Chun日記~両足脛骨欠損症の娘をもった父親の育児&子育て奮闘日記

「Chunの部屋」もよろしく。メアドもそちらにありますよ。http://aka.gmobb.jp/chuns_room/

育児休暇

2004-06-30 12:57:16 | 産まれてから受容まで
 今日、妻が職場に育児休暇を1年間申請する決心をしました。明日までと言われたのでとりあえずなんですが、良かったなあと思っています。

 木曜日には脛骨列欠損の小児整形の先生の診断書が出るので、障害者手帳の申請をする準備に入って、金曜日には妻を保健婦さんが訪問に来ます。

 保健所には以前内緒で話をしに行っていて、事情を3時間にわたりきいて頂いた後、なんとかして訪問した際に仲良くなって相談できる雰囲気を作って欲しいことや、さりげなく精神的な相談に乗れる人をサポートに付けてもらいカウンセリングして欲しいことを伝えて直接お願いしてあります。
 うまく妻の心の支えになってくれると良いんですが・・・やはり第3者が妻の話を聞いてあげるしか、今の状況を打開する方法はないので・・・・

 なんとかこの状況を抜け出して、笑顔になれるように頑張りたいものです。
 看護士さんというのはしかし・・・・一生懸命にやると・・・・本当に大変な仕事ですね。
 尊敬しますし・・・一生懸命にやっていただいている看護士さんには感謝の言葉しかありません。
 逆に見ていてこちらが心配になるくらい一生懸命にやって下さいます。まあ、向こうに言わせると僕の方が心配だそうですが・・・・ 

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自分のこと

2004-06-26 23:52:20 | 産まれてから受容まで
私自身の話を少し聞いてください。

私は小学校の時に体が小さくて・・・・学校一小さくて・・・・毎日泣いていました。
中学3年生で身長が147センチしかなくて、病院に行ってなんとか背が伸びないものかと頼んだものです。

高校で167センチまで延びたから今はそうでもありませんが・・・・
中学生の時には・・・・自分は人並みに男として大丈夫なんだろうかとかなり悩みました。
その時に力になってくれたのも母だったような気がします。

大学の時には人間関係で精神病になりました。
正確に言うと大学院1年の時ですね。

周りの人から孤立しながらも教授(まあ、高校で言うと担任みたいな人です。)の期待に応えようとしすぎるあまり・・・・強迫神経症という病気になりました。
簡単に言うと、自分で自分を脅迫したように追い込んで、誰かのために何かの役に自分がたっていないといけないと思いこむ病気で・・・・酷くなると、自分の存在価値を見失い、死にたくなったりめまいがして立ち上がれなくなったりします。

その後、大学院を中退して・・・・心理学を学び、自分のその病気を作り出したのが自分の父であったことに思い至ったとき・・・・・その病気は私の中で制御できるようになりました。

精神病というのは誰でもなりうる病気であり、原因を自分自身で完全に把握し納得できれば直っていくものです・・・・・なんて・・・・どうでもいいか。
その後、色々あって自分は温かい家庭を作りたいと思い、安定した仕事で大学の専門分野を生かして今は公務員をやっています。

現状は妻も共働きの公務員をしていて、妻は私と違ってもっと今の仕事に思い入れが強いみたいなので・・・・なんとか仕事と子育ての両立をさせてあげたいし・・・・

しかし、たぶん小さい頃のいろいろなケアや毎日の送り迎え等々、誰か一人は付きっきりで娘についていてあげなくては・・・・という思いもあり、いろんな感情で押しつぶされそうな感じです。

まあ、30歳近くにもなって何を悩んでいるんだ・・・・と思われるかもしれませんが・・・・
やはり、「ずーっと頑張ってきてつかみ取った一生の仕事を女の人がやめる」ということは・・・・・辛いことなんだろうなあとも思うので・・・

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当事者の気持ち

2004-06-22 19:48:51 | 産まれてから受容まで
私は昔、大学で障害児教育研究会というサークルに所属していて、3年間障害を持った方々とのふれあいをとおしてお互いに高め合おうという活動や、学童保育の子供達などど遊んだり、毎年1回子供まつりというイベントを企画したりしていました。

しかし・・・・人間不思議なものですね。自分の子が足が不自由であると聞いた瞬間は、腰が抜けそうになりました。大学の時にはもっと大変な人たちとたくさんたくさんふれあってきて、自分の心にはバリアはないと思っていたからショックでした。
やはり、実際に当事者にならないと本当の意味ではわからないことってあるんだろうなあとしみじみ思いました。

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闘いの始まり

2004-06-20 21:58:40 | 産まれてから受容まで
子供が未熟児でNICUに入っており、先日「両足の脛骨列欠損症」という診断を受けました。
「話にしか聞いたことはない。」
「おそらく機能を優先するのであれば、両足とも膝の下で足を切断した方がいい」
「どちらにしても自力で歩くことは難しい。」

との小児整形外科医の診断です。
今思うと・・・・・・説明不足であり、義足に関する知識不足も甚だしい。
怒りさえ覚えます。

このときの医師の診断の宣告と説明はあまりに不十分なものでした。
このときに、知識と経験のある良識ある医師から説明を受けられていたら・・・・
そうおもわずにはいられません。

この医師のせいで・・・・・・
ショックで、妻、祖母・祖父が現実を受け入れられずにいました。

私は・・・・・・この言葉を聞いた日から病名をネットで検索する毎日が始まりました。
孤独な戦いの始まりです。

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妻が辛そうです。

2004-06-20 19:45:28 | 産まれてから受容まで
妻が6月4日に帝王切開で出産して、産婦人科を6月14日に退院したんですが・・・・

その後・・・陰部の左側くらいのところの粘膜に出来ていたできものが化膿して膿んできています。
先週の金曜日に地元の皮膚科にかかってステロイド入りの塗りクスリを処方してもらったらしいんですが、全然良くなりません。
また明日同じ先生にかかるらしいんですが、本人は色々とても不安がっています。

症状は、両道すぐ左側から縦5cm*横3cmくらいが腫れていること。膿んでいて膿が出てくること。産後でおろが出るのでナプキンをしており、歩くと擦れて痛く、膿が出ること。
他には・・・・トイレに行くたびにぬれてしまうのでものすごくしみて、そのたび出来るだけ乾燥させるようにはしていること。

とにかく、7週間寝たきりで体力も足の筋力も落ちていて、なおかつ色々あって精神的にノイローゼ気味で、その上なのでかなり悲惨です。

あとは・・・・出産した病院の医者と喧嘩分かれしてきてしまったような状態で・・・産科にも頼れなくなってしまっています。

僕も少し狂いそう・・・・またはなせたら話しますが・・・・・かなり人生の正念場を迎えております。 うう・・・・ごめんなさい。愚痴です。

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出産・・・そして・・・

2004-06-05 11:58:33 | 産まれてから受容まで
妻が昨日16:13 1100g台 で女の子を出産しました。

で・・・・・私だけ呼ばれて・・・・言われたんですが・・・・
娘が・・・・先天性内反足・・・の疑いと、右足足指欠損(多分親指)と右足人差し指先端部分の合指症なんですが・・・
日赤病院の小児科の先生によると、小児整形の先生は数が少なくて日赤にも木曜日にしか来なくて、その時までは診断できないとのことでした。

色々調べたけど、小児整形の専門病院はあんまり中部地方には見あたらない感じがするんだけど・・・・

どこか良い先生と病院を知っていたら教えてください。

とりあえず、いまはレントゲンや検査結果や写真を持って僕が見せに行くしかできませんが・・・・・
とにかく早く専門医の所見が欲しいです。内反足なのかどうかの所見も早く欲しくて・・・・妻が辛いと思うので・・・・

うーむ、とりあえず今は命が助かってくれるのを祈るばかりです。

とりあえず、産まれてくれて良かったです。
もう少し妻と心から笑えるようになるまで時間がかかるかもしれませんね。


今日は妻が赤ちゃんの病状説明を受けます。
妻はまだ、出産中のダメージが大きく独りで据わることすら出来ない状態。精神的にもぼろぼろです。

まずは2人で静かに会ってから説明してもらいようにお願いし。とにかく命が助かるように2人で祈れるように。

初めはショックだろうから、私もそのあとずっと一緒にいられるように。休みをたくさんとって。
昨日徹夜で調べた資料を持って希望を持たせられるように・・・
なんとか妻が子供を受け入れられるように頑張ってサポートします。


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産まれました

2004-06-05 11:55:46 | 産まれるまで
妻が昨日16:13 11〇〇g で女の子を出産しました。

29週で、少しだけ泣けてすぐにNICUに搬送されました。
昨日の夜10時の状況としては、所見は以下の通りです。


1分後・5分後アプガースコア・・・そんなに悪くなかったよう。
呼吸窮迫症候群および、新生児遷移性肺高血圧症、動脈管開存症
生後1時間酸素濃度60%、その後酸素濃度100%になったため、サーファクタント注入するが改善されず、一酸化窒素投入。
投入後3時間で65%まで酸素濃度低下。
今後時期を見て動脈管を収縮させるようにインタシンを投与する予定のよう。

低血症を一次発症。
生後1時間ほどでFBS 60→29 のため、点滴糖濃度増加

暴れると呼吸器系に負担がかかるため、ドリミカム投与して寝ていたそうです。


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29週

2004-06-02 02:05:33 | 産まれるまで
妻ですが、今日で29週目に入りました。1080gくらいだそうです。

頚管長の縮小傾向無し、感染兆候無し、子宮口の拡大兆候無し。
羊水量は余り溜まってくる前に出てしまうので、十分にはほど遠いよう。でも感染予防で1日1.5lくらいは流しています。

張りはたまに来ますが、ウテメリン最大量+硫酸マグネシウム15ml(2週間経過)を投与していて、たまにインテバン坐剤を使用して抑えています。
とりあえずあと1週間はこんな感じで行くそうです。

来週の火曜日に硫酸マグネシウムの処方をやめる方向で先生はお話をされていて、ただ一方では硫酸マグネシウムは5週間までは使えるし以前までは週数制限はなく使っていたと言う話を前に聞いているので・・・・・その時点でもう少し続けることをお願いしたものか悩みます。

集中治療室生活も1ヶ月半を越えました。看護婦さんの中にも3人くらい話しやすい人が出来てきて、その人達は当番じゃなくても気にして会いに来てくれたりしていて、本当に感謝感謝です。ほんとうに男ってこういうときなんにも力になれないなあとおもい、看護婦さんや先生に対して誠実に一生懸命に接するように、つとめています。

ここまでくると、欲が出てしまうんですが、妻はかなり精神的にも辛いようです。
一生懸命気分転換していますが、なかなか大変ですね。

うーむ、帝王切開の準備も始まりました。
そういえば、ヘルペスかなあと重うできものが出来て心配したのですが、どうやらただの吹き出物だったようで一安心です。


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