右ブーツ左ブーツにもたれをり
辻 桃子
「キンセン」 谷川俊太郎
「キンセンに触れたのよ」
とおばあちゃんは繰り返す
「キンセンて何よ?」と私は訊く
おばあちゃんは答えない
じゃなくて答えられない ぼけてるから
じゃなくて認知症だから
辞書を引いてみた 金銭じゃなくて琴線だった
こころの琴が鳴ったんだ 共鳴したんだ
いつ? どこで? 何が 誰が触れたの?
おばあちゃんは夢見るようにほほえむだけ
ひとりでご飯が食べられなくなっても
ここがどこだかわからなくなっても
自分の名前を忘れてしまっても
おばあちゃんの心は健在
私には見えないところで
いろんな人たちに会っている
きれいな景色を見ている
思い出の中の音楽を聴いている
「夕焼け」
谷川俊太郎
ときどき昔書いた詩を読み返してみることがある
どんな気持ちで書いたのかなんて教科書みたいなことは考えない
詩を書くときは詩を書きたいという気持ちしかないからだ
たとえぼくは悲しいと書いてあっても
そのときぼくが悲しかったわけじゃないのをぼくは知ってる
自分の詩を批評的に読むのはむずかしい
忘れかけていたってそれは他人のものじゃない
かと言ってまったく自分のものでもない
どう責任をとればいいのか宙ぶらりんの妙な気持ちだ
知らず知らずのうちに自分の詩に感動してることがある
詩は人にひそむ抒情を煽る
ほとんど厚顔無恥と言っていいほどに
「文学にとって最も重要な本来の目的のひとつは
道徳的な問題を提起することだ」とソール・ベローは言ってるそうだが
詩が無意識に目指す真理は小説とちがって
連続した時間よりも瞬間に属しているんじゃないか
だが自分の詩を読み返しながら思うことがある
こんなふうに書いちゃいけないと
一日は夕焼けだけで成り立っているんじゃないから
その前で立ちつくすだけでは生きていけないのだから
それがどんなに美しかろうとも
詩集『世間知ラズ』(一九九三)