、不明ななにかこそ、自由ではないのか、最後の施設の中、一人の若くない、聾唖の男、取り巻きの人々から、離れて、彼もまた、目を閉じていた、今、立ちあがり、緑の草原の大きな樹木の下に、枝々の下に、そして、樹木の幹を擦る、映像の素晴らしさ、光、色彩、緑、黒、黒い木を擦り、何を感ずる、根気よく手を蠢かして、樹は答えてくれているのだろう、そして、彷徨うように、歩み、佇み、取り巻きの人々は、離れて、語らうばかり、己立ちで、そして歩き去る人、近づいてくる人、連れ戻るのだろう、教育とは、学会か、聾唖の人々の集まり、大会、演壇での語りの人、組織、そして、末端の、人々、彼らは目の丸と同時に、始まりのジャンプの人々同様に、口も丸く開かれて、だが、ラストの少年と男の人は、目を開いた、だが、口は、今だ、心の丸はどこに、未だ、これから、いや、どこにも、しかし、ここから、ここから、でも、ラストの男は樹を擦っていたではないか、何か大切な丸を見落としていないか、かくて、改めて見直して、改めてラストのシーンを見て、凄いのだ、しっかり丸が作られているのだ、一人歩きだした男が、樹の幹の許、両手を開き、頭の上の枝に振れる、その折に、両腕の作りだす丸、横に移動しながら、枝たちと戯れているのだから、両腕と枝との作りだす丸とも、更には、緑の上に積もった紅葉した葉に触れ、横に歩いて、今度は両手で紅葉した黄色い葉に触れて、ここでもまた、両手と葉の作りだす丸が、此のマルは、教育の中から、生まれたのだろうか、いや、確かにそれも有ろうが、やはり、己の思い、希望、叫びの中から、快楽の仕業では無かったか、映画が、映像が、望みが叫んでいる、樹を己を庭を時空を抱きとめている輪、丸なのだ、ジャンプの飛翔の丸、聾唖の男の抱擁の丸、丸、輪、回転運動、再生、復活、口、眼、大きく開いて、見開いて、闇と沈黙の中から、始まる、私、私たち、

 

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf