エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

白鵬のボクシング

2019年11月22日 | 雑感

 2019年11月22日

 

大相撲九州場所、昨日13日目、いやな勝負を見た。結びの番、白鵬・遠藤戦だ。

白鵬は、立会い一発左から遠藤の顔を張り、続いてかち上げ、そして右から張り手、最後は左手で

遠藤の頭を上からはたいて土俵に這わす。

あれは相撲でなくてボクシングかただの暴力行為だ。横綱の相撲ではない。

遠藤はしばらくうつむいていたが、鼻血をだしていた。かなりダメージをうけただろう。

 

白鵬の常套戦法がかちあげと張り手だが、下位の力士にダメージを与えるような暴力をふるう、こんな

下品な相撲をとる横綱はいままでいなかった。

 

張り手が悪いというのではない。 昔、若島津と小錦が殴り合いのような張り手の応酬で、若島津が

血だらけになって土俵下に転落したことがあったが、これはもののはずで、双方がかっとなっての

結果だ。面白かった。

 

下位力士がかちあげ、張り手を白鵬にやらないのは、横綱に対して失礼と思うからだろう。

 

それにしても、やることが下品だ。立会いで相手が待ったをすると、どんと肩をつつく。

万歳三唱を観客に強要する。

 

私は白鵬は嫌いだ。彼はわたしの中では横綱でなく、力士でもない。私は決してモンゴル力士を

嫌っているのではない。

日馬富士は好きだったし、照ノ富士のファンだ。

 


合理化講習通知

2019年02月02日 | 雑感

1月11日に「認知機能検査」を受けた。そして、後日、“高齢者講習(合理化講習)通知書”、が送られてきて、一昨日、講習と、視力能力、実技の計2時間を費やした。

1月11日でのテストで、認知症でないと判断されたので、今回の講習となった、それは納得できる。

 

気になったのは、合理化講習会という(高齢者云々よりも、葉書の中の表現でも、この文句が幅をきかせている)

 

“合理化講習”、の説明について。

「加齢に伴って生じる身体機能の低下が自動車などの運転に影響を及ぼす可能性があることを理解していただくためのものであって・・・・」と。

なぜ、“合理化”、という文句が、必要なのか、まったくわからない。

 

歳をとって、怒りっぽくなっている私は、「この文句はだれが考え出したのか」と怒る。これでは我々を合理化するという意味としかとれない。リストラが“再建”、という本来の意味を狂わされて“首切り”、となっているのと同じじゃないか。

「高齢者第二講習会」でいいのではないか、私みたいな不満のかたまりのような老人をわざわざ怒らせる必要はない。

 

まあ、毎日ほど近場で運転している割には、3年前とやや落ちる運転技術でした。というのは、むこうの車へのなじみが、3年前と違う。同乗者(被験者)は3人。

違和感を感じたのはアクセルとブレーキの切り替え。私の車は乗り古したホンダのfit。経済的理由プラス車が好きでない私が乗っていたが、(本当に亡くなった母の後始末その他で、近距離乗り回した)乗りやすい。

 

今回感じたのは、アクセルとブレーキの間の感覚、fitは小さいから、かかとを支点にして常に、不必要でも、アクセル・ブレーキを踊るように交互にゆらゆらさせる。家内はそれを嫌がるが、私にとっては、素早い感覚の保持のためだ。

しかし、3年前はなんでもなかった教習所の車のアクセル・ブレーキの操作が、一旦足を上げないとできないのではと感じだした。多分そうではないだろうが。

多分トヨタの普通の車だろうが、私の乗りなれた車と違うだけで、“ああ、なるほど、ブレーキとアクセルを間違えて・・・”、とやる事故について、理解できたのが収穫だった。

昔は、なんでも運転できた。

あと、3年で返上したいと思っている。


紅葉散る東福寺塔頭

2018年12月01日 | 雑感

〇〇様

 

今日は、義母の誕生日、そして明日は義父の祥月命日なので墓参りをしてきました。

場所は東福寺の塔頭・光明院で、私の父、母の墓もここにありますから、30年以上も経つと、なにか我々だけが両方の親族の墓守のようになってしまいました。

             


光明院、

昔は有名ではなかったのですが、このごろ、その苔むした石庭と、紅葉、桜で、今はそこそこの数の観光客が来ます。

本堂からの写真を添付します。

本堂の中まで紅葉の落ち葉が舞い落ちておりました。それを見ての一首、ご披露いたします。

 

“散る紅葉、残る紅葉も、散る紅葉”

                 悪寛和尚

 

〇〇拝

 

 


ど素人集団の大相撲協会

2018年11月25日 | 雑感

2018年11月25日

あまりにもおもしろくなくなった大相撲、今場所は見なかった。今日は千秋楽だ。新鋭貴景勝が面白いというので今日だけ見た。

 

貴景勝が勝った後、これより三役。

どうしようもなかったのは、栃の心と松鳳山の一番だった。

行司の名前は知らないが、立会いの逡巡が長すぎて、“こりゃだめや、アカン、止めんとあかん!”、と私は家内に言ったが、ずるずるっと、相撲は始まった。

そして、くるくる廻る、汚い相撲の末に、栃の心が勝った。そのとき禿頭の審判員が手を挙げた。北勝海と思うが。

 

 止めるなら、まず立ち合いに行司が止めよ、あれだけ闘わせて、勝負がついたあとで、“手をつかなかったから”、という理由で審判の文句をつけるな!

 そして、再戦で栃の心は負けた。今度は、行司は、栃の心の足が出たのを見逃さなかったが。

 

私でもわかったおかしな判定だ。

解説の北の富士が、

えらいものを見ましたね“、という意味のことを言ったが、その通りだ。

この団体は、長年おかしなことばかりやってきた、経営のやりかただけでなく、技術的にもど素人としか言いようがない集団だ。私は名寄岩からの相撲フアンだが、どうしてこの団体はまともにならないのだろう、貴乃花騒動にも、モンゴル騒動、暴行事件、なんでもありだ。

私は相撲そのものはすきなのですがね。栃錦のファンでした。

 

 


久しぶりの散歩

2018年11月03日 | 雑感

 

                                                                   2018年10月30日

 先月 初め49度強の熱が二日出て、抗生物質投与、その後一進一退。

肺炎まで至らず気管支炎で止まったが、一ヵ月一切の運動はやらなかった。

今日一ヵ月ぶりに家内と、宝ヶ池へ行った。比叡山がきれいだったが、たった

4キロの行程がこたえた。

 

帰りに神社横の葉書の樹の葉を手折り、デンバーにいる長年の友人M子さんへ

その裏に言葉を添えて、メールに添付して送った。

(あとから見てみるとなんと幼稚園児より酷い字だ。)

裏につま楊枝かなにか尖ったもので字を書くと、しばらくして字が浮き出る。

平安時代から手紙として使われていたもので、

今でも切手をはると、実際に葉書として受け取ってもらえる。

     

     

 

 

「家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」

ふと有馬皇子の歌を思い出したことである。