昨日の夜から日付をまたいで、新聞記者の方と話をしました。
テーマは、「2020年パラリンピックについて」
その中で話しながら、整理されてきたこと。
それは・・・・・・・。
「先天性の幼児にスポーツ用の義肢装具の支給を認めてください。」ということ。
なんというか・・・・・・。
先天性の義肢装具使用者にとって、幼児期にスポーツ用の義足、具体的には水泳用であったり走るようであったりする義肢装具の存在は、正常な幼児の成長発達に必要不可欠なものであって。
決して余分なものでも、日常生活に不要なものでもない。
そうしたことに気がつきました。
義肢装具の幼児小児の支給要件の考え方の根底には、「正常な成長発達に必要なものであれば、支給する」という考え方があるはずで、その発想からすれば、幼児期にそれらを支給することはなんら問題がないはず。
それなのに、そうした例がないのは、そうしたことが先天性の幼児にスポーツ用の義肢装具が及ぼす効果があるのかどうかがわかりにくいからではないでしょうか。
そこで提案。
たとえば、東大病院、たとえば先天性四肢障害児総合療育センター等で試行的に試してみるのです。そして効果が実証されたら、それを持って義肢装具の支給の運用を変えてください。
それがいちばんの近道の気がします。
そして、それこそが実は未来のパラリンピアン候補を、本人の意思で増やしていく一つの大きな施策につながっていく。そう思います。
幼児期に遊びながら体得したもの。動きにともなって発達する骨や筋肉。
それらは先天性欠損児にとっては、ある程度の道具がないと体得すら出来ない動きの先にあるものです。
それを体得するための道具の支給は、正常な成長発達に必要であると思います。
どうか、この声が届きますように。
ひらめきを下さった、記者の方。どうもありがとうございます。
色んなところでこの発想、発信して行こうと思います。
どうもありがとうございました。
テーマは、「2020年パラリンピックについて」
その中で話しながら、整理されてきたこと。
それは・・・・・・・。
「先天性の幼児にスポーツ用の義肢装具の支給を認めてください。」ということ。
なんというか・・・・・・。
先天性の義肢装具使用者にとって、幼児期にスポーツ用の義足、具体的には水泳用であったり走るようであったりする義肢装具の存在は、正常な幼児の成長発達に必要不可欠なものであって。
決して余分なものでも、日常生活に不要なものでもない。
そうしたことに気がつきました。
義肢装具の幼児小児の支給要件の考え方の根底には、「正常な成長発達に必要なものであれば、支給する」という考え方があるはずで、その発想からすれば、幼児期にそれらを支給することはなんら問題がないはず。
それなのに、そうした例がないのは、そうしたことが先天性の幼児にスポーツ用の義肢装具が及ぼす効果があるのかどうかがわかりにくいからではないでしょうか。
そこで提案。
たとえば、東大病院、たとえば先天性四肢障害児総合療育センター等で試行的に試してみるのです。そして効果が実証されたら、それを持って義肢装具の支給の運用を変えてください。
それがいちばんの近道の気がします。
そして、それこそが実は未来のパラリンピアン候補を、本人の意思で増やしていく一つの大きな施策につながっていく。そう思います。
幼児期に遊びながら体得したもの。動きにともなって発達する骨や筋肉。
それらは先天性欠損児にとっては、ある程度の道具がないと体得すら出来ない動きの先にあるものです。
それを体得するための道具の支給は、正常な成長発達に必要であると思います。
どうか、この声が届きますように。
ひらめきを下さった、記者の方。どうもありがとうございます。
色んなところでこの発想、発信して行こうと思います。
どうもありがとうございました。