太陽系第三惑星星月夜 稲畑廣太郎
閣議決定が歴史を書き換える 関川宗英
1 旧統一教会問題と閣議決定
つい先日の8月15日、岸田内閣は、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)と閣僚ら政務三役の関係について「個人の政治活動に関するもので、調査を行う必要はない」とする答弁書を閣議決定した。
8月21日、毎日新聞の世論調査では、岸田内閣の支持率が36%、不支持54%となった。
旧統一教会問題は安倍晋三銃撃事件から連日メディアを賑わしており、その火消を図ろうとしたのか岸田総理は内閣人事を刷新したが、この問題の報道は加熱するばかりだ。
旧統一教会の問題を曖昧にして、疑惑に対して「調査を行う必要はない」などと閣議決定をしているようでは、不支持はますます広がっていくだろう。
2 「そもそも」閣議決定
第2次安倍政権は、閣議決定を連発した。
「集団的自衛権の行使」から、「安倍昭恵夫人は私人」など枚挙にいとまがない。
「そもそも」という言葉の意味をめぐる閣議決定もあった。
国会が紛糾した2017年の「共謀罪」法案(組織的犯罪処罰法案)の審議の折だった。
安倍首相が共謀罪の対象について「そもそも犯罪を犯すことを目的としている集団でなければならない。これが(過去の法案と)全然違う」と答弁した。
野党から「オウム真理教はそもそもは宗教法人だから対象外か」と問われた。首相は「『初めから』という理解しかないと思っているかもしれないが、辞書で念のために調べたら『そもそも』には『基本的に』という意味もある」と主張した。
しかし、どの辞書にもそんな意味は載っていないと質問主意書で指摘されると、政府は閣議決定で次のようにまとめたのである。
〈「大辞林(第三版)」には、「そもそも」について、「(物事の)最初。起こり。どだい。」等と記述され、また、この「どだい」について、「物事の基礎。もとい。基本。」等と記述されていると承知している〉
「そもそも→どだい→基本」という三段論法で、「そもそも」という言葉には「基本的に」という意味があるという日本語の新解釈が閣議決定された。
3 閣議決定が教科書の記述をすべて変えた
2022年春、社会科の全ての教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」の言葉が消えたそうだ。
95年度の申請時には教科書会社の7社すべてが『従軍慰安婦』もしくは『慰安施設』と『強制連行』を記載していた。
なぜ「従軍慰安婦」「強制連行」の言葉が消えたのか。それは閣議決定のためだという。
「従軍慰安婦」「強制連行」 教科書会社5社の訂正申請を承認
2021年9月8日 NHKニュース
慰安婦問題や太平洋戦争中の徴用についての用語に関する政府の閣議決定を受けて、文部科学省は、教科書会社5社から「従軍慰安婦」と「強制連行」という用語の削除や変更の訂正申請があり、承認したことを明らかにしました。
政府はことし4月、慰安婦問題をめぐり誤解を招くおそれがあるとして「従軍慰安婦」ではなく「慰安婦」という用語を、太平洋戦争中の「徴用」をめぐっては「強制連行」や「連行」ではなく「徴用」を用いることが適切だとする答弁書を閣議決定しています。
これを受け文部科学省は、社会科の教科書を発行する会社を対象に記述の訂正申請に関する異例の説明会を開き、例として6月末までに申請する日程を示していました。
文部科学省は、その後、教科書会社5社から合わせて29冊の記述について「従軍慰安婦」や「強制連行」という用語の削除や変更の訂正申請があり、承認したと、8日発表しました。
この中では、中学の歴史で「いわゆる従軍慰安婦」の記述が削除されたものや、高校の日本史で「強制連行」が「政府決定にもとづき配置」という記述に変更されたものもありました。
教科書の記述をめぐっては、2014年の検定基準の改正で、歴史や公民などで政府の統一的な見解がある場合はそれを取り上げることなどが盛り込まれています。
菅内閣が慰安婦問題と強制連行をめぐる答弁書を閣議決定したのは2021年4月27日だった。答弁書の文言は以下の通りである。
慰安婦~「従軍慰安婦」または「いわゆる従軍慰安婦」ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切
強制連行~朝鮮半島から内地に移入した人々の移入の経緯は様々であり、「強制連行された」もしくは「強制的に連行された」または「連行された」と一括(ひとくく)りに表現することは、適切ではない
慰安婦が、日本軍に強制的に連行された人たちなのか、それともプロの売春婦だったのか。戦時中日本にいた朝鮮人の労働者は、強制的に連行されたのか、新たな仕事を求めた移住だったのか。従来から議論されてきた問題だ。
「従軍慰安婦」「強制連行」の閣議決定は、この議論の結論ではない。議論となっていることについて、一方的な解釈に陥ることを「適切ではない」としたものだ。
閣議決定には法的な効力はない。あくまでも政府の意思を確認したものである。
その閣議決定がなぜ、教科書の記述をすべて変えることにつながったのだろうか。そのあたりの文科省と教科書会社のやり取りの一端は、以下の新聞記事から窺える。
「従軍慰安婦」「強制連行」の記述 教科書7社なぜ訂正 どう変わる
2021年10月31日 朝日新聞
文科省、異例の説明会 「用語制限に違和感」の声も
中学社会や高校の地理歴史、公民の教科書をめぐっては、第2次安倍政権時の2014年、検定基準に「政府見解がある場合はそれに基づいた記述」をすることが定められた。文科省によると、検定済みであっても、誤字・脱字や学習上の支障が生じるおそれがある記載を見つけた場合、必要な訂正をしなければならない。文科省は今年5月、教科書会社約20社を対象に説明会を開き、4月の閣議決定の内容を伝え、配布資料で「6月末まで(必要に応じ)訂正申請」と示した。
ある社の担当者は「訂正申請はこれまでは自主的に判断して出してきた。こうした説明会は初めてで、判断を見直すきっかけになったのは間違いない」と話す。別の社は「説明会をプレッシャーには感じなかった」としつつ、「社会科の教科書は様々な研究に基づいて自由に編集してきた。閣議決定で、使う用語を制限されることには違和感がある」と答えた。
閣議決定がなぜすべての教科書の記述の訂正につながったのか、その理由を私なりに整理すると、つぎの三つになる。
一つ目は、閣議決定がなされたという事実。
教科書の記述をめぐる閣議決定は二つある。
①2014年の閣議決定~「政府見解がある場合はそれに基づいた記述」をすることが検定基準に定められた
②2021年の閣議決定~「従軍慰安婦」「強制連行」という言葉は使わない
二つ目は、教科書の記述に疑義が生じた場合、訂正しなければならないという制度の問題だ。
検定済みであっても、誤字・脱字や学習上の支障が生じるおそれがある記載を見つけた場合、必要な訂正をしなければならないという制度がある。今回は、閣議決定とこの制度を結びつけた説明会が実施された。
そして三つ目は、行政職員の責務の問題だ。
閣議決定はあくまでも、政治を行うトップ、内閣の意思決定にすぎない。
閣議決定に法的な効力はない。
しかし法的効力はないとはいえ、各行政機関の職員(都道府県職員、市役所職員など)はこの意思決定に従って仕事を行う責任がある。
すべての行政機関の職員は、行政のトップである内閣に従わなければならない。
行政の末端である文科省の職員は、閣議決定に従って、その責務を果たしたということだ。
この三つがからまって、すべての教科書から「従軍慰安婦」などの言葉が消えたという事態が生まれた。
4 教科書問題の本質
教科書の訂正を文科省が直接指示したわけではないというやり方、極めて慌ただしい日程の記述訂正だったことも問題だ。
文科省の説明会は異例だったという。
しかも説明会はオンラインで5月18日に実施されたが、4月27日の閣議決定から三週間ほどしか経っていない。
さらに、例として6月末までに申請する日程が示されたというが、2021年の検定申請締め切りは同年5月中旬で、各教科書会社とも既に編集を終えていた。
そのため、「政府見解に基づいていない」や「生徒が誤解するおそれのある表現」といった検定意見を受け修正する形で、「教科書会社8社が同年9~12月、文科省に対し、既に検定に合格していた高校と中学の教科書計44点で記述の訂正申請を出し、いずれも承認された」(2022年3月30日 東京新聞)。先に引用したNHKニュースが2021年9月8日だから、その後も訂正申請が相次いだことになる。
このように閣議決定から記述訂正まで慌ただしく流れるのだが、文科省は記述の訂正を指導したわけではなく、あくまでも説明会を開催したというのが事実だ。
一方教科書会社にすれば、言葉の使用(不使用)を強制されたわけではない。これまでも様々な研究に基づいて自由に編集してきた。今回の記述変更も、教科書会社からの、自主的な判断による訂正申請である。
今回の教科書の記述変更は、教科書検定制度の骨抜きという事態を露わにした。
また、過度な自主規制は、検閲があるのと同じ結果を招いているともいえる。
国定教科書の反省から、教科書検定制度は生まれ、自主的に編集された教科書が使われてきた。その教科書が、政治的な圧力にさらされている。
日本の学校は心を育てるところではない。政府が選んだ事実や認められた思想のみが教えられる。教育の目的は、同じように考える子どもの大量生産である
これは2022年に公開されたドキュメンタリー映画『教育と愛国』(斉加尚代監督)の冒頭に流れる英語のナレーションだ。太平洋戦争末期、アメリカで作られた国策映画の一部を切り取ったものだが、日本の戦時教育の学校の様子が映し出される。
現在の日本の教育現場も、他国の人には同じように映っているのかもしれない。
ともかく、2022年春、すべての教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」の文字は消えた。
この教科書で学んだ高校生たちは、「従軍慰安婦」の議論を知る機会がなければ、ただ「慰安婦が戦争中にいた」という理解で終わってしまうのだろう。
「表現の不自由展」がなぜあのような騒ぎになったのか。
ニューヨークやベルリンになぜ慰安婦像があるのか。
その背景を知ることもなく、「パヨクが騒いでいる」といったSNS上の言葉に触れるだけの毎日ならば、高校生の歴史認識はその程度で刻まれていくのだろう。
二十年後の日本には、「慰安婦」の議論などなくなっているのかもしれない。
歴史修正主義者たちの戦略が、また一つ進められたとほくそ笑む声が聞こえてくるようだ。
閣議決定には、法的効力はない。
しかし、その影響力はやはり大きい。
「そもそも」の言葉の意味なんか・・・と笑っていられない。
閣議決定は、歴史を変える公器にもなりうるということだ。
それだけの重みがある。
安倍、菅、岸田という十年にもなる政権の、日本会議の動きと連動した右傾化の流れはしっかり検証しなければならない。