chuo1976

心のたねを言の葉として

ひらきたる花火へ開きゆく花火                            岩垣子鹿

2020-07-31 05:44:00 | 俳句

ひらきたる花火へ開きゆく花火
                           岩垣子鹿

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みつまめをギリシャの神は知らざりき         橋本夢道

2020-07-30 05:05:52 | 俳句

みつまめをギリシャの神は知らざりき         橋本夢道

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『風に吹かれて』 五木寛之  1967年

2020-07-29 05:17:26 | 文学


『風に吹かれて』 五木寛之  1967年


 昭和二十八年から三十年にかけての中央線沿線には、不思議な自由さがあったように思う。それ以前のことも、最近のことも知らないが、それは奇妙な季節だった。ある街の空気を作るのは、そこに集まる種族たちであり、また同時に、街が人間を惹きつけるのでもあるのだろう。
 当時、私たちは、中野駅北口の一画を中心に出没していた。その地帯は、私たちにとってのメコン・デルタであり、〈私の大学〉でもあった。〈私の大学〉というのは、ゴーリキイの自伝青春小説のタイトルである。モーイ・ウニヴェルシチュート。私の大学。
 当時、私たちの間では、ドストエフスキイが人気があった。ゴーリキイをかつぐのは、事大的な社会主義リアリストか、素朴なヒューマニストに偏っていたように思う。
「ゴーリキイか。そうだな、初期の短篇にはいくつか良いのがあったっけ」
 多少とも文学的なセンスのある連中は、そんなふうな言い方をすることが多かった。だから、ゴーリキイを好きだ、公言する場合、私はいつも一種の抵抗と、いなおりを必要とした。

 


対談『風に吹かれて』の時代 2001年

五木寛之×立松和平


五木 ところで、例の、山下洋輔さんとはどういう接点だったんですか?

立松 早稲田の学生運動をやっていた仲間が、山下さんのコンサートを企画したんですよ。それも、普通の場所じゃつまんないということで、ジャズに相応しい場所、ジャズによるよる問いかけ、肉体を武器化せよというスローガンをたてて、場所を設定したのがバリケードの中だったんです。それで、大隈講堂から立派なピアノを担ぎ出してコンサートをやったんです。そのとき、その場にテレビ関係者がいたんですよ。ディレクターが田原総一郎さんだったんです。

五木 当時彼は12チャンネルで非常にとんがった番組を作ってた。

立松 「ドキュメンタリー青春」っていう。

五木 あのなかにでてくるんですか。

立松 そうです。コンサートはそこにでてくるんです。だから、テレビという接点だったのか、いまとなったらよくわからないんですけど。

五木 いや、だけどそれは逆にテレビとの接点がいまと違って、ドキュメント、あの当時の12チャンネルの田原さんなんかがやっていたドキュメントはまだ学生気分なんだよ。仕事だなんて思ってないんだね。だからむしろ、それは、同じ仲間という意識でカメラ回してたんでしょう。


立松 暴力シーンが出現する予定だったんですよ。そこで、山下トリオがいて、山下洋輔さんがピアノで、森山威夫さんがドラムですね、中村誠一さんがサックスで。それで、学生が戦うという。火炎瓶が飛んできて、山下さんがそこでコンサートをするというイメージだったんですが。

五木 1968年か69年ですよね。

立松 その時、僕はいないんですよ。アルバイトしていたんで、知らないんです。非常に残念でね。それから2年ぐらいたって、もう学生運動の季節が終わりかけていて、みんな行く場所がなかったんですね。仲間達が、あるとき集まって、あのときのテープがあるっていうわけですよ。それをみんなで聴いたんです。これはいいっていうんで、山下さんに話して、レコードにして金儲けしようと。金が全然ないのに「Dancing 古事記」とうLPレコードを作っちゃったんです。

五木 その当時はレコード会社もおもしろい企画を通していたもんだね。

立松 でも、マイナーレーベルのいわゆる自費出版ですよ。

五木 僕は京都にマンションを借りて住んでた頃に、近くにYAMATOYAっていうジャズ喫茶があって、「Dancing 古事記」をもって行ってよくかけましたよ。

立松 五木さん買ってくれてたんですか?

五木 買いました(笑)。

立松 あのときは売れたんですよ。

五木 そう、評判良かったしね。だから、山下さんという人の存在が僕らの耳に届いたのはあの件以来なんですよ。

立松 あの録音がいちばん古いと思います。あれは売れたんですけど、お金が入ってこなかったんです。配るのは勢いよく配るんですけど、回収ができなくて、大変だったんですよ。でも、面白かったですね。あの貧乏の時代は。

五木 そうだなあ、考えてみると、50、60、70年代っていうのは金は確かになかったけど、ものすごく自由で、いろいろなジャンルの人間がまったくなんの拘束もなくぶつかったり、出会ったり、変わったことがたくさんあった時代だった。

立松 なんか、明日をも知れぬ我が身であったんだけど、そのときそのとき充実していましたね。

五木 喫茶店ひとつとっても、昔の風月堂みたいな喫茶店は、いまはないでしょう。いけば、あっちのほうで詩人のグループが何かやっている、こっちのほうで原稿書いているみたいな。

 

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チェレンコフ光。宇宙から降ってくる微粒子がこの水の原子核とうまく衝突すると、光が出る。

2020-07-28 05:26:09 | 宇宙

『スティルライフ』 池澤夏樹  1988年


 彼は手に持った水のグラスの中をじっと見ていた。水の中の何かを見ていたのではなく、グラスの向うを透かして見ていたのでもない。透明な水そのものを見ているようだった。
 彼は
「何を見てるの?」とぼくは聞いた。
「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って」
「何?」
チェレンコフ光。宇宙から降ってくる微粒子がこの水の原子核とうまく衝突すると、光が出る。それが見えないかと思って」
「見えることがあるの?」
「水の量が少ないからね。たぶん一万年に一度くらいの確率。それに、この店の中は明るすぎる。光っても見えないだろう」
「それを待っているの?」
「このグラスの中にはその微粒子が毎秒一兆くらい降ってきているんだけど、原子核は小さいから、なかなかヒットが出ない」
 彼の口調では真剣なのか冗談なのかわからなかった。
「水の量が千トンとか百万トンといった単位で、しかも周囲が真の暗闇だと、時々はチラッと光るのが見えるはずなんだが、ここではやっぱり無理かな」
 考えてみると、この話をした時には、ぼくは彼とまださほど親しいわけではなかった。アルバイト先で知り合って、時おり飲んで、とりとめのない話をするだけだった。どこに住んでいるのかも知らない。いつも半ば独言のような彼の話をぼんやり聞いていた。
「微粒子ね」
「ずっと遠くで星が爆発するだろう。そうすると、そこから小さな、ほとんど重さもない粒子が大量に宇宙全体に飛び出す。何千年も飛行して、いくつかが地球に落ちてくる。いくつかって言うのが、このグラスに毎秒一兆くらい」
「星か」
「そう、なるべく遠くのことを考える。星が一番遠い」
「遠くのことね」とぼくはまた繰り返した。
 自分の頭蓋の内側が真暗な空間として見え、頭上から降ってきてそこを抜けてゆく無数の微粒子がチラッと光を放って、それをぼくは単なる空虚でしかないはずのぼくの脳髄で知覚し、そのうちにぼくというものは世界そのものの大きさにまで拡大され、希釈され、ぼくは広大になった自分をはるかに高いところから見下ろしている自分に気付いた。その静けさの彼方で、一人の男が一個のグラスを手にして、中の水をじっと見つめていた。

 

f:id:shuuei:20200728052330j:plain

 

ニュートリノ
2002年 小柴昌俊 ノーベル物理学賞
1987年2月23日 大マゼラン星雲 超新星爆発

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噴水の頂の水落ちてこず                            長谷川櫂

2020-07-27 07:59:56 | 俳句

噴水の頂の水落ちてこず
                           長谷川櫂

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空缶にめんこが貯まり夏休み                            山崎祐子

2020-07-26 06:48:37 | 俳句

空缶にめんこが貯まり夏休み
                           山崎祐子

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅠ「The Pleasure Garden (1925)  快楽の園」を見る聴く、 『エイガニッキ』SASHI-ハラダ  2020/7/25

2020-07-25 04:22:58 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅠ「The Pleasure Garden (1925)  快楽の園」を見る聴く、 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/7/25

  ショーの舞台、螺旋階段を降りてくる娘たち、若い娘たち、次から次へと、そして、舞台に、正面で歌い踊る娘、客席で見詰めるスタッフ、お偉いさんたち、バックダンサーの主人公、笑みで踊る主人公、客席の者たちは、誰を、なにを見ているのか、お目当ての娘を探しているのだろうか、真に舞台を見ているのだろうか、一人の娘がやって来た、玄関先、横で見詰める男二人、娘に語りかける、いやらしい目つき、受け止めずに中に入り、演出家の紹介でやって来たと、が、受け付けて貰えずに、そこに主人公の娘が帰りがけ、話しに乗って、今日は私の部屋にと、主人公の部屋の中、大家の老夫婦、ベッド、小綺麗な部屋、やって来た娘も、夢を求めて、彼女にはフィアンセが、主人公に写真を見せて、着替えて、下着姿に成る色っぽさ、そして、階段のはじまりよりして、娘たちの足に視線が、着替える娘二人の足下にも、祈りの主人公、さて、舞台に出向いて、必至に己を売り込む上京娘、まずは見てからと、皆の前で踊り出す、舞台のバックで不安な主人公、娘が踊り出すと、見事に、元気に、皆は目を見張る、これは売れると、こうして娘は売り込みに成功、契約を勝ち取るのだ、これからは私の踊りの時だとばかり、派手な衣装、着飾って、既にスターの座に在る主人公、何処か傲慢、そして、王子に好かれて、皆は噂する、娘の方が上手だと、娘は王子を手玉に取っているのだ、娘のフィアンセが現れて、部屋には主人公が、驚きの主人公、娘の暮らしは派手に、フィアンセのことをどう思っているのだろうか、不安な主人公、何とかしなくては、でも、なにも聞き入れないままに、派手な生活は続く、全てを主人公に託してフィアンセはアフリカに仕事に、その友人の男が、主人公に近づき、言い寄る、男女の駆け引きもなにも知らない主人公は、恋してしまうのだ、いったい二人のどっちが危ういか、男を手玉に取る娘、初な主人公、こうして男の言葉に絆されて、結婚、新婚旅行、イタリアに、そこで、男の身勝手な姿を見て、驚きの主人公、こんな一面があるのかと、不安に、でも、恋が全てを忘れさせてしまう、そして、新婚旅行の後に男は娘のフィアンセの働くアフリカに、だが、そこには愛人である先住民の娘が、前々からの付き合いなのだ、二人戯れて、仕事に来ているとは思えない姿、娘は結局、王子と結婚に、そんな矢先、夫から手紙が主人公に、病に伏せっていて手紙が書けなかったと、手紙が来て嬉しさの主人公だったが、病と聞いて居ても立っても居れずに、夫の元を訪れようと、だが、金が無い、手立てが無い、そこに老夫婦、へそくりを指しだして手渡すのだ、笑みの主人公、こうしてアフリカに、アフリカの街、人々、雑踏、林の中、夫等の住まう屋敷に、訪ねると、病どころか、愛人と戯れているではないか、呆然とする主人公、夫は愛人を追いたてるのだが、絶望の主人公、夫は、苛立ち、不安から、愛人を海に誘って、沈めて殺してしまうのだ、飲んだくれの夫の、不埒、不気味、存在、姿、この普通の何気ない男、その殺気、視線、表情、こうして病とも、酔いとも、多様な現実を彷徨う夫、愛人を幻想の中に見いだし、混乱するばかり、主人公は、助けを求めて娘のフィアンセの許に、だが、まさに、彼こそ病に伏せっている、私が面倒を見なくてはと、必至に介護、命を取り留めて娘の様子を聴くのだが、なんとも答えようのない主人公、居場所の無い主人公、が、狂気の夫が、なにを思ったか、既に、現実と幻の世界が判らなくなっている、主人公に襲いかかる、危機一髪、警察官の銃弾が夫を仕留める、助けられて、こうして、主人公は、娘のフィアンセに惹かれ、彼もまた、主人公に心惹かれて、だが、単純にハッピーエンドだろうか、娘と王子だって、いつまで続くか、娘はいつまでスターで居られる、一時の事、派手な危うい関係、そして主人公、地味な清楚な娘だが、結局、愚かな男に惹かれて騙されて、今、娘のフィアンセと恋に、偶然としか、言い様もない、地味にバックダンサーで働いてきた主人公にしても、娘の様な、夢は見ていたはずだ、スターに成り上がることを、娘の様に叶っても、主人公の如く地味に暮らしていても、やはり、共に、恋の関わりは、危ういのだ、不安、そして、何処に、殺意が、一番の犠牲者は、先住民の愛人では無かったか、ロマンス、ドラマの中の狂気、殺気、姿、表情、視線、視点、カメラは、私たちは、なにを見ている、見るとは、見る事の危うさ、不気味、錯覚、狂気、ヒッチコックの始まりだ、

 

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩ「ダウンヒル DOWNHILl」を見る聴く、   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/7/24

2020-07-24 07:56:04 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩ「ダウンヒル DOWNHILl」を見る聴く、   『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/7/24

  大学、ラグビーの試合、決勝のゴール、英雄の主人公、皆に担がれて祝いの最中、学校長と優等生、その妹、宴の席に、ウェイトレスの娘、優等生と恋仲か、ウェストレスは手紙を指しだし、こっそり読む優等生、一方、子供と追いかけっこの遊び人の主人公、小綺麗にして席に、だが、既に来賓の挨拶、部屋に入って直ぐに止まり、直立不動、偶然か隣に佇むウェイトレス、並んで講話の終わりを待つばかり、こうして二人は知り合った、こんな様子を逐次見詰める校長の視線、宴の席、主人公と優等生の妹、主人公の悪戯、豆粒を飛ばしての悪戯、校長のカップの中に、不審に上を見回す校長、主人公と妹も共に、見回して、悪戯好きの主人公、優等生と主人公とウェストレス、部屋の中、ダンス、巧みな主人公、へたな優等生、三人のこれからの関係も、予想が、二人は呼ばれた、校長に、何事だ、部屋には、校長と、清楚に着飾ったウェイトレスの娘、彼女は弄ばれたと校長に訴えたのだ、だが、果たして、二人のどっちだ、二人は娘を振り返り見詰める、座っていた娘が立ち上がり、真っ直ぐ前を見詰め歩いてくる、カメラの焦点は娘の顔に、娘の視線に、合わせ、後移動のカメラ、故に、背景はぼやけて、娘のみしっかり焦点が合って、余りに美しい顔、目つき、表情、素晴らしい、だが、この娘は真っ直ぐ前を見ているのだから、切り返しの位置の青年二人の真ん中を見ていることになる、映画は、そんな切り返しのあわせなど気にしない、娘の姿、表情、ゆっくり近づく不気味さを捕らえて素晴らしい、漸くに二人の青年の側に、カメラは娘の後ろから、右左、二人をゆっくり見詰め返し振り返る、さてどっちだ、犯人は、主人公は何の後ろめたさも無いから、平然と、だが、娘の指さしたのは主人公なのだ、驚き笑うしかない主人公、だが、笑っても居られない、不審顔の優等生、校長から、諭されて、主人公は退学だ、屋敷に戻って、どうして良いか、玄関のソファに座り込む、後ろの階段とその前を歩き行く母、戻った父、直ぐにはなにも語れない、やっとの事で、語るのだが、既に居場所は無い、こうして屋敷を出て、街中の暮らし、貧しい暮らし、ウェイターか、テーブルのブルジョアカップル、二人は立ち上がり踊り出す、主人公はテーブルのシガーケースをこっそり手にして懐に、不安げな顔、カメラはその様子をワンショットで横から捉え、パンし移動すると、先ほどの二人と後から現れた踊り子たちが並んで、その列に主人公も並び踊り出す、これは舞台、セット、劇の最中の出来事だったのだ、カメラは、真横から、舞台の人々の様子を捕らえ、更には、客席までも映し出す、シガレットケースから舞台と客席までのワンシーンの素晴らしさ、だから、主人公はウェイターでは無いのだ、役者なのだ、しかも、後ろに並ぶ端役の役者、このワンシーンで、全てを撮り尽くす、しかも、パンと移動の最中に、見る事が問われる、理解することが揺るがされていくのだ、校長室で、娘の前に進み歩きの移動時もまた、見る事が、主人公が、優等生が、校長が、娘が、個々の思惑が、不安が、突き出されていく、楽屋、スター女優、先ほどのシガレットケースの女、愛人のブルジョア男、そこに主人公が、ケースを忘れていると現れた、若い貧しい役者に何処か惹かれる女優、主人公もまた美貌に絆されて、ブルジョア男はなにも顧みず、当たり前に座っている、背中と頭が映されて、手前の二人の奥に、若者は去って行く、残された二人も出かける、外は雨、二人は若者を誘い乗せる、走る車、バス停、主人公は下り去って、バスに、冴えない暮らし、バスの中、抱き合うカップル、孤独な主人公、漸く目的の場所に、だが、傘がないままに走りアパートに、階段に近づき、カメラは主人公の背中を捉える、黒い影に覆われた画面、階段に近づき、主人公の背中と判明、そして、手前に影を垂らして階段を上がっていく、この光と影の遊び、寂しい孤独な部屋、さて、そんな彼に手紙が、遺産だろうか、資産が手にされたのだ、大金だ、こうして着飾って、女優の元に、資産を知った女優の態度が変わる、現れたブルジョア旦那など、既に興味が薄れて、今や着飾った絶世の美男主人公に惹かれ、旦那を追いたて、二人は車に、その車に今度は旦那を乗せるのだ、傲慢青年、旦那の成り代わり、金の為に付き従う女、かくて、女は散財して、請求書ばかり、実は女と旦那とは初めから折り合っていた、知らずに利用された主人公、金は使い果たしたか、ホストの仕事、ブルジョアの男たち、女たち、酒場で、ブルジョアおばさんが、見詰める、彼女の前に連れ行かれる主人公、店の太った女将、若い青年を弄ぶ女、音楽、倒れる男、空気を入れるためにカーテンが開かれ、窓が開けられ、そこに見えてくるブルジョアたちの汚れた姿、前に座るおばさんの視線、表情、不気味、これまでの己が蘇る、呆然と立ち尽くし、かくて彼は船乗りに、港の貧しい小屋の中の生活、仲間たち、倒れて船、船室を中を見詰める、余りに貧しい生活、船の機関の揺れと音と動き、近代の響き、此処に何を見る、彼方のブルジョア生活、この貧しい労働者の生活、音と揺れの中、窓の外には荒れた海の波、彼は船から飛び出し街中に、路地、オーバーラップの映像、雑踏、人々、近代化された街の様子、孤独に歩く、あの娘の前移動の如くに、カメラは後退移動、主人公は前に、進む、彼の視線にはなにが見えている、近代と云う恐怖が、かくて辿りついた実家の前、執事が出迎えて、座り込む主人公、あの階段前の椅子、ソファ、そこに両親が戻り来る、なにもしてないと主人公が云ったが、理解しなかった父は謝り、探したのだと、漸くに和解して、母と共に、だか、このブルジョア暮らしから、なにが始まる、既に知って仕舞っていないか、世間を見てきて仕舞っていないか、見る事の多様性、見られることの多様性、カメラの遊び、光と影の遊び、この遊びの先に、遊戯に収まり衝かない、場が、間が、まさに、青年の人生と一緒だ、この場と間を生きるしかないのだが、

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暗算の途中風鈴鳴りにけり                            村上鞆彦

2020-07-23 06:30:17 | 俳句

暗算の途中風鈴鳴りにけり
                           村上鞆彦

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『わたしはここにとどまる』  パブロ・ネルーダ

2020-07-22 04:12:11 | 文学

『わたしはここにとどまる』  パブロ・ネルーダ

 


  わたしは望まない
  分断された祖国も 七つのナイフでめった突きにされた祖国も
  あたらしく建てられた家のうえに
  チリの光が 高くかがやいてほしい
  わたしのふるさとの地に みんな入りきれるのだから (田村さと子訳)

 

1973年9月11日 チリ軍事クーデター ピノチェト政権誕生

1973年9月24日 パブロ・ネルーダ前立腺がんのため死去

前年にノーベル文学賞を受賞した詩人パブロ・ネルーダ(チリ共産党員であった)はガンで病床にあったが、クーデターの直後に兵士が自宅に押し入り、家を荒らされた上に蔵書も破棄される狼藉に遭った。9月24日に危篤状態となって病院に向かったところ、途中の検問で救急車から引きずり出されて無理やり取り調べを受け、そのまま病院到着直後に亡くなった。(ウィキペディア)

 

アジェンデとネルーダ

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf