秋葉原事件とガンディー 中島岳志
ダルマ~自分の果たすべき役割
トポス~ここに生きていて意味があると感じられるような場所
私はおそらく今の日本社会はこの「ダルマとトポス」を欠いてしまった世界であり、そのことが多くの問題を生み出していると考えています。
以前、『秋葉原事件』(2011)という本の中で書きましたが、今日本で急速に拡大している非正規雇用、特に派遣労働というのは、まさに「自分がここにいることの意味」を喪失した労働形態です。「あなたでなくても、同じ仕事をこなしてくれれば誰でもいい」と、人間を駒として扱うわけですから。そうした仕事に、しかもネットカフェから通うような生活は、「自分は何のために生きているのか」という意味づけを失わせます。
よく「俺たちの時代は貧乏で大変だった」という話をされる年配の方がいます。もちろん、それはそれで大変だったのでしょうが、そこにはある意味での「豊かさ」があったように思います。いくら貧乏な生活をしていても、仕事が大変でも「頑張れば田舎の家族を食べさせられる」「もっと楽な生活をできる」といった、「苦労する意味」「生きている意味」が明確に見えていたはずです。
今の若者たちが生きる世界は、そうした「意味」を見いだせない世界です。それはつまり、自分の「役割」や「生きる場所」--ダルマやトポスを欠いてしまっている世界だといえます。ガンディーなら、「それでは人間は生きられない」というでしょう。
ガンディーは、人間は誰でもダルマの中に生きなければいけない、その自覚を持つべきだと述べました。
各人がそれぞれ自分の光にしたがって真理を求めるのは、少しも間違ったことではあり ません。事実、そうすることが各人の義務(つとめ)です。
(『獄中からの手紙』 p14)
「100分de名著『獄中からの手紙』ガンディー」 中島岳志
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