天皇の戦争責任 マッカーサーの報告 関川宗英
「ウクライナ政府、日本に外交ルートで謝罪。昭和天皇の写真を「ファシズム」と… 外務省が動画に削除要請」(2022/4/25 BuzzFeed Japan)というニュースが報じられた。
ロシアのウクライナ侵攻から2か月余り、思わぬところから日本の戦後処理が特殊なものであることが露わとなった恰好だ。
以下、そのニュース記事を引用しておく。
ウクライナ政府、日本に外交ルートで謝罪。昭和天皇の写真を「ファシズム」と… 外務省が動画に削除要請
外務省としてもツイートの問題は独自に把握しており、申し入れは日本時間の4月24日に実施。同日中に外交ルートで謝罪があり、すぐに削除対応をされたという。
公開 2022年4月25日
by Kota Hatachi 籏智 広太 BuzzFeed News Reporter, Japan
ウクライナのTwitter公式アカウントが4月24日夜(日本時間)、日本に対して「心からお詫び」をした。「友好的な日本の人々を怒らせるつもりはなかった」などとしている。
ロシアの侵略に関する動画で過去の「ファシズム」と「ナチズム」について触れる際、昭和天皇の写真が用いられていたことから、一部のユーザーを中心に批判が集まり、国会議員らも反発していた。
外務省欧州局も大使館経由で抗議と削除を申し入れたという。ウクライナ政府からは、外交ルートを通じて謝罪があったとしている。
ウクライナの公式アカウントは200万人以上のフォロワーを持つ。もともとの動画は4月1日に公開されているもので、ロシアやプーチン政権をファシズムやナチズムになぞらえて批判するメッセージが込められていた。
その中で用いられていたのが、昭和天皇の写真だった。「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」として、第二次世界大戦中の敗戦国である日本、ドイツ、イタリアに言及。ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ形となっていた。
これに対し、ツイッター上では一部ユーザーから批判が噴出。自民党外交部会長の佐藤正久・参議院議員ら、国会議員からも抗議の声があがっていた。こうした動きとあわせ、セルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使もTwitter上で、対応を求めていた。
ウクライナの公式アカウントは4月24日夜、「間違いを犯したことを心よりお詫び申し上げます。日本の友好的な人々を怒らせるつもりはありませんでした」などと説明。昭和天皇の写真がなくなった動画が再公開されている。
外務省欧州局中・東欧課の担当者はBuzzFeed Newsの取材に対し、「写真が不適切ということでウクライナの大使館から同国の大統領府に対して、ただちに削除するよう申し入れを行いました」と経緯を説明。
同課としてもツイートの問題は独自に把握しており、申し入れは日本時間の4月24日に実施。同日中に外交ルートで謝罪があり、すぐに削除対応をされたという。
どの点が「不適切」であると伝えたかの詳細などについては、「外交上の内容となるため、明らかにできない」としている。
削除の翌朝、在日ウクライナ大使館は「当館は把握しておらず対応が遅くなりましたがまずは削除となりました。ご指摘の皆様に感謝申し上げますと共にご不快に思われた日本の皆様にまずは深くお詫び申し上げます」とツイート。
さらに「アカウントは、現在はウクライナ政府と関係がありません」ともしているが、Twitterの当該アカウント(@Ukraine)には、ウクライナ政府と関係があることを示す「政府および国家当局」に関係するアカウントであることを示すラベルがつけられている。
この点について、外務省の担当者は、当該アカウントはウクライナ政府関連のものであるとの認識を改めて示した。大使館側の発信の背景などは把握していないという。
(https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/ukrine-emperor-photo)
ファシズム、ナチズムと批判されたドイツ、イタリアからはこのような抗議はないという。
日独伊三国軍事同盟が世界の中で、歴史的にどのように認識されているのか、その常識を踏まえていない今の日本が露呈された形だ。
歴史的事実を踏まえず、歴史修正主義者たちの言説がメディアに乗る日本の異常を、私たちは改めて目の当たりにしている。
天皇は国家の元首だった。
大日本帝国憲法の第一条には、「主権については万世一系の天皇が大日本帝国を統治する」とある。
天皇臨席の御前会議で、戦争の開戦、講和など国家の重大事件の決定がなされた。三国軍事同盟を決定したのも御前会議だ。
天皇は通例、質問のほかは発言しないものとされているが、『あの戦争と日本人』(半藤一利)は、1941年(昭和16)9月5日の御前会議を次のように伝えている。
さらに、近衛文麿『失はれし政治』(朝日新聞社)、『杉山メモ』(原書房)などの資料が伝える九月五日、この日の天皇と杉山元参謀総長との一問一答はあまりにも有名です。
天皇「アメリカと戦争となったらならば、陸軍としては、そのくらいの期間で片づける確信があるのか」
杉山「南洋方面だけは三ヵ月くらいで片づけるつもりであります」
天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時は、事変は一ヵ月くらいで片付くと申したが、四カ年の長きにわたっても片づかんではないか」
杉山「支那は奥地が広いものですから」
天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら太平洋はもっと広いではないか。いかなる確信があって三ヵ月と申すのか」
書き写していても情けなくなる杉山の出まかせの答弁。天皇の厳しい叱責に、杉山は「また天ちゃんに叱られちゃったよ」とペロリと舌をだした話が伝えられているくらいです。
(『あの戦争と日本人』 半藤一利)
1945年(昭和20)8月14日の御前会議では、ポツダム宣言受諾を天皇の「聖断」により最終的に決定したとされている。
御前会議は、大本営政府連絡会議、最高戦争指導会議の決定議案を追認するにすぎなかったというが、天皇臨席の場で戦争の開戦や講和など国家の重要事項を決定していた意味は大きい。
ヒットラー、ムッソリーニ、そしてヒロヒト。第2次世界大戦の惨禍を、連合国側は同盟国側の戦争責任者を軸に総括している。
しかし天皇ヒロヒトの戦争責任は、戦後日本の占領政策もからんで、東京裁判で扱われることはなかった。
「ヒロヒトの国際法違反の証拠を集めよ」という司令をアメリカ政府は、連合国軍最高司令官マッカーサーに出している。昭和20年暮れのことだ。これを受けてマッカーサーは、昭和21年1月25日、次のように回答している。
司令を受けて以来、天皇の犯罪行為について秘密裏に可能なあらゆる調査をした。過去10年間日本の政治決定に天皇が参加したという特別かつ明白な証拠は発見されなかった。可能な限り完全な調査から、私は終戦までの天皇の告示関連行為はほとんど大臣、および天皇側近者たちの進言に機械的に応じてなされたものであったとの印象を受けた。もし天皇を戦犯として裁くなら占領計画の重要な変更が必要となり、そのための準備が必要となる。天皇告発は日本人に大きな影響を与え、その影響は計りしれないものがある。天皇は日本国民統合の象徴であり、彼を破壊すれば日本国は瓦解するであろう。
(『戦後占領史』竹前栄治)
昭和20年10月、11月の頃、アメリカ世論は「天皇を戦犯裁判にかけるべし」という声が圧倒的だったという。連合国内部でも、オーストラリア、中国、ソ連、フィリッピンなどにも天皇戦犯論は強まっていたそうだ。
しかしアメリカ政府は、天皇を東京裁判にかけることの得失を、現実的な目で、冷静に計算していた。アメリカの国務省、陸軍省、海軍省の三省からなる三省調整委員会は、天皇を戦犯裁判にかけるよりむしろ占領目的に役立つ限り天皇を利用する方が望ましい、という方向を昭和20年末には打ち出していた。(『昭和史 七つの謎』 保阪正康)
東京裁判は、連合国の側に人類史にふさわしい真理があることを、世界に示し、公式な歴史に残す大変重要なステージだった。
東京裁判は、日本陸軍を中心とした軍国主義者が、共同謀議により、侵略的な政策を進めたというストーリーの元、進められた。そこには、天皇の戦争責任は問わない、大本営の責任は問わない、という論理が沈潜していた。
日本は、太平洋戦争をきちんと総括できていない。
天皇の戦争責任を含め、侵略の歴史を曖昧なままに過してきた。
そのつけが、「ウクライナ政府、日本に外交ルートで謝罪。昭和天皇の写真を「ファシズム」と… 外務省が動画に削除要請」などという、日本の恥をさらすような今回の事態を引き起こしたといえる。
2022年春、社会科の全ての教科書から「従軍慰安婦」「強制連行」の言葉が消えたそうだ。
95年度の申請時には教科書会社の7社すべてが『従軍慰安婦』もしくは『慰安施設』と『強制連行』を記載していた。
歴史修正主義者の声がますます大きくなり、歴史をゆがめている日本だが、アジアの人々は日本の侵略の歴史を忘れていない。
1940年(昭和15)8月、第二次近衛文麿内閣は基本国策要綱のなかで、大東亜新秩序の建設をうたった。「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく)の大精神に基」づくと述べた。
「八紘一宇」のスローガンのもと、大東亜共栄圏、アジアの建設が叫ばれたが、それは日本のアジア侵略を正当化するものだった。
日本の侵略戦争によるアジアの犠牲者は2000万人以上にもなるという。
「八紘一宇」のもともとの意味が人々を救済する理想郷をうたうものだったとしても、侵略の歴史的な事実は覆らない。
アジアの人々は、日本が皇国史観のもと、侵略を進めたことを忘れていない。
「墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠すことはできない。」と魯迅は書いている。
歴史に真摯に向き合い、歴史から謙虚に学ぶことを忘れてはいけない。